27.孤独な黒猫
玄関を開き暗い空間に明かりを点す。
「……」
静まり返る家の内。リビングに入ると一匹の白猫が家主を出迎る。
「……ただいま、ノエル。おなか空いたよね、今ご飯あげるね」
「ンナァー」
手を伸ばすとノエルは頭を擦り寄せ甘える。
「……独りにさしてごめんな」
「ンナゥ?」
すぅー……すぅー……
――カタンッ
「……っ!」
物音に目が覚め部屋を見回すとドアからノエルが顔を出す。
「ナァー」
「あ、ノエル……」
時計を確認すると眠りについてから十分ほどしか経っておらずため息を漏らす。
「……」
――なんでもない。親父には関係ないだろ。
「俺はどうすれば、よかったのかな……」
――俺の事はほっといてくれ。
「ねぇ、どこにいるの……? 孝介」
葵は独り、膝を抱え呟いた。
* * *
「で? 皆どこまでできんだよ」
集まった人数は七人。
梛莵、柑実、燐、哉妹、由月、卯鮫と何故か捕まった曷代。
梛莵は「はい、柑実先生」と手を上げ質問する。
「これは教える側が少ないと思います」
「よくわかってんじゃねぇか。だから裙戸呼んだ」
後ろを指すと裙戸が顔を出す。
「はーい、呼ばれたよ。でも僕いても状況は変わらないと思うけどなぁ」
「何言ってんだお前こないだ羽蘭買収した分やれよ」
「ねぇ柑実質問」
「なんだ」
「これってテストに出んの?」
曷代は教科書を指差し確認する。
「いや範囲表見ろよ俺に聞くな」
「柑実」
「何」
「こっちどこから教えりゃいいかわかんないんだけど」
「そんなん俺が知るか。……何がわかんねぇの?」
すると燐は開かれた教科書をそっと閉じて腕を組んだ。
「……わからない所がわからない!」
「よし、まずわからない所をわからせる所だ。よかったなわかったじゃねぇか」
「それはわかったって言わない!」
「た、助けてくれ」
切り捨てられた燐は半泣きで柑実にしがみつく。
「だぁぁ引っ付くな!! とりあえずお前は名前書けんのか!? どっちの名前書くのか知らねぇけどよ」
燐は指をこめかみに当て念じるように声をかけ始める。
「……鈴、頼む起きてくれ、出てきて……」
「どっちにしろ今鈴が出てきた所で別々に受ける事になんだろうな」
「私が眠ろう……」
「お前なぁ……」
「燐ちゃん頑張ろぉ」
「うぅ……『リン』って漢字、どう書くんだ?」
「漢字? 何て学校に提出してんの?」
「鈴が『燐火のリン』だって……そのまま言ったら亜妻が書いてくれた。鈴の名前も」
「教科書とかには? 名前書いてんだろ」
「鈴の名前書いてあった。先生が書いてくれたみたい」
「そういうことか。多分この『リン』だろ」
そういって『燐』を書いて見せる。
「難しいな」
「鈴でいいんじゃない? 鈴だって『リン』って読むだろ」
「まぁ……鈴も書けないが」
「お前もう漢字は諦めろ。そんぐらい事情言えば大目に見てもらえんだろ」
燐は力強く反発する。
「嫌だ……!」
「いやなんでだよ」
「なんか、なんか嫌だ……先生の『めいよ』の為に!」
「お前……ってこんなじゃテスト勉強どころじゃねぇぞ、それにちゃんと意味わかってんのか?」
間を置く柑実に「(ちょっと感動して揺らいだな……)」と梛莵は思う。
「ある程度読めはするが書くのはちょっと……」
「書けなきゃこのテストは意味ない」
「そうなのか……」
「ねぇ梛莵くん」
コソッと卯鮫は声をかける。
「何? どっかわかんない?」
「まぁわかんないけどぉ……紅ちゃん的に柑実くんと燐ちゃん相性良いと思うんだよねぇ」
「あ、やっぱり? 俺も思う。でも言ったらキレられそう」
「あはは、だよねぇ」
「仲良いのか悪いのかよくわかんないな」と曷代。
「「仲良いだろ (でしょぉ)」」
「雅、雅」
「何?」
「ここって習った……?」
範囲表と照らし合わせ哉妹は教科書の一文を指す。
「……チサ、それ一年で習ったとこだよ」
「え!? 嘘、覚えてないよ!?」
「それこそ嘘でしょ……数ヶ月前の話だよ」
* * *
「これ大丈夫かな」
燐 『名前すら書けるか疑問』
曷代 『自分が何やってるか不明』
卯鮫 『教えてもらえれば何とか出来なくもないと自負』
哉妹 『習った覚えがない』
「いや駄目だろ特に女子」と柑実。
「何で出来るの男子ぃ!」と卯鮫。
「性別関係ないと思うよ」と由月。
「そうだよ。それに女性に対して失礼だよ」と裙戸。
「女……性?」
おそらく女子と女性の意味が違うと思ってるであろう燐。呟く燐に曷代はポツリと「……珍獣?」と。
