30.大きな反抗者
テスト終日、燐は腕を組み難しい顔をしていた。
「燐、大丈夫か?」
「うぅむ……」
「お前が赤点取っても俺は面倒見ないからな」
「大丈夫だよ、ここ数日頑張ってたろ」
「いや……うむ、大丈夫……だと思う?」
「なんで疑問系?」
「教えてもらったの、全然出てこなかったぞ……?」
「は? 出ただろ……おいこれすでにまずいんじゃねぇか?」
「私は騙されたのか……!?」
「えぇ?」
「ふっ、テスト返しが楽しみだなぁ? 一体どんなやらかしなのか」
「柑実、諦めてるな?」
「もう救いようがねぇってのはわかったからな。俺達の努力も水の泡だ」
「……すまない」と燐は手で顔を覆う。
「おい泣かすなよー」
「えっ」
「いや泣いてないぞ?」
「ま、紛らわしい事すんじゃねぇよ!」
「すまない……?」
そんな様子を裙戸の机を陣取り眺める卯鮫。
「柑実くんいつも通りツンデレのツンが強めだねぇ」
「そうだね。卯鮫は大丈夫なの?」
その問いに卯鮫は「えっへん! 多分赤点確定ぇ!」と自慢気に胸を張る。
「あ、そう……」
「綺麗にぃ……読みやすくってゆっくり書いてたら時間になっちゃったぁ……」
「回答できなかったら本末転倒じゃないか……」
〜その頃の職員室〜
「お、おい! 卯鮫の字が普通に読めるぞ! ほとんど書き終えてないし間違ってるけど」
「え!? ほ、本当だ! あいつ成長したなぁ……間違ってるけど」
「そうですね、間違ってますけど」
「ここ小学校でしたっけ?」
「いや高校……のはず」
「紅……」
特化学科の教師達の会話に見野口は頭を抱えるのであった。
* * *
「うちの学校、問題用紙回収されっから確認もできねぇな」
「授業で復習する時失くしてる人多いからじゃない?」
「中間式とか問題用紙に書いてる人多いからって父さん言ってたよ。後落書きしてる奴はしょっぴくって言ってた」
「目的ぜってぇ落書き犯確保だろ。ここは小学校かよ」
「やべ、落書きしたわ」
「お前何やってんだよ……」
「いや……意外と早く終わって暇で……」
「寝てろ」
俺呼び出しかな、とぼやく。そんな梛莵に燐は「何を描いたんだ?」と問うと真顔で「ピヨ助の焼き鳥姿」と答える。
諦めてなかったのか……と羽蘭と柑実は苦笑いしていた。
〜その頃のピヨ助〜
「ぶぇっぷしょぃっ!! なんじゃ余の噂でもしておるのかの? まだ帰ってこんのかのぉ〜暇じゃ」
テスト期間は午前だけだから、と望の所には預けられず大人しく留守番をさせられていた。
* * *
[準管理棟 仮眠室]
「はぁー……ねぇもう帰っていい? というか着替えまで用意周到過ぎるでしょ」
「あかん。あの後あんま寝れてへんやろ。顔色良くなっちょらん」
「あのねぇ、ちょっと寝たからってすぐに良くなる訳じゃないし。というか家の猫もお腹空かせて待ってんだけど!」
「え、葵猫飼っちょるの!? 見たい見たい!」
「へへ〜可愛いんだよ。ノエルって名前なんだ。ほら、真っ白でオッドアイなの」
そう言うと葵は嬉しそうに携帯の画面を開き写真を見せる。
「ほ〜綺麗やな。ん? 猫が猫飼っちょるもんか!」
「は? 猫は猫飼わないけど」
「なんや葵やて猫みたいなもんやろ。いつも猫と群れちょるし」
「なんだよそれ……とにかく、帰らせて! 他の荷物返してよ」
「しゃあないなぁ……せやったらうちもついてく」
「え、やだ」
「なんでや! うちも猫ちゃん触りたい〜!」
「普通に嫌だよ。井守宮家に招くとか身の危険しか感じないし」
「あん? 今ここで舐め回しちゃろか黒猫め、こちとら我慢しちょるんやぞ」
「我慢してたの!? やめてよ気持ち悪いっ!」
葵の両肩を掴み、井守宮は舌を舐めずり迫る。力強く掴まれた手を離そうと全力で抵抗するが思ったように自身の力が入らず退けられずにいた。
「ほぉん? そんなに舐められたいかこの……ぶっ!!」
飛んできたのは見覚えのある鈍器並に分厚いファイル。雑に扱うせいで少し欠けていた。というより大事な書類投げるなよ。
