十七の世界の将軍様
地面を蹴ると手を離した風船みたいに落ちることはなかった。
わたし浮いてる。自由に動けないけど浮いてる。
『浮煙の効果です』
サンキュー、ヘスティアさん。
浮煙ってことは勇芽ちゃんが浮かせてくれいるのかな。横を見ると勇芽ちゃんもマガリさんも浮いていた。
わたしが今スカートだということに思い至り、マントの中からスカート越しに尻に触れてスカートを押さえる。
でもこれ良い。
父さんに小さいとき一度だけ連れていってもらったプールで意味もなく浮いていた時みたいに気持ちいい。
そうそう、学校で水泳が近い日はできるだけ叩かれないように良い子にしていたのが懐かしい。
「空を飛ぶって良いね」
そんな言葉が溢れ出た。
「ああ、ソウだな」
マガリさんもそう言った。
行き先は城の向こうのようだ。
この町を見ていて城から海にかけては町が作られているが、城の向こう側は人が住んでいないような険しい丘であることに気が付いた。
その丘では戦国時代や平安時代の足軽のような装いで槍や弓を持ったざっと百人はいる武者さんたちが丘の上を列を組んで走っていた。
「この世界の主人公は雑兵なんですか?」
わたしは少し気になった。
「いや、シキをトっているあの男だ」
マガリさんが武者たちの先頭で指示を出している男の人をそう言って指さした。
その男は小柄ながら威厳のあるパリッとした人だった。
「行軍の練習みたいだ。終わるまで待ってよう」
真弓ちゃんがそう言ってわたしたちを空から落として軟着陸させた。
茂みに三人で潜んで様子を伺うわたしたち。
どうやら、あの足軽たちは実戦の装備で動くのに慣れる訓練をしているみたいだ。じゃらじゃらと鉄と鉄がこすれる音がやかましい。
そして、この世界の主人公らしい男だけは軽装で将軍と呼ばれていた。鉄のこすれ合う音に負けないように将軍様の横で太鼓を打つ男がいた。その音で武者さんたちに指示を出しているみたいだ。
もう一人鎧をつけず槍を背負った男前な人が最後尾で目立っていた。
姿勢の注意や疲れにくい歩き方の指導は隠れて聞いているわたしが参考にしたくなるぐらいにはためになった。
そして、一通り動き終わったようだ。かなり疲れるらしく肩で息をしているものも少なくなかった。
「蒼牙、後は頼んだ」
将軍様はそう言って軽装の槍を背負った男に声をかけられた。その男はおそらく蒼牙さんというのだろう。
「任せてください。吉備太郎殿」
将軍様の言葉に胸を張って答えた。将軍様は吉備太郎さんというらしい。
蒼牙という男の指示に合わせて太鼓が素早く三回叩かれた。声で少し脱力していた武者たちの目に活気が戻り槍を横にした。
蒼牙さんの指示に合わせて太鼓が大きく一回叩かれた。みな槍を前に突いた。
今度は素早く二度太鼓が叩かれて足軽たちは構えたまま歩きだした。
見ているだけで楽しいがさっきヘスティアさんに見せてもらったほど飛び抜けて強いわけではなく拍子抜けでもあった。
「いつ、セッショクする?」
マガリさんが勇芽ちゃんに確認を取った。
「いつでも良い」
勇芽ちゃんがそういうとマガリさんが消えた。
吉備太郎さんや蒼牙さんの横にマガリさんがいた。
いつものワープだろう。
すぐさま太鼓が叩かれ、鎧が擦れる音とともにマガリさんに槍が向けられた。勇芽ちゃんはあきれていた。
「どうしたんですか?」
勇芽ちゃんに聞いてみる。
「マガリのワープや時間停止は一つの世界につき五回しか使えない。そんなチートを無駄使いしているのが頭痛くて」
ワープや時間停止は五回までなのか。わたしの世界では初めてマガリさんと会ったときと父から護ってくれたときと父の後ろに移動したときと学校に移動したときと恵鯉香ちゃんのところに移動したときの計五回使ってくれた。
そんなにわたしのために使ってくれたんだ。
サンキュー、マガリさん。
おそらく、チートは和製英語だろう。確かteatは乳首という意味だ。それも人間以外の乳首。人造人間の乳首はnippleじゃなくてteatなんだ。一応、cheatの方のチートは騙すっていう意味の英語になるけど動詞なので違うだろう。
それにしてもマガリさんの乳首でワープとか時間停止するとはどういうことだろう。
マガリさんの乳首は浴場で見ただろうか。ああ、見たような。って何欲情してるのよ。下らないダジャレだ。
で、どういうことなのヘスティアさん?
