温泉に沈む夕日と男達
若女将の話だと宿が所有、管理する簗場と漁具をしまっている小屋が2日前から魔物に占拠されてしまったそうだ。
宿のメイン食材である鮎が捕れなくて困っていると言うのだ。
「鮎が1匹もいないとは…」
怒りに戦慄くオルソ。
帳場の奥にある“女の子限定 選べる色浴衣コーナー”のポップの下、レフレッシとシャーロッテは並べられた浴衣をアレコレ手に取り可愛い可愛いと大はしゃぎしている。
また、宿の入り口の正面、突き当りには何かの神様の像が祀られており、バルデュールはその造形の美しさに見入っていた。
特にやることの無い俺とリナルドはオルソと若女将の会話を聞くともなく聞いていた。
「おのれ、許せん!」
オルソは燃えていた。
「魔物は我々が退治してくれよう」
嫌な予感がして目を逸らそうと思ったが間に合わず、ばっちりオルソと目が合ってしまった。
「行くぞ!」
更にオルソが振り向いた先にはレフレッシとシャーロッテ、そしてバルデュールがいた。
しなやかな動きで帳場の上の呼び出しベルを持ち上げた若女将は無駄の無い動きでオルソの脳天にベルを叩き付けた。
思ったより鈍い音を立てた一撃に目を白黒させるオルソを若女将が睨み付ける。
「こんな可愛らしい女の子達を魔物退治に連れて行くんじゃないよ」
「え?いや、でも」
「そーだそーだ」
たじろぐオルソに若女将の後ろからレフレッシも野次を飛ばす。
若女将は振り向き、レフレッシとシャーロッテにニッコリと微笑んで言った。
「疲れたでしょ、温泉に入ってゆっくりして行ってね」
「「はーい」」
2人仲良く大浴場へと歩いて行く。
「オイラも風呂に入って来るかな」
「お前は来いよ」
オルソがリナルドの耳を掴んで玄関へと向かう。
男4人、風呂前にもうひと汗流す事になった。
「猿面の人型が4体だよ」
宿を出るとリナルドがつまらなそうに言った。いやいや、いくら何でも早すぎだろ。
「情報が早いな」
バルデュールが感心する。
「ん?梁が占拠されてるって知ってたのか?」
オルソはリナルドに詰め寄った。
「まぁ、見て来たからね」
リナルドが平然と答えるとオルソは怒ったようだった。
「お前って奴は」
オルソはリナルドにヘッドロックをかけようとしたがリナルドは鮮やかに回避して言った。
「待ちなよ、オルソの悪い所だよ」
リナルドは続けた。
「梁も小屋も損傷してないから退治するだけで取り戻せるよ」
そこまで言うとジト目でオルソを睨んだ。
「それに依頼を受ける前に仕事をするのは協会のルール違反だよ、最近も罰金取られたばかりなの忘れたの?」
「いや、それはそうなんだけど」
オルソが小さくなっている。
「人を助ける事を制限する様な決まりがあるのか」
静かに聞いていたバルデュールが口を挟み非難がましい目をオルソとリナルドに向けた。
「神聖教会は寄付や教育の仕事で成り立っているけど冒険者協会は基本、個人経営の営利団体だからね」
リナルドがバルデュールに反論する。
「依頼料が決定する前に仕事をして勝手に請求すると“押し売り行為”に該当して下手すればお縄になるし」
リナルドがオルソを睨んで続ける。
「別の冒険者が受けた仕事を横取りすると仕事が自然消滅した扱いになり、契約していた冒険者が受け取る筈だった依頼料は罰金と言う形でオイラ達が払わなければならなくなるんだ」
「悪かったよ」
オルソがボソッと謝った。
「早く解決してくれた方が依頼人は嬉しいのでは無いのか?」
バルデュールが2人に詰め寄る。
教会と協会はあまり上手く行っていないようだ。
「かつて冒険者協会の会員を騙る無頼漢が勝手に仕事をしたと言って人々から金を巻き上げた事件があって、それ以来こうなったんだけどね」