「おい曷代が一番失礼だろ」
「あたし達立派な女性よ。ねぇ梛莵?」
「何で俺に聞くの? 何も言ってないじゃん。大丈夫だよ皆立派な女性だよ」
すると柑実はわざとらしく驚愕し「え、俺達も……?」とお嬢様笑いのようなしぐさをする。
「なんでだよ! そこはわかんだろ!」
「アハハ、柑実くんはどっちかっていうと女の子顔だもんねぇ。認めたのぉ?」
「投げ飛ばすぞ」
「む! 紅ちゃん一応怪我人だよぉ!」
「もう治ってんだろ」
「ぷぅ!!」
「勉強は?」と呆れる由月。
裙戸も「僕、帰っていいかな?」と呟いていた。
* * *
携帯を確認し、裙戸は立ち上がる。
「ごめん、僕そろそろ帰るよ」
「あ? なんでだよ」
「ちょっと用があってね。待たせちゃうから」
「栗宮か」
「まぁね。弟の用なんだけどさ」
「裙戸って弟いんだ」
「うん。二人兄弟だよ」
「紅ちゃん一人っ子ぉ!」
柑実は「いや聞いてないし」と呟く。
「あはは。ごめんね、お先〜」
「ばいばーい!」
「おーじゃあな」
ねぇねぇと卯鮫は曷代を定規で突く。
「曷代くんは一人っ子ぉ?」
「ん? いや俺は四人姉弟だよ」
「え! 多いねぇ」
「そう?」
姉とかにこき使われてそうだな、と言うと曷代は苦笑いをしていた。図星みたいだ。
「まぁ……姉貴ちょっと女王様気質というか……」
「目に浮かぶな」
「飾未さんと真逆だな」
「だな」
「妹はかわいいんだけどな……すっごく。本当すっごくかわいい天使」
「おいこいつ相当シスコンっぽいぞ」
「わかる〜妹ってかわいいよな」
梛莵は呑気に菓子を食べていた。
「しまったこいつもシスコンだったわ」
「お姉ちゃんは可愛くない?」
「? チサは可愛いよ?」
「そっか〜」
「姉から見たら弟も可愛いぞ」
「燐ちゃん弟くんいたんだぁ」
燐ちゃん面倒見いいもんね、という卯鮫に燐は双子に軽く目をやり俯く。
「?」
「……あぁ、いた」
「「……」」
柑実と梛莵は軽く視線を合わせ燐を撫でた。
「わっ、なんだなんだ」
「べっつに」
「ほらペッキー (チョコスティック菓子)あげる」
「お、おぉ?」
「あららぁ?」
* * *
「ごめん、待たせちゃった?」
「あ、兄ちゃん。大丈夫だよ、俺たちも今来たとこ〜」
「十也お疲れ様。抜けちゃって大丈夫だった?」
校門前で学ラン姿の裙戸の弟【一也】と長い髪を上にまとめている女生徒【栗宮 明日奈】が裙戸を迎える。
「うん、大丈夫大丈夫皆やればできるから」
「兄ちゃん興味ないと適当だよね」
「そんな人でなしみたいに言わないでよ」
「ふふふっ」
「ほら行くよ。全く、参考書くらい自分で選べばいいのに」
「俺見ても全部一緒に見えるんだもん。だから頼んでるの〜」
「はぁ……参考書買ってちゃんとやるの?」
「流石にやるよ! 兄ちゃん俺の事馬鹿にしてない!?」
「『Hello』を『Halo』って書いたの誰だっけ?」
「俺だけど!! だって英語苦手なんだもん」
「大丈夫よそのくらいなら〜だって十也も中学の時『Left』をRの『Reft』、『Right』をLの『Light』って覚えてたし。そのおかげで左右逆に覚えてたのよね」と栗宮は左手でLの字を作りながら笑う。
「ちょ、明日奈? 何言ってるの……」
「人の事言えないしもう意味違うじゃん」
「あ、あれは先生がスペルを間違えたからで……」
「それ先生大丈夫なの……」
* * *
「いやいや〜、お熱いよね〜十也達」
校門で騒ぐ裙戸達を窓から眺める羽蘭。
「あれ、あっちゃん! いつの間に……あっちゃん?」
「ん〜? あっちゃんだよ〜?」
「……何してんだよ」
柑実は教室の扉を開き羽蘭を見つける。
「あっバレた! つまんないの〜なんでわかるの?」
「だって幻影ちゃん、あっちゃんの匂いしないもん〜」
「というより隠れられてねぇ」
「え? ……あっ窓ガラスか!」
「アホだろ」
「ひーん! ちょっと失敗しただけじゃんー! 俺だって完璧じゃないんだぞ!」
「あっちゃんどうしたのぉ? 生徒会はぁ?」
「テスト期間前だからあんまり残ってると勉強しなさいって怒られちゃうんだよね〜亜妻先生に」
「そこは朱弥さんじゃないんだ……」
「父さんは居残りで怒らないもーん」
「それもそれでどうなの」
「あはは! 生徒会室は閉められちゃったからどうしよっかな〜図書室も飽きたしな〜って教室戻ってきたら皆いたんだよね! 俺もまぜて〜」