『真弓と勇芽の言語が非常に近かったため翻訳魔法にエラーが起きました。チートは世界そのものに対して意図的にエラーを起こさせる技術の総称です』
サンキュー、ヘスティアさん。
つまり乳首ではなく騙すだと。
『はい』
世界そのものを騙す技術の総称だと。
『はい。翻訳魔法にエラーが発生しないよう修正しました』
サンキュー、ヘスティアさん。
そんなことをヘスティアさんとしていると勇芽ちゃんが話しかけてきた。
「ヘスティアにマガリの会話を拾わせて」
勇芽ちゃんの台詞が見事に五七五なのが無性におかしかった。
「なに笑ってるの」
勇芽ちゃんが冷ややかに言った。
「だって うふふふふ」
なんだか解らないけど楽しい。
「私たちも行くよ」
勇芽ちゃんはそう言って立ち上がりマガリさんたちに向かって手を振った。
そしてマガリさんたちに向かって歩いていった。不安なので勇芽ちゃんの後ろに付いていった。
「彼女はMs.勇芽、後ろがMs.高槻。ボクのタビのミチヅれサ」
マガリさんがわたしたちを紹介してくれた。
「遠方とはどこだい?」
吉備太郎さんがそう聞いてきた。
「大陸か、それとも、月か?」
蒼牙さんも重ねて聞いてきた。
「ちがっ」「まあ、そのような物ね」
別の世界から来たと説明しようとしたら勇芽ちゃんが割って入ってきた。
勇芽ちゃんが月から来たと大方肯定したのが腑に落ちなかった。
『勇芽からメッセージが届きました』
なんでしょう、ヘスティアさん?
「多世界解釈が存在しない世界では異世界のことを月と説明することがあるの」と勇芽ちゃんの声がしたが勇芽ちゃんの口は動いていなかった。
ヘスティアさんに通信機能があることに驚きと納得が入り交じった。
多世界解釈が存在しない世界があることは考えていなかったが言われてみれば納得だ。
「本当に月から来たのかい」
吉備太郎さんは顔を険しくして腰の刀に手を置いた。
「ボクたちは世界をコえる旅人サ」
マガリさんがすました顔で言った。
「世界を越えるとはどういう事だ?」
蒼牙さんが怪訝そうに言った。
「まず、世界は無数に存在しています。私たちは訳あって自分の世界を離れて旅をしています。私たちが主人公と呼んでいる人間の力を借りて世界を越えると私たちに幸が訪れるのです」
勇芽ちゃんがゆっくりと言った。
勇芽ちゃんのですます調が新鮮だった。
「無数の世界とはどんな物があるのだろうか?」
吉備太郎さんがゆっくりと問いかけてきた。
「ムスウはムスウサ」
マガリさんがそう言って悦に浸ろうとした。
「私が訪れた世界はほんの一部ですが、保存食が発展し三年放置しても腐らずお湯をかけるだけで変わらないおいしさで食べられる料理がある世界、争いの果てに大地を汚染して少なくなった大地を奪い合っていた世界、さらには自然の力を吸い取り放つ技術がある世界なんてのもありました」
勇芽ちゃんが淡々と懐かしむように言った。
あと勇芽ちゃんが言った中に即席麺の話が混じっていたように思えた。
「なるほどなんと面妖な話だろうか。今までの話が仮に全て真だとしてこの世界の主人公はいったい誰なのかな」
吉備太郎さんは勇芽ちゃんの目をじっと見つめていた。
「キミサ」
マガリさんが言った。
「吉備太郎殿が主人公だと」
蒼牙さんが疑るように言った。
