鮎とお酒と朝風呂と
清流の鮎はスイカの香りがする。
簗でオルソが教えてくれた。
簗に竹のスノコを並べるとあっという間に鮎が捕れた。
その中から30cm超えの物だけを持ち帰り、あとはリリースした。
紅葉するこの時期の鮎は落ち鮎と言い、産卵の為に川を下る、とか卵が美味いとか言っていた。
そして今、囲炉裏の炭火を囲むように串を打った鮎の塩焼きが焼けていた。
皮目が芳ばしく焼けていて、とても良い香りだ。
「おっと、俺の前で汚い食べ方はよしてくれよ」
オルソは鮎を皿の上に乗せて串を抜き、鮎の尻尾の付け根を左手の指で挟むと軽く捻り、右手に持った箸を首のあたりに突き刺した。
皆が見守る中、左手で鮎の頭を摘むと得意気に引き抜いた。
箸の間を背骨がスルスルと通り抜け綺麗に抜けた。
「すごーい、手品みたい」
シャーロッテは興奮して早速真似している。
「箸で身を押して尻尾を切り取るのは知ってたけどそんなに簡単なやり方があったのね」
レフレッシも驚いていた。
「あれ?」
シャーロッテの鮎の骨が途中で千切れてしまっている。
「尻尾についている骨を90度捻ると取れるよ」
リナルドが補足する。
オルソは説明が苦手な男だった。
言われるがままに骨を捻って頭を引っ張ると、確かに綺麗に抜けた。
「神官の姉ちゃんも新しいので試してみな」
失敗作を前に悩んでいたシャーロッテの鮎をサッと取り上げると新しい鮎と入れ替えてやるオルソ。
良いところあるんだな。
若女将が氷水に入れた酒瓶を持ってきた。
「麦酒と米酒があるけどどっちが良い?」
「風呂上がりは麦酒で乾杯しないとな」
オルソが主張する。
「近くの酒蔵で少量だけど両方造ってて、どっちも美味しいのよ」
言いながらオルソのジョッキに麦酒を注いだ。
「私も麦酒を頂きます」
「あ、私もー」
バルデュールとレフレッシも手を上げた。
結局全員麦酒を貰った。
「それじゃ、温泉に!」
レフレッシが勝手に乾杯の音頭を取るが、案外適任なのかもしれない。
「鮎は尻尾から食えよ」
オルソのうんちくはうるさいが卵がパンパンに詰まった鮎もよく冷えた麦酒も最高に美味かった。
シャーロッテも食べ方は上品だが、みんなと同じペースで食べている。
1人5匹用意された鮎の塩焼きはあっという間に消費された。
「気持ちの良い食べっぷりね」
若女将が次の料理を運んできた。
「鮎とさつまいもと椎茸、ナスと栗と梨の天麩羅だよ」
おぉ、誰がと言う訳でもなく歓声があがる。
熱々の鮎の開きの天麩羅に塩を振って頂く。
さくさくとした食感の衣と鮎のふっくらとした身が絶妙な歯応えで、揚げ物なのに油っぽさが全く無く塩加減もバッチリで美味い。
天つゆが用意されており、そちらも試してみる。
天つゆを軽く吸わせた衣はサクッとした食感を残しつつ、しっかりとした出汁と主張し過ぎない醤油と味醂の味が絶妙なバランスで美味かった。
リナルドが言うには卵に栄養分を取られるメスよりオスの方が身は美味しいんだとか。
俺はどっちも旨いって事で良いじゃん、って思った。
さつまいもと栗の天麩羅はレフレッシとシャーロッテのお気に入りで、俺の芋と栗は彼女達の椎茸の天麩羅と交換されていた。
いや、美味いだろ、椎茸の天麩羅も。
俺はひたすら椎茸を食った。
「米酒を頂けますか?」
バルデュールが米酒に切り替える。
「一番良い奴持って来たから遠慮無く呑んで」
若女将が持って来たのは『純米 秘蔵十年貯蔵古原酒』と言うらしい。
名前だけでもう凄そうだ。
升にグラスを乗せると、薄い琥珀色の液体をグラスから溢れるまで注ぐ。
「それは俺も頂くぜ」
オルソもグラスの麦酒を一気に呑み干すと米酒に切り替えた。
若女将が次の料理を持って来る。
鮎のお刺身だ。
これは完全に米酒の出番です。
全員米酒を注いでもらう。
「それは本当に良い酒だからな」
オルソが力説する。
