19.下準備
[本部通学園内 準管理棟 第三研究室]
「行きたくない入りたくない……」
「なぁ梛莵不安になるからやめて……」
「うぅ……はぁ、すぅ……」
深呼吸をして扉を叩く。
中からは「だれぇ?」と呑気な声が聞こえ梛莵は答える。
「特化学科二年第五総索班、朱鷺夜です。……印の術力注入の件で来ました」
すると勢いよく扉が開かれ曷代の前から梛莵が消える。
「なとっち!!? いらっしゃぁぁぁぁい!! 相変わらずちまこくて可愛いなぁ!」
「ぎゃぁぁぁ!!! 離して下さい!! ひぃ! ちょっと!! どこ手ぇ突っ込んでんですかっ!!」
飛び出てきた女性に抱きつかれ押し倒された梛莵は服を捲られ弄られていた。
大きく耳の尖った女性が蛇のような尻尾を揺らす。妖族だろう。
「えっへっへ……いやいや、育ち盛りの成長をな……お? 誰や?」
「転校してきた新人の曷代ですよっ!」
「ほぅ君が新米の! 聞いとーで! うちは伝通移管理者の【井守宮 雪那】や! よろし〜な!」
「力つっよ!! は・な・し・てくださいよぉ!!」
梛莵は力いっぱい抵抗するが押し負けそうで涙目になっていた。
「嫌や! もうちょぉ味見さして、なぁ?」
「味見って何!?」
「するなら曷代にして下さい!!」と急に振られる。
「え!?」
「お!! ええんか! でもなとっち暫く来てくれんかったから先なとっちな」
が、ほぼ無意味だった。
「いぃぃっ、俺は十分! 成長してますんで! 大丈夫です! はーなーせー!!」
「もうちょぉ! 先っちょ! 先っちょだけ!!」
「先っちょって何!?」
廊下の奥から飛んできた分厚いファイルが井守宮に直撃し痛々しい音が響く。
「おらぁぁ!! またか井守宮ぃ!!」
「あっっだぁぁ!!! 何するか朱弥! 殺す気かぃな! うちやなかったら大怪我や!!」
「た、助かった……」
朱弥と呼ばれた大柄の男性が不機嫌そうに近付いてくる。
「お前いい加減にしないと本当にクビにすんぞ!!」
「ほぅ!? やれるもんならしてみぃや!! うち居らんと伝通石の加工はでけへんで!? そしたら移動範囲も狭まんなぁ!?」
「此処の技術舐めてんのか! もうそこの解析は済んでるってんだ!!」
「何!? この盗っ人! うち独自の技術をぉ! うちの可愛い望を見習ぇ!」
「お前のじゃないだろこんのセクハラトカゲが!!」
「かー!! トカゲェちゃうわ! イモリ! もしくはヤモリや馬鹿タレ!」
「どっちでもいいわ!」
言い争いが始まり放置される梛莵達。
「イモリとヤモリって違くね?」
梛莵は井守宮に乱された服を直しつつ答える。
「あ〜この人イモリで伝わってる妖族らしいんだけどほんとはヤモリ、らしい……」
「へぇ……?」
爬虫類が苦手な訳ではないがちろっと見えた舌に鳥肌が立った。
「なぁ梛莵、あの男の人って……」と朱弥を指す。
「ん? 会ったことない? 学長の朱弥さん。羽蘭の父さんだよ」
「おぉまじか。確かに見た目はどことなく似てる気がする……」
「雰囲気は不動院長っぽいだろ羽蘭は」
「それだ。羽蘭って誰かに似てんなぁと思ってた」
「羽蘭は不動家に懐いてるからなぁ」
「懐いてるって……」
「羽蘭と不動院長の息子と裙戸は幼馴染なんだよ。 まぁ、色々あって羽蘭は一時期不動院長のとこで暮らしてたんだってさ」
「へぇ〜……それ言っていいの? 複雑そうな……理由がめっちゃ気になるんだけど」
「俺からは詳しく教えない」
「流石に聞かないよ。というか放置だね」
「だな。いやぁでも朱弥さんいてくれるならセクハラは控えめになるよ」
「無くなりはしないのね……」
「ははは。……うん」
笑ったかと思ったら影を落とす梛莵。安心はできないようだ。
「ふん! 何しにきたんや!」
「緋月から朱鷺夜兄の貞操が危ういと連絡がきてな」
「ひどない!? うちは成長確認しちょっただけや!」