「残念だけど私は主人公じゃない。世界を越える力なんて持ってないからね」
吉備太郎さんは申し訳なさそうだった。
「いえ、あなたが主人公なのです。主人公とは世界の調和を保つ役割を持っていて私たち異世界の人間があなたの望みを叶えることで世界の門が開くのです」
勇芽ちゃんから主人公の新情報が出てきた。
「この場で話していても埒があかない。その腰物は飾りではないでしょう」
蒼牙さんが槍を勇芽ちゃんに向けた。勇芽ちゃんも腰の刀に手を乗せた。
「拙者と刃を交えてくれませんか。それがあなた方が信頼に足るか一番分かりやすいので」
「寸止めでいいなら受けてたちましょう」
そういって勇芽ちゃんも刀を抜いた。
どうやら蒼牙さんと勇芽ちゃんの試合が始まるようだ。
「ハナれるぞ、Ms.高槻」
マガリさんがそう言ってわたしを引っ張った。
気が付けば蒼牙さんと勇芽ちゃんを中心に円が出来上がり兵士たちは座ってじっと二人を見ていた。
「蒼牙さん、始めの合図は真弓に任せていいかしら」
勇芽ちゃんがわたしに振ってきた。
「なんでもいい」
蒼牙さんの声が低くなって少し怖い。
視線がわたしに集まった。開始の合図をしなければ。
だがここで開始の合図をどうすれば良いのか分からないことに気が付いた。
「えっと」
次の言葉が出てこない。
「始め」
わたしは声を振り絞って言ったが大声を出しすぎて怖くなった。
「で良いんですよね?」
そんなわけで普通の音量の声で確認を取ろうとしたら「はあっ」という蒼牙さんの声のあとキーンと金属と金属がぶつかる音が響いた。
さっきの始めを合図だと思っていないのはわたしだけだったようだ。なぜか胸が痛い。
攻めているのは蒼牙さんだ。勇芽ちゃんの右や左、上や下を蒼牙さんの槍が付け狙う。だがそれは蒼牙さんの槍を勇芽ちゃんがかわし続けているということでもあった。
刀と槍が時折ぶつかる音がするが互いに打ち合った反動で次の一手を繰り出そうとしているのか、鍔ぜり合いは起こらない。
「なかなかやるな」
蒼牙さんの言葉に勇芽ちゃんは答えない。
勇芽ちゃんが打ち合いを止めて距離を取った。勇芽ちゃんが刀を構え直す。
「隙あり」
隙をついて蒼牙さんが槍で突いた。
その槍を刀の柄で勇芽ちゃんは受け止めた。
勇芽ちゃんは吹っ飛ばされて後ろ回り爆転を一回した後下駄を地面にすり付けて止まった。
「今の技は雨水が使っていた遁術に似ているな」
水を打ったように静かなギャラリーたちの中で吉備太郎さんが何気なく発した言葉が響いた。
「なかなかやるな」
蒼牙さんがそう言いながら勇芽ちゃんに攻めかかった。
勇芽ちゃんの右足のつま先に蒼牙さんの槍が吸い込まれるように見えた。同時に勇芽ちゃんの刀が蒼牙さんの胸元に迫った。
よく見ると蒼牙さんの槍は勇芽ちゃんの下駄に刺さり勇芽ちゃんの刃は蒼牙さんの胸元だ。
「Ms.勇芽のカちだな」
マガリさんがそう言った。勇芽ちゃんの下駄がバラバラに砕けた。
その言葉を皮切りに先ほどまで黙っていた兵士たちがざわめきだした。
勇芽ちゃんと蒼牙さんが武器を納めた。
蒼牙さんが勇芽ちゃんに頭を下げた。
勇芽ちゃんはそんな蒼牙さんに頭突きした。
流れる沈黙。勇芽ちゃんに視線が集まる。
「すいません」
