二ノ世界のハザマで
「旅人になるってホンキかい Ms.高槻?」
「あの、えっと、その、面白そうだなって、少なくとも今よりは。でも無理ですよね、わたしなんか」
「Ms.高槻、キミがもしもソレをノゾんでいるのならカノウだ」
マガリさんはそう言った。
「わたしも行こうかな、異世界」
「ソレはそうとコレからのセイカツはどうするのサ。Ms.高槻?」
「ははは、どうしようかな」
わたしは妙な感覚に支配されていた。
わたしの体が勝手に動いていて、わたしの心がそれを見ているような感覚。
妙に冷静なわたしと妙に唐突なわたし。
それはそんなふたつのわたしが両立している感覚だった。
「ソウか、ならばコウしよう」
マガリさんはそう言うと黒い何かを取り出した。
マガリさんはそれを口に付けて吹いた。
ピュラララーとちょっと間抜けな音がした。
どうやら笛だったよういだ。笛を吹くマガリさんがちょっと色っぽかった。
空中に木の扉が現れた。
昔見たアニメのなんとかドアを思い出した。
そのアニメを見てたら父様が怒ってぶってこられた。
そして父様はテレビを消された。
ちっちゃいわたしはそのアニメが見たくて泣きじゃくってた。
そしたら父様がテレビを叩き壊されたことが懐かしい。
「さあ、イこうか」
マガリさんが扉を開いた。その先は町だった。
少し思考を整理しよう。
扉の向こうは多種多様な服装の人が歩いていた。
角が生えていたり、羽が生えていたり、小さかったり、大きかったり、耳が長かったり、痴女みたいな格好をしていたり、剣を背負ってたり、明らかに機械だったり、耳が四つあったり、尻尾が生えていたり、鎧を着ていたり、いろんな人がいた。
奇抜な人が多いことに少し動揺した。
特に普通の耳と頭の上に毛の生えた耳を合わせて四つの耳がある人が
マガリさんは躊躇無く魑魅魍魎跋扈する扉の奥へ踏み出した。
わたしは恐る恐るマガリさんのマントの裾をつまみながら着いていった。
町は全体的にオレンジ色だった。光の色が暖色系なのだろうか。
「マガリさん?」
わたしの胸の中は不安でいっぱいだった。
マガリさんは無言だった。
シラソドレと笛の音が聞こえてきた。
なんだか元気が出る音だ。
「魔王のエンソウとジキがカブるとはオドロきだ」
「魔王?」
マガリさんのマントの裾をつまみながら聞いた。
「魔性の元女王のカタリーナのコトサ」
「魔性の元女王?」
聞き逃しにくいワードがマガリさんから出てきた。
「魔性の女王様カタリーナが異世界人にホのジになってツいていったらしい。そしてここでフエをタマにカナでているのサ」
「たしかにすごいきれいな音色」
「あの図書館のマドからカナでているのサ」
マガリさんがここで一番立派な建物を指さした。
その建物の二階の窓に美人さんが横笛を吹いていた。
その姿はノスタルジックでもありエロティックでもアーティスティックでもあった。
つまり、すごく良い。
目を奪われてしまった。
演奏が終わった。
ものすごい満足感だった。
ものすごい元気が出てきた。
音楽ってここまで人の気持ちを変えられる物なんだって感動した。
この感動を共有したい、マガリさんと。
「すごかったね。本当にすごかった」
「いいからイこう、Ms.高槻」
「行くってどこに?」
「市場サ」
「市場?」
「サマザマな世界のサマザマなモノをウっている市場サ」
マガリさんはそう言うと行列に並んだので、もちろん裾を摘んでいるわたしもその後ろに並ぶ感じになった。
「この列は?」
「換金所サ」
「換金?」
「世界ごとにチガうツウカをトりカえてくれるトコロサ」
全く話に着いていけてないことに焦燥感が生まれた。
ここで落ち着くためにこれまでの事を振り返ろう。
今のわたしはテストで一問間違えてマガリさんに会って自由な一日をねだって学校に瞬間移動して異世界人になりたいってマガリさんに言ったらこんな妙な場所に連れていかれて市場に行く前に換金所の行列に並んでいる。
マガリさんと出会ってからの密度が濃いことに改めて驚いた。
すごい驚いた。
行列が流れるのは速かった。
回転率が高いのだろう。
行列の先には腰ぐらいの高さの大きな天秤が六つあった。
そしてその天秤はちょうど半分の所で鏡に埋まっていた。
片方の秤がこちらを向いてもう片方の秤が鏡に埋まっていた。
「Ms.高槻、キミのおカネをハカリにノせてくれ」
マガリさんに促されるまま財布を開いた。