「お前の確認の仕方の方がひどいからだろうが!! 男女構わずセクハラしやがって。望に言いつけんぞ」
「それは堪忍してなぁっ!! 望には言わんで、うちは望一筋やぁ!!」
「アホか。はぁ……何でこんなん拾ったんだあいつは」
「望がうちの魅力に気づいたからやろなぁ! 流石や」
「あいつからお前をいつでもクビにしていいって許可は貰ってるぞ」
「う、嘘やろ……」
「また知らない人の名前が……あれ、さっき梛莵も言ってた?」
「あぁ望さんね。柑実の父さん、井守宮さん拾ってきた人」
「捨て猫拾ったみたいな……」
「猫のが可愛い」
「そこじゃない。というか柑実の父ちゃんも関係者なんだね」
「まぁ……引退、してるけどな。というより元々望さんが竒術師の組織の創立者なんだよ」
「羽蘭の父ちゃんじゃないんだ」
「朱弥さんはこの学校の創立者。望さんが立ち上げた組織と統合して今の本部があるって感じ」
「はーすごい人なんだな?」
「うん。俺も柑実も尊敬してる」
「もう引退してるって事は柑実の父ちゃん高齢なの?」
「全然。寧ろ朱弥さんより年下だし……まぁ色々。皆色々あるの」
「聞かないぞって思うけどすごく気になるぅ……」
「皆事情あり。気にするな」
「気になるような事言うの梛莵じゃん……聞いた俺もあれだけど」
「?」
「いや、何でも……」
「まぁいいや。そろそろ止めないと進めない。柑実達待たせてるし」
よし、と梛莵は曷代の後に回り込み盾にして井守宮に近づく。
「井守宮さん、とっとと印お願いします」
「梛莵ストレートだな!?」
「え〜何隠れとんの? もっと可愛くおねだりしてなぁ」
新人くんでかいな、とまじまじ見られ曷代は後退る。
「お前な……真面目に仕事しろ」
「別にええやん! 仕事はちゃんとしちょるが!」
「後が支えるので」
「なとっちが冷たい! せめて前に出てこんかぃ!」
「嫌です。井守宮さん触るから」
「わーったわーった! 触らん! ええ子やから出ておいで」
「わかりましたよ……」と渋々曷代の後ろから顔を出す。
「じゃ、部屋行こか」
「なんだろうすごい犯罪臭……」
梛莵を連れ部屋に入っていく井守宮を見て呟くと朱弥は「あいつ一回捕まった方がいい。というかよく今まで捕まらなかったな」と言った。
「聞こえとんで! 人を犯罪者みたいに!」
「間違ってないだろ」
「きー! 後で覚えときーよ!!」
井守宮は朱弥を指差し悪役のような台詞を吐いていた。
* * *
[研究室内 加工場]
研究室に入ると資料や薬品? などが散乱していた。
個人スペースなのか複数人で使うような部屋には見えない。片付けられないのだろうかと思うほどに。
奥にはガラス張りの部屋があり、中で井守宮は印の準備を始めた。待っている間に朱弥が話し掛けてくる。
「君が曷代くんか。不動から聞いている」
「は、はい……お世話になってます」
「俺は【羽蘭 朱弥】。聞いてはいるだろう、この学校の学長であり緋月の父だ。娘共々よろしく」
「はい……え? 娘?」
「ちょ、朱弥さん!?」
「あ、息子」
「何を間違えたらそうなるんです!?」
朱弥は「あー……」と目を泳がせていた。
痛いところを突かれると目が泳ぐタイプなのだろう、親子だなぁ……と曷代は思う。
「コホンッ、まぁいいだろう……ちょっと事情があってな。家以外では男の姿をして過ごしてるんだ」
「へ、へぇ……?」
「あの子の術能力は『変容』と『幻影』が主。どちらも戦闘向きではない。使い方次第だがな」
はぁ、と一息吐き続ける。
「本当は普通学科に行ってもらいたかったんだが本人の希望でな。『指令者』として特化学科に所属させている」
「あ……まぁ、そう、ですよね」
わざわざ危険な道になんて送りたくないだろう。
自身も反対されたのを思い出す。
「危なっかしいが観察力はある子だ。頼りになるかは君次第だが何かあれば言うといい」
「はい」
* * *
「なとっち準備大丈夫かいな?」
