夏色の海
長い長い砂浜をうつむいてトボトボと歩いていた。
横を見ればどこまでも広がる海。
上を見れば目を疑うほど晴れた空。
その何もかもが嫌だったから僕は下を向いていた。
映るのは砂と自分の足だけだ。
「遥さえ生きていてくれたら……」
さっきの墓参りの時も思わず漏らしてしまった言葉。
俺の恋人だったはずの人は他界した。
彼女が生きていてくれたら、これら景色はどう映っていただろう。
鮮やかだっただろうか?美しかっただろうか?
もう、どうでもいい。
そんなこと考えても徒労だってことは分かりきっている。
彼女が死んでから、世界は色を失った。
あらゆるものを見ても心で視る色はモノクロだった。
それでも、彼女の分まで僕は生きようと思った。
そう決意して一年間がんばってみたけど限界だ。
一度失った色は蘇らない。
こんな世界にいても無意味だと悟った。
「問題はどうやって死ぬか……」
あまり親には迷惑をかけたくない。
残された人のことを少しはかんがえないと。
いっそこのまま海に飛び込もうかな。
いや。万が一、僕の死体が見つからなかったら捜索ってことになるか。
それでは駄目だ。うーむ、どうしたものか。
バシャッ
「うわっぷ」
いきなり水が顔にかかったせいで自殺についての考察が頭からすっ飛んだ。
「あわわわわ。ご、ごめんなさい」
女の子の声がした。
けれど目に水が入って女の子の姿が見えない。
「ちょっと余所見をしてまして。ごめんなさい……」
目をゴシゴシと擦って水源のほうを見るとホースを片手にした女の子がいた。
結構ラフな格好をしていて、顔が可愛いい子だった。
その子とパッチリ目が合う。
「いや、大丈夫だよ。ちょっとかかっただけだから」
「…………」
その女の子はずっと僕の目を見ていた。
「あの……聞いてる?」
「あ……、えと。でも、Tシャツがびしょびしょに……」
「あ、ホントだ。濡れてたのに気付かなかった」
改めて自分をよく見てみると確かに濡れていた。
まあ、別にどうだっていいや……。
気にしなくていいよ、と僕は口に出そうとする。
しかし、その前に彼女に腕を掴まれた。
「ちょっと来てください」
「え?あの、ちょっと?」
「私の家、このすぐ近くなんですよ」
「は?」
いきなり腕を掴んで『私の家はすぐ近く』とはどういうことか。
まさかこの子、無害そうな顔してるけど美人局ってやつ?
すると僕が家に乗り込んだ瞬間にガラの悪い連中が出てきて……。
「ぼ、僕お金持ってませんから」
「……何言ってるんですか?早くTシャツを替えないと風邪ひきますよ?」
「Tシャツ?」
「いくら夏でも濡れたままだと風邪引きますから。私の家に替えがありますから」
あ……そういうことね。
こんな天真爛漫な女の子が美人局だなんてあるわけないよな。
「じゃあ行きましょう」
「あの。ところで君の名前は?」
「私ですか?私は夏海といいます。夏の海と書いて夏海」
「では、代わりのTシャツを持ってきますからそこで待っててください」
「はい」
そう言って彼女はスタスタと家の奥の方へ姿を消した。
1人ポツンと残されてしまったな。
それにしても何なんだあの子は?
普通、見ず知らずの男をTシャツ濡らしたぐらいで家に上げるだろうか?