勇芽ちゃんが膝を折り曲げ頭を地面に垂れて這い蹲った。つまり蒼牙さんに土下座した。
「ああ」
蒼牙さんは事態に付いていけないようだった。
「あのズツきはベツの世界のアイサツだろう。Ms.勇芽にワルギはナい。ユルしてやってくれ」
マガリさんの言葉で勇芽ちゃんが何故頭突きしたのかは納得できた。
でも胸が少し締め付けられるように苦しくなった。
「まあ、色々あったが拙者の負けだ」
蒼牙さんは申し訳なさそうに言った。
「いえ、寸止めという取り決めで加減されていなければ、たぶんこの刀では負けていました」
そう言う勇芽ちゃんは呼吸も荒く右手が赤くにじんでいた。おそらく土にまみれた長手袋に隠れている左手も似たような状況だろう。スカートも足袋も土で汚れていて右の下駄は完全に壊れている。
対して蒼牙さんの服にはほぼ汚れが付いておらず呼吸も整っている。
「蒼牙。勇芽はどんな人間に見えた?」
吉備太郎さんが蒼牙さんに聞いた。
「昔の吉備太郎殿に似ていました。ただがむしゃらでひたすらで多少の犠牲や危険な賭けにも躊躇しない。見てるこっちが不安になります」
蒼牙さんが照れくさそうに言った。
「そうか。勇芽、マガリ、真弓。ここで話すより城で話したい。勇芽の手当がすんだら着いてきてくれ」
吉備太郎さんがそう言うと兵士さんたちが勇芽ちゃんに近寄ってきた。
「ああ、良い薬を持っているので結構です」
勇芽ちゃんは白い長手袋のチャックを開いて壷を取り出した。壷は空中で制止した。
「なんと面妖な技だ」
吉備太郎さんがそう呟いた。
勇芽ちゃんは左の長手袋を脱いだ。具体的に表現すると左手の手袋の中指部分を噛んで左手を引き抜いた。
そして勇芽ちゃんは制止した壷を開いてそこに左手を入れて抜いた。壷から抜いた左手には白い小さな蛇がたくさん噛みついていた。
蛇が噛みついた左手を右手とすり合わせると右手にも白い蛇が噛みついていた。
さらに勇芽ちゃんは蒼牙さんに砕かれた下駄の残骸にも触れた。
すると下駄の残骸の木片と木片の隙間に白い蛇が噛みついて下駄が繋がった。
勇芽ちゃんの手の白い蛇は薄く透け始め最後には消えた。勇芽ちゃんの手は完全に治っていた。
下駄も完全に元通りになり勇芽ちゃんは下駄を履き直した。勇芽ちゃんはくわえていた手袋をはめ直し壷を手袋の穴に入れた。
「すみました。待っていただきありがとうございます」
勇芽ちゃんは吉備太郎さんにそう言って頭を下げた。
「その面妖な薬や技は他の世界の物なのかな」
吉備太郎さんが落ち着きを取り戻して言った。
「まあ、そのような物です」
勇芽ちゃんが答えた。
「そうか、では君たちを城に招かせてもらう。多少待たせるが構わないか?」
吉備太郎さんがそう言うので全力で頷こうとしたがジェスチャーは異世界では通用しないことを思い出した。
だから言葉で肯定を伝えよう。
「問題ないです」
わたしたちを招くのに多少の用意がいるみたいだ。まあ、これだけの人数で訓練を行っていれば当然だろうと納得した。
おそらく、チートは和製英語だろう。確かteatは乳首という意味だ。それも人間以外の乳首。人造人間の乳首はnippleじゃなくてteatなんだ。一応、cheatの方のチートは騙すっていう意味の英語になるけど動詞なので違うだろう。