でも怖くなって一円玉二枚と五円玉一枚だけ天秤に乗せた。
鏡の向こうのわたしも天秤にお金を乗せたので傾きはしなかった。
すると天秤が横に回転して鏡の中にわたしのお金が吸い込まれて、鏡からもう一つの秤が出てきた。
ここでわたしはおかしなことに気が付いた。回転する天秤の軸の半分を普通の鏡に埋め込んで回すと天秤がくの字に曲がるはずなのに、この天秤はまっすぐのままだったのだ。
そんなことを考えていると天秤が一周した。こちらの手前の秤にはいつのまにやら紙が乗っていた。
紙は、百マザーと書かれた青い紙が二枚、十マザーと書かれた紫の紙が一枚、一マザーと書かれた白い紙が七枚の合計十枚あった。
マザーは通貨だろう。母親という意味と何か関係があるのだろうか。
合計二百十七マザーかレートは一円で三十一マザーであっているだろうか。
半端だ。まあたとえピッタシでもそれはそれで気持ち悪いだろう。
「Ms.高槻、アトがツカエている。もうイこう」
わたしはマガリさんについていったが、もうマントの裾をつまむ気は起きなかった。
大きなゲートをくぐるとマガリさんが口を開いた。
「Ms.高槻、ココが市場サ」
色とりどりのシートの上により取り見取りの商品が並んでいた。
それぞれのシートの上には露店主がいてお客さんと話をしたりしている。
そんな店が道の奥まで続いている。そんな光景だ。
海外のマーケットってこんな感じなのかもしれない。海外渡航歴どころかパスポートさえ持っていないのにそんな事を考えてしまった。
「素敵」
思わずそんな言葉が口から洩れた。
わたしは揚々とマガリさんに着いていった。
マガリさんが立ち止った。
「テンシュ。異空テントをヒトつタノむ」
「一つ二百マザーだよ」
汚れた茶色いマントと使い古したゴーグルをつけた店主さんに促され百マザー札を二枚支払った。
「市場でのヨウはスんだ。Ms.高槻、キミはハラがスいているか?」
わたしはうなずいた。
「テモちのおカネはまだあるかい?」
わたしは頷いた。
財布にはまだ七千円入っている。
「ショクジには三万マザーイる」
マガリさんはそう言って来た道を戻ろうとした。
わたしはせっかく市場に来たのにこれで終わりかと拍子が抜けた。
「えっと、まだマザーに替えてない です」
マガリさんにそう言うとまた天秤に向かうことになった。
さっきの天秤まで戻って列に並んで九百七十円置いた。
実のところ三万マザーには九百六十八円で事足りるのだが五円以下の小銭はさきほど使い切ってしまった。
予想通り一万マザ-札三枚と十マザー札七枚が置かれていた。
これでわたしの所持マザーは三万飛んで八十三マザーとなった。
ここで一つ気になることができた。
でも、列から離れるのが先決だ。
「ねぇ、マガリさん。ここの天秤って日本円をマザーに替えるだけじゃなくて、マザーを日本円に替えることもできるの?」
「もちろん、デキるともMs.高槻。それどころかどのクニのツウカとも、どの世界のツウカともカえられるとも」
満足いく回答が得られた。
「マガリさん、次は食事?」
「Ms.高槻、セイカイだ」
こうしてマガリさんは次の目的地に向かいだした。
わたし個人としては魔王さんが演奏していた図書館に行ってみたいが、それは腹ごしらえが済んでからにしよう。
というか異界テントとはなんなのだろう。
というかここはどういう場所なのだろう。
「ねえ、マガリさん。ここってどこなの」
「ここは世界と世界のスキマ。ハザマサ」
「えっと、もしかしてマザーって?」
「ココのナマエであるハザマをモジったモノサ」
「ぷふっ」
まさかとは思ったが予想の千倍はくだらない理由で吹き出してしまった。
マザーという名前は、別の世界だし母が由来ではないと思っていたけどハザマっていう町の名前をちょっともじっただけだとは思えなかった。
「レストランへイこう。カクベツのアジサ」
そう言うとマガリさんは歩き出した。
改めて見るとマガリさんの歩き姿、すごいまっすぐで綺麗だった。思わず見惚れてしまう。姿勢が良い人を見ることは良いものだ。
なんか気分が上がってきた。
ルンラルンラブンラブンラと頭の中でリズムを刻んだ。
頭の中にさっきの魔王の演奏が流れた。
何が楽しいのか分からないけどとにかく楽しい。なんていうか、脳内麻薬が大量に分泌されている実感があると言えば良いのだろうか。
これがわたしの秘められた非日常願望が解き放たれる快感か!!!