「帰るって選択肢はないんだね……」
曷代の発言で教室に沈黙が流れる。
「……?」
「あ、俺いるのいやなの? 悲しー」
「え? いやいやそういうつもりじゃ……」
「あははごめん意地悪した〜」
「……羽蘭いるんなら丁度いいだろ。曷代に教えてくれ、俺らお手上げ」
「お手上げなの!?」
「え? そんなひどいの? よく転入できたね?」
「いや前の学校と習った範囲が違うからで……」
「あぁ、今回の範囲習ってないって感じ?」
「う、うん……」
「絶対それだけじゃねぇだろ」
「うぐっ……」
う~ん、と唸る。
「でも俺も教えるのはな〜。自分の中で理解できるけど説明となると……」
「これはいわゆる天才型?」
「そうだな。馬鹿みたいな奴だが頭良いぞそいつ」
「馬鹿みたいって酷くない!?」
「でも色々教えてくれたよね……?」
「勉強はまた別! 物事の説明と証明の説明は違います!」
「……?」
「OK!?」
「No」
「ごめん俺もお手上げ」
降参、と両手を上げる。
「この段階で!?」
「手強いな」
「俺そんな重症かなぁ!?」
「う〜ん、これは無理ね。ねぇ、アツキちゃん教えてくれない?」
「さっきのお話聞いてた?」
「うん? アツキちゃんが頭良いって話?」
「聞いてないよね……俺教えるのは苦手」
「そんなぁ……これもう赤点だわっ今日だけじゃ無理よ〜っ」
「そんな事言われてもね……」
「というより由月が教えてくれんだから他いる必要ねぇだろ」
「やるなら楽しくやりたいのよ!」
「まぁ一理ある……かな?」
「お泊り、お泊り会しましょう」
「え、お泊り! 楽しそ〜!」
「おいおいテスト前に遊ぶ気かよ……」
盛り上がる女子達を横目に曷代は梛莵にこっそり問いかける。
「これ普通に男女あるまじき話してるけど俺が羽蘭が女の子だって知ってる事知ってるのかな?」
「さぁ……?」
「知ってるよ? 父さん言ってた〜めちゃ謝られた!」
「あ、そうなん……ってびっくりした!」
女子達といたはずの羽蘭がいつの間にか二人の間に座りにっこりと笑っていた。
「別にクラスの皆知ってるしね! あはは」
「そ、そう」
「まぁ気にしないでくれたまえ! 趣味だと思ってくれればいいよ!」
「え、あ、はい」
「あはは!」
「あ、いた。緋月」
羽蘭を探していたのであろう朱弥は残り集まっている数人を見ると少し驚いた顔をしていた。
「なんだまだ残ってたのか」
「仲良く勉強会だよぉ」
「本当に勉強できてるのか? まぁいいが」
「もう帰る?」
「いや葵の所に用があるんだ。待っててくれ」
「一緒には行かない方がいい感じ?」
「あぁ、悪いが」
「わかった〜いってらっしゃ~い」
要件を伝えると早々に去っていく朱弥の背を羽蘭は見送る。一息つき梛莵は区切りもいいしちょっと休憩にしよう、と声をかける。
「そうだね」
「俺購買で飲み物でも買ってくるわ、おら行くぞ荷物持ち」
「え、俺? 何、柑実の奢りー?」
「一個だけな」
「やったー! 俺最近自販機に入った新作のチョコラスク食べたい!」
「はいはい、ってまたチョコかよ」
* * *
[購買]
「で、会ったのか?」
「えー? 誰と?」
「裙戸には言ったのか?」
「何を?」
「はぁ……母親だよ」
「あー……気づいてたの」
「他も気づいてんだろ。お前いつもよりテンション高ぇし、朱弥さんの帰り待ってるって事はそういうこったろ」
「そういうこと。あー、ははっ俺隠すの下手だねー」
「別に隠す必要ねぇだろ。裙戸が付いてないのは意外だったが」
「こんな事で十也には迷惑かけられないよ」
「こんな事ってお前な……」
「それに会ったって言っても見かけたってだけだよ。丁度ね、浅鎌先輩達と居合わせて……送ってくれたの。だから平気、それに俺だって気付かれてないよ」
「……」
「十也には言わないで。大丈夫だから」
「気づいてないのか」
「多分……父さんとね、葵ちゃんの事話してたから葵ちゃんの方で何かあったんじゃないかな」
十也、葵ちゃんの事になると周りの事あんまし入んないし、と付け足す。
「それは羽蘭の事じゃ……」
「自分の師匠に何かあったら心配でしょー」
「それだけじゃないだろうが……まぁいいか」
「あはは……」
「……誰も見てねぇよ」
「なにが?」
「泣きたきゃ泣け。別に誰も責めたりしねぇよ」
「何それ。こんな事で泣かないよ……私は。一人だって大丈夫」
平気だと言う羽蘭は少し辛そうで、泣きそうな、そんな顔をしていた。
「……そうかよ」