「おい井守宮何しようとしてる」
「痛った!! 朱弥こら何する!!」
「「……」」
顔を見合わせるや睨むようにして沈黙する二人。
「き、急に無言やめぇや二人とも……」
「フンッだ! 俺怒ってんだからね! 謝るまでは許してやんないし!」と腕を組みそっぽを向く葵。
井守宮は「謝ったら許すんか」と呆れていた。
「悪かったな、手荒な真似して」
「……」
「葵」
「……わかってるよ、心配してくれてる事くらい」
「そうか」
「でもね、必要ないの。俺は、心配される必要なんてない」
「……」
「心配なのは……俺じゃないの」
「……うち、継の様子見てくるわ」と井守宮は部屋を抜ける。
「……葵、『心配される必要がない』は違うだろう。お前が孝介を心配して不安なのはわかる。だが俺はお前が不安に押し潰されてしまわないか、心配なんだ」
「俺はそんなヤワじゃないし。いつまでも子供扱いしないでよ」
葵は顔を背けたまま続ける。
「自分の事は、自分が一番よくわかってる。だから必要ないって言ってるの」
「葵……」
「余計な事してないで、他に手を回しなよ。俺は忙しいの」
「紛らわせる為に必要以上に忙しくしてるだけだろう」
「だったら何? 朱弥には関係ないでしょ? 俺の事はほっといてよ……!」
「放っておいてしまったからその有様なんだろう……!」
声を荒げる朱弥に葵は振り返り感情を昂らせ、ぶつける。
「じゃあそのままほっといてよ! 仕事に支障はきたさないし、迷惑だってかけてない!」
「迷惑だ」
「っ」
「迷惑かけてるんだ。だからこうして無理にでも休ませようとしてるんだろう」
「……」
「葵が必要なかろうがこっちは気が気じゃないんだ。その気持ちは患者を、その家族を見てきたお前が一番よくわかるだろう」
「そう、だけど……」
「状況は違えど同じだ。本人がどうでもいいとしても、周りにとっちゃどうでもいい事なんかじゃないんだよ……!」
「……」
「頼むからもっと自分も大切にしてくれ」
「……ない」
「何……」
「朱弥に言われたくないって言ったの! 自分の事も……アツキちゃんの事もろくに見れない朱弥に、そんな事言われたくない!!」
「――!!」
朱弥は葵の胸倉を掴み上げる。
「っんだよ! 殴りたきゃ殴れよ! 俺は謝んないからな!」
「こら朱弥! 何しとるか!!」
「おいやめろ。何があったか知らんが」
宇和部は朱弥の手を掴み、葵から引き離す。
「宇和部……」
「はぁ……騒がしいと思って来たらこれかよ。静かに休ませてくれよ」
「何お前、具合悪いの?」
葵の問いに宇和部は纏められていない髪を耳に掛け、答える。
「別に。疲れたから休んでただけだ」
「……そう」
『ちょっとご主人ー!! 出てきたならあたちに一言いいなさいよー!!』
「うるさい」
『な、何よその言い草ぁ!』
主の冷たい返しにティクシーは顔を真っ赤にして頬を膨らませる。
「ティクシー、ちょぉ継の事は後にしとくれ」
『むぅ……わかったわよ……』
「井守宮、荷物返して」
「葵!」
「帰る。休みもらった分は休む、それでいいでしょ。宇鶴ちゃんに聞かれたらちゃんと休ませたって答えりゃいいよ。今回の主犯は彼女でしょ」
【宇鶴 秋穂】。葵から新薬を取り上げていた強者看護師の事だ。
「主犯ってなぁ……あの子やて葵ん事思って……」
「余計なお世話。戻ったらしっかり話は聞かせてもらうし」
これ以上は聞かない。はっきりと拒否する葵に井守宮は頭を掻き「はぁ……ちょぉ待っちょれ」と荷物を取りに部屋を出る。
「何揉めてんだよ」
「別に揉めてないし」
「はぁ? 大の大人がガキかよ」
「俺はガキじゃないし。継夏こそ引きこもって反抗期なの?」
「何俺喧嘩売られてる? 買うぞクソちび猫」
「俺は猫でもガキでもないしちびじゃないし! 年上だぞ敬えよー!」
「へーへー失礼しましたー」
「生意気!」
『ちょっとそっちまで喧嘩しないでよー』
戻ってきた井守宮は「葵、ほれ。着替えはこっちな」と荷物を渡す。
礼を言うと「後これも」とどこから取り出したのか大きな猫のぬいぐるみを押し付ける。
