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麗しき500万円分のジャンク  作者: 村崎羯諦
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 ポストグローバルでタフネスな時代がやってきた。


 電波の通信速度は光の速さに追いつく勢いで加速し続けており、その射程範囲も、昨年ついに木星にまで到達しえたことは記憶に新しい。掌に収まる画面によって、地球の裏側で流行している洋服の色彩から、火星で撮られたハートフルな子犬の動画まで検索することができるようになり、人間の認識可能世界はまさに著しい拡張を遂げていると言っていいだろう。


 これほどまでの技術発展を一体誰が予想しただろうか。後からになって、私は予見していたのだと主張する人間はいつの時代においても存在し、それが正しいのか正しくないのかは神のみぞ知ることではあるものの、とにかくここで強調しておきたいことはすなわち、この技術的発展が、産業革命以降における文明の飛躍的進歩だけでなく、人間の夢想的で楽観的な想像力をもやすやすと凌駕するものであったということだ。


 そしてそう考えた場合、やはり問題となるのは被使用的存在としての技術と使用的存在としての人間との関係であろう。文献を子細に引用することは差し控えるが、あるボリビアの大学教授はかつて、人間の能力と技術的可能性との広がり続ける格差を指摘したうえで、人間と技術の支配関係の逆転や、技術への反発心から引き起こされる自然・感性への回帰を悲観的に予期して見せた。彼のそうした主張は、主張それ自体としての価値がある。しかし、彼が想定していた以上に人類というものはしぶとかった。


 もちろん主張されていた人間と技術の進歩の差は今なお拡大し続けていることは事実だが、人類は知能や理性ではなく、地球という一つの惑星の覇権を取るに至った適応力によってその差を補完することに成功した。人類は人類それ自体の総合的能力の発展ではなく、あえて省略と誇張という言葉で説明されるように、不必要な能力を何のためらいもなく切り捨て、代わってより必要とされる能力のみでその身を飾るということを選んだのだ。


 驚くべきことに、この類まれなる取捨選択を、人類は歩調を合わせたように一斉に、そして無意識のうちに成し遂げてしまった。この適応力とも言える鋭敏な嗅覚と同調性は、理性や感性を超えた人類普遍の特徴と呼ぶべき代物であり、昨今の人類学研究の重要論点となっている。


 しかし、このことから直ちに人類賛美の言説、あるいは伝統的な進化論的思考へと飛びつくことは誤りだ。人類が技術の従僕となる現実は回避されたものの、やはりそれを成し遂げたのはアメーバのように柔軟な適応力であり、人類全体の総合的進化・進歩ではない。人類は必要な能力を身に着けるとともに、一方で今まで持っていたはずの能力を失ってきた。


 手の届く共同体中心の考え方から想像の共同体としての国家・民族中心の考え方へと人類の軸が移り変わったように、今では国家を超えた、ポストグローバル的考え方が広く受け入れられている。そしてその「代償」として、人類の認知枠組みは精緻さを欠くことになり、その結果、人間の性格は幾分大雑把、言い換えれば「タフネス」となりつつある(ここでいう「代償」や「タフネス」という言葉には、ある特定のイデオロギーが隠されていることには注意してもらいたい)。


 また技術的発展とその駆使の必要性から、人間の精神は早熟傾向にある。年端もいかぬ女子小学生が、ネットを通じて邦訳されたロシアの無修正ポルノサイトへとアクセスし、無重力化で行われたアブノーマルなアダルト動画を閲覧した後で、それを同級生と嬉々として語り合うことが可能となった。これらは一方の角度から見れば人類の進化であるが、逆方向から見た場合には人類の頽廃とも考えられる。


 両者を分かつのは個々人が依って立つ思想的立場に過ぎないものの、やはり急進的に進む人類の変化に対し、懐疑や嫌悪を否応なしに抱いてしまう人間はいつでも存在する。そして、それと同じだけ、今なお「タフネス」とは程遠い人間も絶滅危惧種のようにひっそりと人間社会に潜んでいる。


 これから話すことになる物語の中心人物、浜井景彦もその類の人間の一人だ。物語をより円滑に、あるいはより深くとらえるために、この浜井景勝なる人物の略歴について若干述べることにする。

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