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ここで突然話が変わるが、事件当時に流行していたものとして、個人人工衛星の打ち上げがあった。
宇宙技術の著しい発達による衛星打ち上げ費用の低減と宇宙ビジネスに対する国家規制の大幅緩和がきっかけとなり、中小企業やブルジョワジーが熱狂的に自分専用の衛星を競い合うように打ち上げ始めていた。使用目的はそれぞれ異なり、廃れた商店街組合が話題作りのために打ち上げることもあれば、心配性の乙女が彼氏の行動をGPS監視するためだけに打ち上げることもあった。
ビジネスのにおいを嗅ぎつけた宇宙関連業界があちらこちらの土地に衛星発射台を設置したものの、膨れ続ける需要に追いつくことはできず、衛星の発射台は三か月先まで予定がびっしりと埋まっていることもざらであった。それでも、いや、それだからこそ、人々の人工衛星への熱気は過熱し続け、多くの目ざとい経営者が続々と事業に参加を開始し、それがさらに業界内での技術とサービスの向上をもたらした。
企業間競争が激化するにつれ、人工衛星打ち上げの総費用は著しく下がり、事件当時には五万ドル(円換算でおよそ七百万円)さえあれば自分専用の人工衛星が発射可能となっていたのである。この現象は社会的流行という枠組みを超え、洗練化された技術は超国家政策として進められている宇宙開発事業へ間接的に貢献し、また地球に住む人々の一部が持つ、宇宙空間への心理的な抵抗感をやわらげた。
ただしもちろん、物事には必ず表と裏が存在してるのであり、このブームがもたらした深刻な問題にも触れておかなければならない。まず第一に、あまりにも数多くの人工衛星が宇宙空間に打ち上げられたことにより、人の手の及ばない、神秘的かつ雄大な宇宙がある種汚されてしまったということである。自転を繰り返しながら太陽の周りを一年かけて回る地球の周りには、まるで汚物に群がる蠅のように、数え切れないほどの人工衛星が一定の距離を開けて漂っている。
地上からはわかりづらいものの宇宙空間から見たその光景はまさに異様そのもので、宇宙の神秘性を信じる、ある仏教の高僧が写真に収められた現在の地球の様子を見るやいなや、泡を吹いて失神したと言う小話さえ生まれる始末だった。人工衛星に導入が義務付けられたシステムのおかげで衛星同士、あるいはロケットとの衝突の可能性は著しく低くなってはいるものの、その自然の摂理に反する光景はやはり多くの人間の反感を買っていることは周知の事実である。
第二の問題は、あまりに多くの民間企業が人工衛星ビジネスに参入し、また毎日のように多くの人工衛星が打ち上げられたことにより、定められた安全基準を満たさない粗悪な人工衛星の絶対数が増えてしまったことだろう。その悪しき人工衛星は、検問の存在によって人工衛星それ自体の機能はかろうじて保持しているものの、逆にそれ以外に誇れる機能はなく、代わりに目を覆いたくなるような欠陥で満ち満ちていた。
それら機能不全は様々な様相を呈して表に現れる。宇宙空間での突然の発火は序の口で、今まで発生した最悪のケースは、誤作動による人工衛星の突然の墜落、すなわち地球の引力に引っ張られ、そのまま地表へと落下してしまうというものだった。そのような事態において、コントロールシステムが機能していた場合はまだ人のいない砂漠や海上に落下させることが可能となるが、その必須とも言える制御機能までもが同時に壊れてしまっていた場合、問題はさらに深刻なものとなる。
人工衛星は大気圏で燃え尽きることもなく、落下速度を加速させながら地表めがけて突っ込んでくる。粗悪な人工衛星を作る会社及びそのような会社を選んでしまう頭の弱い人工衛星のオーナーに、このような最低最悪のケースを適切に乗り切る能力などあるはずもなく、その緊急事態に置いては各々が右往左往するばかり。
彼らにできることはせいぜい、落下後にはどのようにして責任を逃れればよいのかについて考えることだった