「でかっ……何これ」
「葵そっくりやろ! 持って帰り」
「え、いらない」
「葵に買ったんや持って帰れぃ!」
「こんなのいらないよなんで買ったのさ!?」
「何や葵ぬいぐるみ知らんの? こう……抱きしめて寝たれや」
「ちょっと意味わかんない」
「いいから一緒に寝たれて! せっかく買ってん」
「いらないし持って帰るの恥ずかしいしやだよ!」
「安心せぇちゃんと家まで送っちゃるて。朱弥が」
「俺か」
「結構! 一人で帰ります!」
「ほれ葵しっかり持ったれ」
「だからいらないってばぁ!」
「我儘言うたらあかんで!」
「我儘!? 押し付けて何言ってんの!?」
「これだからこだわりある子は……」
「ちょっと継夏どうにかしてよ!」
「あぁ、持って帰れよ。置いてかれたら俺の部屋に置かれる」
「置いときゃいいじゃん」
「俺の部屋をこれ以上物置にするな」
「物置にされてんの……」
「うちの部屋に置いとっても邪魔なんやもん」
「「じゃあ捨ててこい」」
「嫌や! ほらほら帰り。さよーなら、朱弥代わりに持ってったってやれ」
「いらないって言ってんじゃん!」
「きぇぇぇッ!!」と井守宮は葵の頭を殴る。
「痛ったぁっ!! 何すんだよ!」
「殴りたきゃ殴れ言いよったやろ!! 大人しく言うこと聞け言っちょるん持って帰れやあほ!!」
「はぁぁ!? それ朱弥に言ったんだし!!」
「何や朱弥はよくてうちはあかんのか!? 朱弥大好きか? おぉ!?」
「なんでそう何だよ!! こんな熊ゴリラなんて嫌いだし! フンッ! 」
「ほぉ〜ん?」
『あらら〜♪』
「嫌われちゃったな?」と三人はニヤけながら朱弥に目をやる。朱弥は「くま、ゴリラ……?」と言われた事に理解が追いついていなかった。
「な、なんだよ! その生温かい目はぁ!!」
「葵悪口とか言うん苦手なん?」
「は? 悪口くらい言えるし!」
ばーかあーほ! と騒ぐ葵はとても成人男性とは思えない。予想通りな悪口のレパートリーに「ダメダメやな。言う事おこちゃまや」と呆れる井守宮。
「これでよく院長が務まってるな」と宇和部は呟く。
「悪口は関係ないでしょ!」
「ほら帰るんだろう黒猫ちゃん」
「猫じゃない! 帰るよ! ばいばい! 朱弥、車!」
「はいはい」
朱弥を引き連れ葵は部屋を出ていった。
「なーんや、一人で帰るんやなかったんかい」
「忘れてんじゃん?」
ふぅ……、と息を吐くと葵が扉を開け顔を出す。
「ねぇ継夏!」
「……あ、何だ?」
気を抜いていた宇和部はかけられた声に少し遅れて反応する。
「今度お前病院に来いよ」と言われ「嫌だ」と即答で拒否した。
「いいから来いってのー!」
「はぁ……わかったからさっさと帰れ」
「絶対だからな! 来なかったら迎え寄越すからな!」
「手厚いな。わかったっつの」
「昔は付いて回って可愛かったのにー!」
「柊季にな」
「そうだな! ばいばい!」
「はい、ばいばい」
「葵からかうんはおもろいな〜『じゃあな』とかやなくて『ばいばい』やて」
「……そうだな」
「なんや継いじけてん? なんやなんや嫉妬か? お?」
「違う」
「ハハハ……ちょぉどこいくねん。こっちでお話しよな?」
「しない」
「あかん。いつもはぐらかしよる、今回はそうはいかんで」
掴まれた手を払う。
「本当に、今はやめてくれ」
「……なんでや」
「今は誰とも話したくない。別日にしてくれ」
「ならせめてちゃんと飯食え。継はうちと違うて食事は必要やろ。ないんやったら買って来ちゃるから」
「……わかった」
『ご主人……』
「あんまティクシーを蔑ろにしたるなや」
「あぁ……悪い」
そういうと自室へと戻っていった。
「――はぁ〜、難しな」
『雪那』
「ティクシー、大丈夫やから。継の代わりに温室の子ら頼むで」
『うん……』
* * *
沈黙の続く車内で葵は目を泳がせていた。
「(悪いのは俺だけど。うぅ……沈黙怖い……)」
チラッと朱弥を見やり小さく「……ごめん、言い過ぎた」と謝る。
「……別に」