「大丈夫です」
床には何やら緑色の液体で魔法陣のようなものが描かれ蝋で灯りを補っていた。
中心には器がはめられた蝋台のような物が置かれていた。そこには印のガラス玉が乗せられ怪しさを際立たせる。
まるで何か召喚するかのようだ。
「よーしじゃ始めよか。お歌を歌ぉ〜♪」
「え、何で?」
「曷代静かにしてて」
「ごめん」
「―― ♪ ―― ♪ ―― * … _ … ♫」
聴き取れない歌声が響く。妖族特有なのだろうか。
陣が燃えているのだろう、チリチリと音を立て草の香りが部屋を埋め尽くす。
香のようなものなのだろうか、不気味だが不思議と心地良い。
歌が終わり井守宮は呪文を唱え始める。
「《我が征く路の救いとなり朽ち果て 新たなる芽を吹き導け、我朽ち逝くまで》」
不敵に笑う井守宮は蝋台に掛けられていたナイフを取りガラス玉の上で刃を強く握る。
「!?」
「……いつ見ても慣れんな。井守宮の『技術』とやらは」
ナイフから垂れた血はガラス玉を染め――取り込まれる。
「《褒美は我が血、終食とする》」
梛莵は印を手に取り
「《主の命において我に従いたまへ》」
と唱え梛莵の術力が込められているのだろうか、印を白い冷気が覆い蝋の火が消える。
「……ふぅ。終わりやお疲れさん」
「はい。お疲れ様です、ありがとうございました」
部屋の灯りを付けると陣は消えていた。
「どうや? 曷代……なんやっけ?」
「あ、曷代仁月です。仁義の仁に月で仁月です」
「仁月。んーふたっちでええな」
「な、なぜ……」
「二月のふたっち」
「もう別名だなふたっち」
「につっちって語呂悪いしなぁ」
「普通に呼んで下さいよ……」
「嫌や。で、ふたっち。どうや?」と再度聞く井守宮に「どう……どう?」と首を傾げる。
「印の怪しい……儀式」
「やっぱ怪しい儀式だよな……正直よくわかりません」
「まぁ見た所でだよな。大体こんな感じってだけ、あとはやる時教えてもらって」
「そやな」
「で、出来上がった印がコレ」
差し出されたガラス玉の中には黄色っぽい液体が詰まっていた。
「? 赤くない」
「うん。血清だけ残ってる感じ、赤いのはこれに今ご褒美あげたって」
「け、っせー? ほーび?」
「えーっと、血液の成分でしたっけ」
「そや、褒美は半分先にやるんよ」
「半分? 血液を半分にしたってこと?」
「そゆこと」
「そんなことできんのか……」
「うちはなーんでもできんで! すごいやろ」
「それはあの特殊なナイフのちか……おぇっ……」
ドヤ顔で胸を張る井守宮を前に朱弥は口を抑え青ざめていた。
「おいそこで吐くなよ朱弥、トイレ行かんか」
「呪薬の匂い無理……」
「別に臭ないやろ……」
水飲みや、とコップに注がれた水を手渡し朱弥の背中を擦る。
「呪薬?」
「魔法陣みたいなの描いてたやつの。なんか匂いしたろ?」
「あぁ、うん。別に臭くはなかったと思うけど」
「あれ人によって感じる匂いが違うんだって。よくわかんないけど」
「そうなの? 不思議なことだらけだな……」
話をする梛莵と曷代の間に顔を出し井守宮は笑う。
「なんや男の子はこうゆーん厨二心擽るんやろ? 可愛いやっちゃ」
「う、正直ちょっとわくわくしたのは否めない……」
「俺別に擽られてないです。お疲れ様でした帰ろう曷代」
曷代を引っ張り帰ろうとする梛莵を掴み止める井守宮。
「なんやなんや冷たいな! 君らん為に怪我したんや労ってぇよ!」
「もう治ってるでしょう……ちょっとどさくさに紛れて人の尻揉むな!! 触らないって言ったでしょ!!」
「うちにもごほーびちょーだいな」
「やめっ! 朱弥さん!」と朱弥の方を見ると座り込み机に伏せていた。
「って燃えつきてる……もうあの人何しにきたの……」
「あれほっといてええで、そのうち生き返るやろ」
井守宮は二人の頭を軽く撫で見送る。
「まぁ……気ぃつけて行ってきぃよ。無理もせんでな」
「「はい」」