リナルドもその制度が気に入っている訳では無いようだった。
「冒険者も色々大変なんだな」
バルデュールもようやく納得したようだった。
宿を出て真っ直ぐ階段を降り、石造りの門を2つくぐると左に続く獣道がある。
それは来る時に通った道だが、左に曲がらず真っ直ぐに坂を降る道もあった。
足元は踏み固められているが、あまり人が通らないのだろう。
草が伸び放題で注意深く見なければ道があるように感じられなかった。
しかし、草を掻き分けて坂を降ると広大な草原と、100m程先には先刻の大河が流れていた。
河原には小屋があり、河には梁があった。
そして、情報通り魔物が4匹うろついていた。
人型と言うよりは猿型の魔物だった。
猿達はあまり質の良くない剣を持っていた。
武装していなければただの猿に見える。
もしかすると武装したただの猿かもしれない。
「えぇと、魔物と動物って何か見分ける方法とかあるんですか?」
俺は博識なリナルドに訪ねた。
「残念ながら無いんだよね、勇者さんが倒したら消えるのが魔物って事で良いんじゃ無いかな?」
「凶暴化した動物と魔物の区別がつかないのか」
それだと間違えて動物を狩ってしまうかもしれない。
しかし
「人々にとって脅威なら魔物も動物も関係なく退治するのが俺達の仕事だ」
オルソが言う事は真理だと思えた。
俺達の会話に気付いた猿達が俺達に向かってキーキー鳴いている。
一番大きい奴が群れのボスなのだろう。
一番小さい猿を自分の後ろに下がらせると、あとの2頭を左右に従えてこちらに剣を向けた。
思ったより知能が高そうだな、と冷静に分析する。
俺も背中に背負った剣を抜き払った。
左手を剣の柄頭に添えて突きの構えを取った。
あとの3人はやる気無く武器を手に取っている。
せめて構えろよと俺は思った。
向かって左の猿が奇声をあげて切りかかって来た。
猿にしては姿勢の良い大上段からの振り下ろし。
しかし遅い。
俺は猿の剣を無視し、猿の右横に跳躍すると剣を薙ぎ払った。
猿の胴体を両断する手応えが右手に伝わって来る。
猿の後ろ5m程に着地すると横目で後ろを確認した。
胴体の両断した辺りから蒸発が始まりあっという間に全身が煙のようにかき消えると曲がった剣だけが地面に残った。
よし。
俺のやる気が一気に漲った。
相手が魔物なら良心が咎める事なく倒せる。
ボスが激しく吠えて突進して来る。
やはり遅い。
俺が疾くなっただけかも知れない。
後ろの2体を見ると一番後ろの小さい奴がブツブツと何かを喋っている。
まさか
「魔法来るよ」
リナルドが他人事の様に言った。
俺はボス猿の左、かなり離れた位置まで一気に跳ぶと地面をひと蹴りして進路を変更した。
まだ俺の動きに反応すら出来ていないボス猿の背中に剣を叩き付けようと思ったが、右手の剣で左手の相手を斬るのは体勢が苦しく、一度左足で地面を蹴り、後ろ回し斬りで首を斬った。
その跳躍のまま剣を振り切った先に小さい猿の胸が迫り、そのまま突き刺した。
俺は小さい猿の胸に刺さった剣をそのまま横に振り抜いた。
向かって右にいた猿は慌ててこちらに顔を向けようとしたが、それより早く俺の剣が胸部を斬り裂いた。
3体の猿は、ほぼ同時に消滅した。
ヒュー
口笛の音が聞こえた。
オルソだ。
「もう神官様より強いんじゃ無いか?」
「小回りの利かない斧男より強いのは間違い無いな」
バルデュールもやり返す。
「はいはい、それにしても死体の処理をしなくて良いのは本当に助かるね」
2人のやり取りを軽くいなしてリナルドが言った。
そう言えば先の戦闘ではレフレッシが死体を焼き払っていた。
「残しておくと野生動物が食い散らかして新たな魔物が誕生するから、処理出来ないなら倒さない方がマシな位なんだ」