「……」
「ほら、着いたぞ」
「ん、ねぇこれ置いてっていい? アツキちゃんにあげなよ」
「駄目だ。葵の為に買って来たんだろう」
「え〜……」
「あとこれ井守宮から預かった」
一枚の紙切れを手渡す。
中には『独りやないで (猫マーク)』と書かれていた。
「……はぁ、わかったよ。持ってく」
「あぁ」
「ノエルが壊さなきゃいいけど……あれ、ノエル? なんで外に……あ、ベランダの「ンナァァ!!」いっだぁぁぁぁぁぁ!!」
家の中にいるはずの飼い猫・ノエルは門扉の塀座って待ち伏せをしていたようでこちらが気づくや否や勢いよく頭に齧り付く。
「お、おい大丈夫か!?」
「ナァゥゥ!!」
「ふにゃぁぁっ! 留守にしてごめんって!」
ノエルは葵の首にがっしりとしがみつき「フゥゥッ!!」と毛を逆立てていた。絶対に逃すまい、と言わんばかりに。
「あぅ、朱弥ごめん荷物持ってきてぇ」
「あ、あぁ……」
惨状を確かめるべく部屋を見て回る。いい子にはしていたのか荒らされた形跡はないようだ。一室を除いては。
「うぅ……他の部屋は荒されてないけど俺の寝室が……」
「随分暴れたな……」
破かれたカーテンと枕、かき乱された布団、幸い割れてはいないが倒されたルームランプ。
布団を軽く叩き整えていると中から見覚えのない真っ黒の仔猫が顔を出す。
「にゃん?」
「ん? え、誰この子」
「みにゃあっ」とお腹を見せ転がる仔猫。
「にゃーん! か、可愛い……人懐っこいなぁ……って! 違う違う! どこの子連れてきちゃったのさっ」
「にゃ?」
一人ツッコミをする葵に仔猫は首を傾げる。ノエルは葵の足の間から顔を出し返事をする。
「ナァ」
「え? 野良?」
「……お前猫の言葉わかるのか」
「そんなわけないでしょ。えーどうしよう」
「言っとくが俺の所は飼えないからな。ペット禁止だ」
「知ってるよ。うーん、ここで飼うのはいいけど仔猫なんて昼間面倒見れないよ」
「ンナゥ」
「え? もうカリカリ大丈夫なの?」
「ンナッ」
「なら大丈夫か。ノエル、拾ってきたからにはしっかり面倒見るんだよ? いいね?」
「ンナァゥ」
「ならよし!」
普通に会話してる……と思いつつも無意識なのだろうと朱弥は触れないでいた。
「後でお風呂に入れないとね。あーびっくりした」
「のわりに落ち着いてるな」
「まぁ拾ってきたの初めてじゃないし。前はハムスター拾ってきたの」
「それは狩りじゃ?」
「ふふん、ノエルは賢いからね。お隣さんの脱走したハムスター捕まえてきてくれたの!」
お隣さん焦っただろうな。自慢気な葵と得意気にしているノエル。ペットは飼い主に似るとはいうが何とも言えない。
「今もたまに脱走してここに遊び来るんだよね。ノエルはいいけど仔猫が大丈夫かな? その子命知らずなんだよね」
「常習的に脱走してるのか……大丈夫なのか? 家に入って来るんだろう」
「まぁ来ると言っても中には流石に入ってこないよ。そこの窓に張り付いてるだ、け……」と指差す方には一匹のハムスターが全身をガラスに張り付け覗いていた。
「キュゥッ!!」
「あれか?」
「ナゥ……」
「キュキュキュキュッ!! (ノエルの兄貴ィ遊びに来やしたぜ!)」
葵は喋るハムスターの翻訳? をしていた。
「めちゃくちゃ喋るなあのハムスター」
「雨降ってきてるのにね。ノエルお願い」
「ナァ……」
「慣れてるんだな……」
飲み物でも入れようかと台所に向かう時、葵の携帯が鳴り響く。
「ん? むむ、病院。もしもーし、いんちょーですよー……何? わかった、すぐに向かう」
「どうした?」
「朱弥悪いんだけど急いで病院に送ってくれる?」
「何だと?」
「緊急。休みとか言ってらんない」
「……わかった」
* * *
「……」
――――ピッ、ピッ
『……』
ノックする音が部屋に響く。
「お父さんー、寝てるわね」
静かな個室、自分ら以外の気配を感じ飾未は部屋を見渡し問う。
「誰か、いるの?」
しかし反応はなく、窓から吹く風がカーテンを揺らしていた。
「……気の所為かしら」