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人質と犯人の命を救った英雄浜井はというと、誰よりも遠くに吹き飛ばされ、誰よりも打ち所が悪く、結果として誰よりも長い間意識を失った。そして、彼はメディアに取り上げられ、彼が心の底から欲していた賞賛の言葉を受け取るに値するだけの偉業を成し遂げたものの、彼が目を覚ました数週間後には、すでに事件の熱はすっかり冷め、直近に起きた外国王室のスキャンダルに話題は移っていた。
それゆえ、浜井が目覚めたというニュースは新聞の隅っこに載せられただけであり、その瞬間に立ち会ったものは誰一人としていなかった。事件後、一番最初に英雄浜井と言葉を交わすことができた人物は、浜井自身がナースコールで呼びつけた熟年の看護師だった。
一番の功徳を積んだ彼がこのような仕打ちに会うのはなかな不条理ではあるが、世の中とはそういうものだ。職場に復帰したのち、警察庁長官から直々に表彰を受けただけでも十分だと考える方が精神衛生上、好ましいのではないだろうか。
ともあれ、このグローバルでタフネスな時代を映し出すような事件は、一人のセンチメンタルで時代錯誤な方法で事なきを得た。このこと自体は考察に値するものであるし、なおかつ皮肉めいていて興味深い。
少なくともこの墜落した衛星、いや衛星という名のガラクタは、我々に一つの問いを与えてくれた。だからこそ、私はこのガラクタに敬意を示さずにはいられない。いや、ガラクタと呼ぶことは失礼にあたるだろう。代わりに、この衛星のことを、麗しき五百万円分のジャンクと呼ぶこととしよう。