なんてよく分からないことを考えながら統一感の欠片もない人ごみと街並みの中歩いていたわたし。
そんなわたしは気が付いたらマガリさんを追い越していた。
レストランへの行き方をマガリさんしか知らないにも関わらず。
なんてポカをしてしまったのだろうか。だからわたしは駄目なんだ。
肩を叩かれた。
「Ms.高槻。あまりトオくへハナれられるとコマる」
つい涙が出てしまった。
知らなかった、安心した時も涙って出ることを。
辛うじて嬉しい時と悲しい時と痛い時苦しい時に涙が出るのは知っていたが、安心した時にも涙が出るのは知らなかった。
マガリさんがわたしの肩を引いて抱き寄せてくれた。
マガリさんはわたしに胸を貸してくれた。
わたしは思いっきり泣いた。
ありがとうマガリさん。
ありがとう。
わたしの涙が枯れて少し落ち着いた。
「ダイジョウブか?Ms.高槻」
マガリさんの優しい言葉にわたしは精いっぱいの笑顔で答えた。
「ヨかった」
そう言ってマガリさんはわたしの手を強く握って歩き出した。
やばかった。なにがやばいのかって、脈拍の間隔。興奮して体中に酸素を送りまくろうと心臓さんが人生最大級に頑張っているらしい。交感神経フル稼働中だ。
その結果体温の上昇により顔が赤くなり汗が大量に分泌されている。
マガリさんに嫌われないだろうか。そう考えだすと怖くて止まりそうになかった。
そういう嫌なことは考えない。残念なことにそれには慣れすぎていた。
それと今のわたしは幸せだ。
ありがとうマガリさん。
それにしてもマガリさんは男性なのかな女性なのだろうか。顔つきでは判断できないし体つきは黒マントでよく分からない。
そもそもマガリさんってマガリが本名なのだろうか。油か何かをもじったのかもしれない。
そんなふうに思考が脱線して周囲の奇特な景色は全く頭に入らなかった。
ここで一つ重大なことに気が付いた。わたしという人間は幸せな時は突飛というか不思議というかオブラートに包んでいえば愉快な思考をしてしまうということだ。
知らなかった。
なぜ知らなかったのか深く考えると悲しくなるのでやめておこう。
「ツいたぞ」
マガリさんが煉瓦の建物の前で足を止めた。
もう少し遠ければよかったのに。
ここで急に手を繋ぐ恥ずかしさが強くなってマガリさんの手を振り払ってしまった。
マガリさんは扉を押した。
「マガリ久しぶりだね。そっちのお嬢さんは初めましてかい?」
建物の中はカウンター形式のお店になっていた。カウンターの中にはお客さんが3名ほどいた。
カウンターの中央にこの店のコックらしき男が白衣に身を包んでいた。
「ヒサしぶりだなMr.レトラン。カノジョはMs.高槻、イマのボクの世界の【主人公】サ」
「なるほど。お嬢さんうちの店は最高に旨いぜ。度胆抜かしても知らんぞ」
わたしは愛想笑いで誤魔化した。
マガリさんに倣いカウンターの席に着いた。
「うちの店は料金先払いになってるんだ。料金は三万マザー、メニューはシェフのお任せだけだ」
「ああ、はい」
わたしはそう言ってシェフのレトランさんに三万マザーを支払った。
マガリさんも同じく三万マザーをレトランさんに支払った。
マガリさんもこの店の常連さんみたいだし怖くはなかった。
むしろ期待で胸がいっぱいだった。
「了解だ。嬢ちゃん」
レトランさんは調理を始めた、目にも止まらない速度で。
速い、速すぎる、わたしの動体視力をはるかに超える速度で調理は進んでいく。
ようやく理解した。ここハザマは人外魔境だ。魑魅魍魎跋扈する地獄みたいなとこんだ。物の怪たちは今は手を出してこないけれどマガリさんから離れたら喰われてしまう。