もし僕が悪漢だったとしてらどうするというのだ。
無防備にもほどがあるではないか。
それに結構可愛かったもんなぁ。
そう。死んだ彼女にも引けをとらないぐらいに。
……って何やってるんだ僕は。
何でのこのこ女の子の家に上がり込んでいるんだろうか。
さっきまで自殺しようと考えてたのに……。
………そのとき、ふと気付いてしまった。
ずっと憂鬱だったはずの気分がいつの間にか拭い去られていることに。
「お待たせしました!」
「うわあぁ!!」
「ひゃあ。す、すいません……。驚かしてしまいましたか?」
「いや、大丈夫だよ」
まあ嘘だが。
この子といると寿命がいくら長くても足りないな。
「これを着てみてください。えーと……名前は何でしたっけ?」
「僕は頼人。頼もしい人で頼人」
「頼人さん……ですね。では、どうぞ頼人さん」
彼女からTシャツを受け取った僕は、早速着替えようとTシャツを脱ごうとした。
しかしぐっしょりと濡れている所為か、肌にひっついてなかなか動かない。
「私、手伝います」
「いや、大丈夫だよ。もうちょっとだから」
「頑張ってください」
Tシャツを脱ぐのに頑張ってくださいという掛け声もどうなんだろうか。
そんなことを考えているうちにTシャツが頭から抜けた。
「ふう。やっと脱げた」
「あれ?その背中の傷跡はどうしたんですか?」
そう言って彼女の指が僕の傷跡をつぅーと撫でた。
「うひゃあ!!」
「わあ!ご、ごめんなさい……」
「いや、大丈夫だよ」
一体どれだけ人の寿命を縮めれば気が済むのだろうか?
まさか確信犯じゃないだろうな?
「これで4回目ですね」
「はい?4回目?」
「あなたが『いや、大丈夫だよ』って言った回数です。口癖ですか?」
わざわざカウントしてたんかい。
「何かと厄介事に巻き込まれやすい体質でね」
たっぷりと皮肉を込めてやった。
「その傷も厄介事に巻き込まれたときにできたんですか?」
思わず眉毛がピクっと動いた。
上手く誤魔化せたと思ってたけど、覚えていたか。
「あの……」
「これは厄介事なんてもんじゃなかったよ」
「え?」
そう。僕の大切なものが奪い去られた時に負った傷。
彼女と共々、車に撥ねられて負った傷。
どうして僕はこんな軽傷で済んだのだろう。
いっそ僕が死ねば良かったのに。
いつのまにか晴れていた僕の心の中をまた闇が支配し始めた。
「頼人さん!」
耳元で急に大きな声を出されて思考が凍結した。
また少し寿命が縮んだ気がする。
「早く服を着ないと風邪ひきますよ?」
「あ、ああ。そうだね」
もぞもぞと服の袖に腕を通す。
……その時、あることに気付いた。
今、僕が持っているこの服が女物であることに。
「……ねえ。この服って誰の?」
「私のお姉ちゃんのです」
「は?」
「だから、私のお姉ちゃんの服です」
お姉さんの服を着させようとしてたのか、この子は。
一体どういう神経をしてるんだか。
「お姉さんが怒るだろ?」
論点は少々ずれていたが、これが一番良い説得方法だろ。
「大丈夫ですよ。私のお姉ちゃん、もうこの世にはいませんから」
どうやら一番悪い説得方法を選んでしまったようだ。
「ごめん……」
「頼人さんが謝ることないですよ」
「でも、だって……」
近しい人の死んだ悲しみは痛いぐらいに分かっている。
だからこそ、僕が悪くなくても僕が悪いと思った。
「割と最近に亡くなったんですよ。最初は悲しかったです。でも……」
「でも?」
「私は1人じゃないんです。だから頑張ることができました」
「夏海さんは強いんだね。……僕の場合は駄目だったよ」
「…………」
「僕には彼女がいたんだ。でも、去年の今日に交通事故で死んだ。背中の傷はその時に負ったんだ」
彼女のように強くなんかなれない。
僕の色はあの事故によって消えたままだ。
絶対に失いたくなかった色はもうこの世には存在しない。
そう思うと僕は失意のどん底に落ちる一方だった。
「ほら、1年以上経った今でもこんなに涙はあふれてくる」
溢れる涙は止めどなく僕の頬を流れ落ちた。
遥のことで人前で泣いたのは初めてかもしれない。
人に涙は見せたくなかった。
でも、彼女は僕と同じ悲しみを持つ仲間だから泣けたのかもしれない。
「ごめんね。格好悪いとこ見せちゃったな」
「いいえ」