香りは爽やかな酸味とほのかな甘みを感じる。
表面張力でグラスの縁から盛り上がった酒をすすってみると、重厚な味わいが口いっぱいに広がった。
これは本当に旨い。
鮎のお刺身にわさび醤油を軽く付けて頂く。
わさび醤油が鮎のさっぱりした上品な甘さを引き立てており、コリコリした食感が堪らない。
濃厚かつ芳醇な米酒との相性は抜群だ。
リナルドがコインが増える手品を始めた。
シャーロッテは勿論だがバルデュールやレフレッシも大喜びして見ている。
完全に飲み会とか言う宴だった。
遥か東の地で俺達を待つ魔王に何故だか申し訳無い気持ちでいっぱいになった。
意外だったがレフレッシもシャーロッテもお酒に強かった。
2人とも一見子供にしか見えないのに美味しい美味しいと言ってどんどんお酒を呑んだ。
一方意外にもオルソはそんなにお酒に強くなかった。
麦酒2杯と米酒2杯呑み終わる前に大いびきをかき始めた。
「いつもこうなんだ、放っておいて良いよ」
リナルドがカップとサイコロを使った手品を披露しながら冷たく言った。
バルデュールはマイペースにちびちびと呑み続けている。
そう言えばバルデュールがシャーロッテと仲良く絡んでいるところをあまり見た事が無い。
今もリナルドと一緒に呑んでいた。
俺はシャーロッテとレフレッシに交互にお酌されてかなり呑まされていた。
俺も案外いける口らしい。
若女将が何かを抱えて持って来た。
「さぁ、名物の鮎釜飯だよ、温かいうちにどうぞ」
釜の上に乗っていた木製の丸い蓋を持ち上げると、白い湯気と共に鮎の香りとキノコの良い香りが立ち上る。
舞茸の炊き込みご飯の上に鮎の塩焼きが乗っかった様なビジュアルは見ただけでも美味そうだった。
若女将が手際良く頭と骨を取り除き、鮎の身をサックリと混ぜ合わせた。
それを茶碗に上品によそうとひとりひとりに手渡してくれた。
なんと言う心尽くしのおもてなしなのだろう。
「オルソはそれ、温かいうちに食べた事が無いんだ」
リナルドが言った。
大いびきをかいて寝る大男を見て、なんか残念な人だな、って俺は思った。
女子部屋と男子部屋は別になっていてレフレッシとシャーロッテは2人で女子部屋に入って行った。
始終賑やかで華やかな2人の声が扉の向こうに消えると春が冬になった位の寂しさが訪れた。
なんと言うムードメーカーだろう。
河辺に男4人で降りて行っただけで険悪な雰囲気になっていたのが彼女達がいるだけでどれだけ和むことか。
俺は再び訪れるであろう険悪なムードを予想して戦慄した。
部屋に入ると布団が敷いてあった。
パリッとした白く清潔なシーツは手触りも良く、ひんやりしていて気持ち良かった。
布団の上に横になると、重力に抗う気力は残っていなかった。
俺達には物心ついた頃から親がいなかった。
頼れる親戚も無く、孤児院に身を寄せて遠慮して生きてきた。
俺達は10人で1セットとして育てられた。
大体歳が同じ位の男女5人づつのチームで学習も運動もレクリエーションもいつもそのメンバーだった。
幼少の頃は無邪気に好きだとか何とか言っていた間柄も、成長するに従い、照れや心変わりにより複雑な関係になっていった。
そんな中、俺は喧嘩っ早い性格で、色恋沙汰よりもバトルアクションを見たり真似したりするのが大好きな少年だった。
仲間は大切にしたが対外的なトラブルでは真っ先に暴れては叱られていた。
俺には親友がいた。
彼は俺とは正反対の性格で知性的で優しかった。
男女を問わず人気があり、彼の周りにはいつも人が集っていた。
しかし、彼には好きな女性がいた。
その人は俺達の母親代わりの人で、俺達の孤児院を運営する教会のシスターだった。
俺達が10歳の時彼女は18歳位だったと思う。
いつも優しそうな笑顔で俺達に接してくれていた。
ある日、2つ年上のチームの男子が俺の親友にちょっかいを出して来た。