それでみんなやる気が無かったのか。
「鮎を取って温泉に入ってご飯にしよう」
そう言えば腹ぺこ娘が待ってるんだった。
それにしてもリナルド、慣れるとよく喋るなぁ。
宿に戻ると部屋に案内された。
そこは広い和室が2部屋、ふすまで隔てられ、その奥には大きな岩と玉砂利が敷き詰められた庭園が一望出来るダイニングがあった。
俺達は鎧や汗で湿った服を脱ぎ捨てると浴衣に着替えた。
テーブルに用意された茶菓子には目もくれず一目散に大浴場に向かった。
今日はなかなか頑張った。
25㎞程度歩き、魔物と闘った。
…思ったより頑張って無かった。
しかし汗だくであり、早くさっぱりしたかった。
何より俺は気が付いてから初めての風呂だった。
今更ではあるが臭く無かったか不安になった。
大浴場の入り口は手前が男湯、奥が女湯になっていた。
俺達が入ろうとすると、丁度女の子2人が出て来るところだった。
「あ、ソウシ様、お疲れ様でした」
シャーロッテが軽く両手を広げてクルクルと回って見せた。
薄い水色の地色に桜色の花がプリントされた浴衣で黄色い帯を巻いており、後ろで束ねたゆるふわのブロンドがよく映えていた。
「あ、うん」
冴えない返事をする俺のスネにレフレッシが蹴りを入れる。
「感想くらい言いなさいよ」
桃色の地色に白く大きな花がプリントされた浴衣に青色の帯を締めたレフレッシも黒髪と相性が良く、とても似合っていた。
「2人とも、とても綺麗だよ」
恥ずかしそうにするシャーロッテとは対象的に
「もー、本当の事言っちゃってー」
等とさらりと返してくるレフレッシ。
でも俺は、こんな臭いセリフが無意識に出てくる自分のチャラさに一番驚いていた。
男湯の暖簾をくぐると杉の木で造られた脱衣場があった。
浴衣と肌着を脱いで籠に入れると大浴場の扉を開けた。
まず、檜の薫りがした。
そして石鹸の香りがした。
洗い場ではオルソが桶の中で大量の石鹸水を作っていて、しゃぼん玉が大量に発生していた。
リナルドは首と脇の下を念入りに洗っている。
バルデュールは上から下へ向かって丁寧に洗っている。
俺は洗い桶を手に取ると足、手、肩に掛け湯をし、最後に頭からかぶった。
お湯は熱かったがそれが心地良かった。
洗い場に移動して石鹸を手に取ると手の中で一気に泡立てる。
まずは顔を念入りに洗い、そのまま髪の毛も洗った。
お湯をかぶって泡を洗い流す。
もう一度石鹸を泡立てて首から下を洗う。
熱めのお湯で開いた毛穴の奥の脂汚れがキメの細かい泡に溶け出してスッキリとして生き返るようだった。
オルソは結局石鹸水を頭からかぶって適当に体をこすって洗い流すと湯船へと向かった。
俺も体中の泡を洗い流し、湯船へと急いだ。
熱めのお湯がこんこんと湧き出し、注ぎ口からは絶えずお湯が注がれており、ヘリからは常にお湯が溢れている。
とても綺麗なお湯だった。
俺はゆっくりと湯船に入ると、リナルドとバルデュールの間の広いスペースに入り込んだ。
極楽だ。
お湯は塩辛くて無色透明。
ほんのり潮の香りがした。
目の前のプレートに何か書いてある。
『すゞや旅館
天然温泉 泉質:カルシウム・ ナトリウム・塩化物泉, 美肌の湯』
「すゞや旅館?」
「屋号だよ」
オルソが教えてくれた。
「名前とかあったんだ」
山にも川にも町にも名前の無いこの世界に馴染みかけていた俺には意外な事だった。
正直名前とか案外どうでもよくなっていた。
「そりゃあるよ」
リナルドが呆れた様に呟いた。
露天風呂は今は女湯になっていて、明日の朝、男女の湯が入れ替わってからのお楽しみだそうだ。
朝風呂に入れる日が来るとは思ってもいなかった。
俺は不謹慎にも思ったんだ。
サンキュー魔王、ってね。