「悪いけどさ、ちょっと1人にさせてくれないかな?」
「……駄目、です」
「え?」
「……どうして1人になりたがるんですか?」
何故か彼女のその一言が心に重く響いた。
「こんなところ、誰にも見られたくない」
「あなたは、悲しみを1人で抱え込みすぎなんですよ」
「君には関係ない」
「関係あります。今、私はあなたの側にいます」
「……本当に一緒に居たかった人は、もういないんだ」
「でも、一緒に生きている人が必ず居るんです。そのことを忘れないでください」
僕の言葉はことごとく彼女に負けた。
彼女の言葉のナイフは僕の言葉のどれよりも強く、そしてどれよりも優しかった。
「今は私があなたの側にいますから。だから泣けばいいんです。涙は私が受け止めますから」
僕は夏海さんに抱きしめられた。
そのとき彼女の目からも涙が流れているのが見えた。
「うぅ………うぁああああああ!!!」
心をせき止めていたものが崩れた、という表現は少し違う。
彼女の優しい雨が、僕の心をそっと満たしていく。
そして同時に心に溜まっていた悲しい雨は溢れ出ていった。
泣きたいだけ泣いて、涙はもう枯れていた。
でも、かわりに心は優しく潤っていた。
「ありがとう。おかげで吹っ切れた気がするよ」
「元気になって良かったです」
「そんなに元気なかった?」
「ええ。だから思わずホースで水をぶっかけちゃいました」
「はあ?」
あれ、わざとやってたのか……。
「ホントはそれだけで終わるつもりだったんですけどね」
「じゃあどうして?」
「お姉ちゃんが好きになった人がどんな人か確かめたかったんです」
「え?それじゃあ、まさか君のお姉さんって……」
「遥か遠くと書いて遥です」
今までのどんな不意打ちよりも驚いたかもしれない。
1年以上は寿命が縮んだだろう。
……そうか、そういうことだったのか。
だから見ず知らずの僕を家に……。
「じゃあ最初から全部……」
「いえ、水をかけてから気付いたんです。あなたの顔、写真で見たことありましたから」
「なるほど」
「でも、落ち込んでたってことは、それほどお姉ちゃんを想っててくれたのかなって安心しました」
「そっか……」
「それに、お姉ちゃんが頼人さんを好きになったのも納得しました」
「何で?」
「頼人さん、とても優しいですから」
「別にそんなこと。君と比べたら俺なんて……」
「絶対お姉ちゃんには敵わないな……」
「え?」
「いえ、何でも。そろそろTシャツも乾きました?」
「あ、そういえば乾いてる」
意外とちゃっかり覚えてるんだな。
何というか、可愛いけど不思議な子だ。
「そろそろ帰りますか?」
「うん、そうだね……」
「お別れ、ですね……」
このまま彼女とはもう会えなくなるのだろうか。
いや、家の場所も知っている。
だけどこのまま何も言わずに帰るのは……。
そうしてしまったら2度と会えないかもしれない気がした。
「来年だ」
「はい?」
「来年の夏、また会おう」
「来年の夏……ですか?」
「僕、また頑張るから。来年の夏にはきっと笑顔で会いにいくから」
「あ……。私、待っててもいいんですか?」
「うん。待っててほしい」
「1つ約束してください。お姉ちゃんのことは絶対に忘れないで」
「分かってる。絶対に忘れないよ」
「私、待ってます」
「うん。じゃあ、またね」
「はい。またね、です」
長い長い砂浜をうつむいてトボトボと歩いていた。
横を見ればどこまでも広がる海。
上を見れば目を疑うほど晴れた空。
でも、僕は下を向いていた。
それは決して悲しいからではない。
過去の色が蘇ったわけじゃない。
大切な色は最初から消えてなかった。
ただ視えてなかっただけ。
いや、目を背けていただけかもしれない。
でも今はちゃんと視えている。
そしてこの夏、新しい色が心に生まれた。
誰よりも、何よりも優しい夏の海の色。
その人に会ったときに何て声をかければいいのだろう?
そんなことを考えていた。
『久しぶり。元気だったかい?』とかだろうか。
いや、それでは駄目だ。うーむ、どうしたものか。
バシャッ
「うわっぷ」
「あわわわわ。ご、ごめんなさい」
夏の海の音がした。
短編第2弾です。
話を短く完結するのって難しいですね。
今後の上達の為にも、評価をお願いします。