身内の女子が彼の噂をするのが気に入らない、と言う理由だった。
俺は親友を守りながら上級生3人と大立ち回りをして撃退した。
俺もなかなか痛い思いをしたが上級生3人は骨折などの怪我を負い、結局俺が悪いと言う事になった。
シスターは何故か泣いていた。
親友も一緒に泣いていた。
その姿には生気が無く、何かをブツブツと呟いていた。
2人は関節が外れた人形のようにバラバラになって床に転がった。
その顔は2つともシスターの物だった。
焦点の定まらない瞳で虚空を見ながら呟き続けていた。
「来ないで化物、来ないで…」
違う、俺は…
目が覚めるとバルデュールが部屋の隅っこのテーブルの横で大の字になって寝ていた。
広い部屋の真ん中には俺が丸まって寝ていた。
全開になった襖を隔てた隣の部屋にはリナルドが一人で寝ている。
オルソの姿は見当たらなかった。
「あら、おはようございます、よく寝れましたか?」
食堂に行くと若女将が朝食の支度をしていた。
オルソは昨日見たままのポーズで寝ていた。
「ごめんなさい、朝食はもう少しかかるの。お風呂は入れ替わってるから良かったらどうぞ」
朝は露天風呂に入れるんだった。
「ありがとう」
俺は一言礼を言うと大浴場に向かった。
こちらの内風呂はスベスベの石畳が足の裏に心地良い岩風呂だった。
ガラス戸の向こうには岩で組まれた露天風呂が見える。
所々に座ったり寝そべったり出来るように木の椅子やスノコが配置してある。
モミジや何かの木が植えてあり綺麗に紅葉していた。
俺は30分ほどたっぷりと癒やされた。
食堂に戻るとオルソが起きていた。
レフレッシとシャーロッテも若女将が囲炉裏で焼く魚に釘付けになっていた。
味噌の焼ける香ばしい香りが堪らない。
鮎の握り寿司、鮎の甘露煮、鮎と松茸の土瓶蒸し、寄せ豆腐、そしてメインは鮎の魚田と言うらしい。
炭火で素焼きにした鮎に味噌を塗って焼くのだそうだ。
「そー様、おはようございます」
「お、そーちゃんおはよ」
シャーロッテとレフレッシが声を掛けてきた。
昨日の晩2人につけられたあだ名だ。
ちなみに
レフレッシ「おっちゃん」
オルソ「おっちゃんはやめろ」
シャーロッテ「おっさん」
オルソ「おっさんもやめろ」
レフレッシ「ばっちゃん」
バルデュール「ばっちゃんはよせ」
シャーロッテ「ばあさん」
バルデュール「私は男だ」
などと言うやりとりがあり、結局俺だけ採用になったのだった。
リナルドは上手に存在感を無くす事で降り掛かる火の粉を寄せ付けない男だった。
俺だけ大炎上。
「良い香りだ」
バルデュールが味噌の香りに誘われてやって来た。
「お腹が空いたよ」
リナルドも続く。
全ての料理が味しかった。
鮎の握り寿司は特に絶品で俺達は何度もおかわりをした。
「それで、今日は南を目指そうと思ってるんだ」
リナルドの言葉にバルデュールが頷いた。
「神の剣が祀られた場所があると言う話だ、本当なら魔王を倒すのに役に立つかも知れない」
祀ってあるものをどうこう出来るとは思わなかったが他に大した当てがある訳でも無かった。
朝食が終わり部屋に戻ると昨日脱ぎ散らかしていた服が綺麗に畳んであった。
汗で湿っていたのが嘘のように、ふんわりと柔らかくなっている。
何か良い香りまでする気がする。
「洗濯もやってくれるんだぜ」
何故かオルソが得意気だが、案外よくあるサービスだとリナルドがこっそり教えてくれた。
チェックアウトまでもう少し時間があるが全員着替えも終わり帳場の前に集合していた。
神の剣とか言う言葉の響きに心躍るのは何故だろう。
俺達はまだ見ぬ温泉と美食に思いを馳せて次なる一歩を踏み出したのだった。
このお話はフィクションなので登場する料理、お酒等はそこまで実在しません
また、登場するお店、人物、団体は全く存在しません
悪しからずご了承下さい