まあ、そんなことはないだろう。
ないだろう。
「はい、お待ちどうさん」
レトランさんの速度が目に追える普通の速度になった。
レトランさんは黄色い丸いぷよぷよした握りこぶしぐらいのなにかが乗った皿を手に二つ持っていた。
それがわたしとマガリさんの前に一皿ずつ置かれた。
これはパンみたいに手で持ってかぶりつけばいいのだろうか。
冷静に考えてみれば世界が変われば食文化も変わる。
この世界のハザマで食べ物屋さんをやろうというんだ。
少なくともお箸やフォークは使わないで手掴みが主流になるだろう。
マガリさんはわたしの想像通り黄色い丸いパンもどきのに思いっきりかぶりついた。
そのワイルドさに少し見惚れてしまった。
わたしもマガリさんの真似をしてまず手でパンもどきを触った。ものすごく軟らかかった。
まるでこの世の物ではないみたいな。
まあ、少なくともこの世の物ではないな。
それを躊躇せず思いっきりかぶりついた。
これはパスタだ。肉まんだ。
黄色いぷよぷよしたパンもどき(仮)の食感は、ものすごい軟らかいのに歯でしっかり噛み切れた。
そして外側の黄色いぷよぷよした部分はパスタみたいな味がするのだが、それはこの料理の皮に過ぎない。
この料理の内側からあふれ出る肉汁としょっぱさそしてほろ苦さ。
レトランさんの言葉通り最高に旨いじゃないか。
レトランさんの言葉通り度肝を抜かれたぜ。
気が付いたらなくなっていたぜ。
でも、食い足りない感じはなくむしろ満腹だぜ。
あんなに小さかったのに満腹になったことに動揺して地の文でふざけてしまったわたし。
これが俗にいうミステリアステンションの境地というものなのだろうか。
旨いものを食べて、生まれてこの方初めて位にテンションが上がっているこの状況はまずいかもしれない。
あまりのテンションに変な暴走をしてしまいそうで恐い恐い。
「ヨウジはスんだ。カエるぞMs.高槻」
そう言うとマガリさんは立ち上がり扉の前まで移動した。
お代を払わなくていいのかと少し心配するが、先払いだったことを思い出した。美味しすぎて思考が飛んでいたみたいだ。
というかこれだけ美味しくて満腹になれて日本円に直すと千円足らずは安すぎる。じゅるりとよだれが出そうだ。
「あの、レトランさん? 料理美味しかったです。度肝抜かれました」
ちょっとレトランさんの名前があっているか自信がなかったが、それ以上に美味しい料理を文字通り目にも止まらぬ速度で作ってくれた感謝を伝えたかったのだ。
「そうかい。お嬢さん。それは良かった」
レトランさんが幸せそうにしているのを見てわたしまで嬉しくなってしまった。
知らなかった。幸せって伝染するんだ。
わたしがマガリさんの後ろに立つとマガリさんは扉を開けた。
そしてマガリさんは歩きだした。
わたしはマガリさんに着いて行った。
マガリさんと歩いている道に見覚えがあった。
このハザマにわたしたちが入った場所へ向かっていることをわたしは察した。
想像通り最初に来た道に戻った。
ここで一つ気が付いた。
ハザマに来てからずっと靴下で歩いていたのに全く足が痛くなっていないことだ。
やっぱりこれは夢なのかな?
だとしたら嫌だな。
というか図書館に寄りたかったな。
そんなことを考えながら、わたしとマガリさんはハザマとわたしの世界の出入り口の木の扉まで戻った。
そして木の扉を開けると、暗いとはいえいつもの教室だった。
マガリさんが先に戻ったが、わたしはハザマが名残惜しくて少し立ち止まった。
でもマガリさんがここにいる。そう考えると少し楽になれた。
わたしはハザマからわたしの世界に戻った。
「旅人になるってホンキかい Ms.高槻?」