友達の姉の部屋で友達の姉を嗅ぐ話
三好は雑、そう何度も思っていたけれど、ここまでとは。
ことの発端は同級生で親友の三好睡蓮と遊んでのこと。
彼女は快活で運動が得意、けど宿題はいつも私のを見ているし授業中に寝ていることも多い、なんともわかりやすい人だった。
高校生の女子たるものこうあるべし、といった理想像からかけ離れているけれど、にこやかに大きな声で笑う姿が好きなのでなんとも言えない。
「やっべ体操鞄忘れた! 先に部屋で待ってて!」
下校途中、三好はそう言って学校の方へと突っ走っていった。三好の家が近いのにどのタイミングで忘れているんだ、と注意することすらできず、私は小さくなっていく彼女の背中を見送った後、三好家にお邪魔することにしたのである。
玄関を入ってすぐ、廊下の左に三好睡蓮の部屋がある。彼女の性格には似合わない小綺麗な部屋である。もっともテレビやゲーム機はおろか、タンスなども他の部屋にあるため、部屋というより簡素な寝室兼勉強部屋であるらしい。ならば小綺麗なのも頷けるか。
と思ったら、そこに見知らぬ女性がいた。
いや見知らぬ、は言い過ぎた。
身長160にやや足りない、三好や私より少し背が低く、艶々で育ちの良さそうな、どうしたら三好と同じものを食べて同じ家に住んでいるんだろうと思う、どこか神秘的な座敷童みたいな女性。
三好紅梅。睡蓮の姉である。
「……なんで姉君がここに?」
「姉君!? ……何があったかはだいたい想像つくわ。ここ、私の部屋だし」
はて、と一瞬小首を傾げたが、その言葉を聞けば全て理解した。
どうせ睡蓮の部屋は汚くて使い物にならないから遊ぶ時だけ姉の部屋を自分の部屋だと偽っていたのだろう。推理というまでもない自明の理に、胸の中のつっかえがストンと落ちた気がした。
「あなたが噂に聞く吸血鬼ちゃん? ……なんでそんな風に呼ばれているか聞いていい?」
「名前が加美蘭って言うんです。噛むとカーミラで吸血鬼っぽいっていう渾名」
「へぇ~! ちょっと納得した!」
お人形のようにちまこい紅梅さんがほんわかっと破顔した。こんな風に表情を変えられるんだと私もどこか胸がぽかついた。
稀にこの人をこの家で見るけれど、親戚の子供みたいにじろっと見てくるだけでもののけの類であると思う方が合理的だった。今、初めて一人の人として向かい合えている。
睡蓮のいう姉君は……いつも文句ばかりだ。うるさいとか邪魔だとか。私は一家に一人こういう人が欲しいと思うけど。
「……まあいいや。お邪魔します」
「えっ、遠慮とかしないの?」
相変わらず人形みたいなので、私は戸惑いの声を無視してベッドに寝転がった。
奇しくも紅梅さんも睡蓮もこの部屋では勉強机に座るのが主流らしく、私は遠慮せず睡蓮の……じゃなくて紅梅さんのベッドに寝転がった。
はた、と気づいたことがもう一つ。
過去こんなことがあった。
「マジで三好の枕めっちゃいい匂いするね。三好の頭よりいい匂いするのはどういう魔法? シャンプー使ってる?」
「シャンプーくらい誰でも使うわ! あー、いや、それは、風呂上がった後だからいい匂いが残りやすいとか?」
「なるほ。じゃあこの枕もらうから」
「いややらんし!」
三好睡蓮相手だから遠慮せずに枕をすんすんしていたが、これは紅梅さんの枕、および寝具ということになる。
これは参った、以前のようにすんすんできなくなる。
そんな躊躇いが、3秒。
「紅梅さんの枕すげーいい匂いですね」
「!? ちょっ、なんで嗅いでんの!?」
「シャンプー使ってます?」
「シャンプーくらい誰でも使うし! いや嗅ぐなって!」
椅子から降りそうな紅梅さんと、枕を抱きしめたままの私。
膠着状態は、2秒。
「すんすんすんすんすんすんすんすんすんすん」
「やめろーっ!」
とてとて、って感じで姉君が走っておられる。ベッドにもふん!と墜落した彼女とまくらを引っ張り合う関係に。
「なんで人の枕を嗅ぐの!? 恥ずかしいでしょ!」
「でもいつも吸ってました」
「吸って!?」
「睡蓮がちょっと嫌そうにしてたのって姉君の枕だったからなんですかね~」
「誰だって枕吸われたら嫌だと思うけど!?」
言いながらイーッと枕を引っ張る姉君だけど、私から分捕れそうにはない。力も弱い人らしい。
しばらくぶんぶんとランデブーをしていたけど、やがて疲れたのか姉君は手を離してドアの前に立った。
「……もういいわ。どうせ睡蓮も帰ってくるし、いつもどおり思う存分嗅ぐなり吸うなりしてなさい」
「お言葉に甘えます」
大人の諦め、もといガキの負け惜しみを吐き捨てて姉君は部屋を出て行った。
しかし知らない女性の寝具の上で汗を掻くと、なんかムラムラしてくるのが人の情。
「股に挟むか」
枕をあそこに押し付けるみたいに挟んで、掛け布団に顔を埋める。
今までなんの変哲もなかった寝具が突然素敵なアメニティに早変わりした気分だった。うーんアメニティ。
「やっぱちょっと待って……何してんの!?」
「股にかけてます!」
「このっ……!」
今度は股に挟んだ枕を引っ張られる。手で掴んだものより両足でしっかり挟んだもののほうが奪われにくいと思う。
「なんの嫌がらせ!?」
危うく昂った自分を慰める姿を見られてしまうところだった、そんな気恥ずかしさのせいか私も少しムキになっていた。そんな本気でしようとしていたわけではないけれど……。
「絶対に枕は渡しません!」
「なんで!? 怖い怖い!」
じたばたドタバタ。
シーン。
すぐに姉君はお疲れなさった。
「……どうしたらいいの?」
「あ、じゃあ姉君の頭匂わせてくださいよ」
「えぇ……? まあそれであなたが枕を返してくれるなら……」
ぴょこん、と姉君が頭を差し出す。てっぺんのつむじが見えるくらい従順で、ますますあどけない雰囲気が漂う。
せっかくなので遠慮せず、私は頭を両手でしっかり掴んで匂うことにした。
「すんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすんすん」
「わーめっちゃ嗅がれてる……」
「やっぱマジでいい匂いですね。柔軟剤も使ってます?」
「頭に柔軟剤は誰も使わないんじゃないかな……」
頭から手を離すと姉君は髪を撫でながらはにかんで俯く。
「で、枕と頭、どっち嗅がれる方が恥ずかしいですか?」
「それは……どっちも嫌」
そのまま、先輩が枕を引っ張る。もう私は満足したので足の力を緩めて返してあげた。
「……もう部屋貸すのやめようかな」
「それがいいですよ」
「あなたが言うな」
「お礼に嗅いでいいですよ」
「嗅ぐかっ! 嗅……」
すん。
何の興味か。
どういう意味か。
少しは仕返してやろうとでも思ったのか。
姉君は私が足に挟んでいた枕をひと嗅ぎした。
それに私が何か言う前に、凄い勢いで部屋を出て行った。
「ただいまっ! 待たせたねごめん!」
「三好、ここお前じゃなくて姉君の部屋じゃんかよ~」
「あは、バレた? まあいいじゃんいいじゃん。勉強教えてよ」
こうして日々は滞りなく過ぎていく。