いい昼旅立ち
俺が、産まれ育ったのは日本と言う国だった。
愛知県の端にあり、城と神社そしてこんもりとした山が見える。そんな場所だった。
平和だった。
桜の咲く中を巨大な山車が集まり、からくり人形の舞いに人々が熱狂した。
俺はいつもそれを少し離れた所から見ていた。
「颯竢!」
俺を呼んだのは優しそうな顔立ちをした少年だった。
「またこんな離れた所にいるの?もっと近くで見れば良いのに」
俺の親友だ。
俺の手を引っ張って山車の方へ駆けて行く。
「待って、遠くからで良いんだ!俺は」
その時、山車の上のからくり人形達が一斉に俺の方を見た。
あの女だ。
俺は何故かそう思い、ゾッとした。
「そう、お前は化け物なのだからな」
人形達は口を揃えて俺達を罵った。
「違う、俺は」
ベッドだった。
清潔で手触りの良いシーツにフカフカの掛け布団。
サイドテーブルには陶器の水差しとカップが置いてあった。
窓から見える草原と林は見覚えがあった。
「何か、思い出しかけていたような気がする」
あくびで出た涙と目やにを掌でゴシゴシとこすった。
俺は水差しの水をカップに注ぐと一気に飲み干した。
空腹を覚えて部屋の外に出る。
「おぉ、勇者殿、昨夜は見事な戦いぶりでしたな」
廊下を歩いていたフォルカーが声を掛けてきた。
相変わらず派手な衣装を身に纏っている。
「いや、よく覚えていないんです」
俺はこん棒を持った山羊頭を瞬殺したらしい。
だが、それは覚えていなかった。
直線的で鋭い動き、そのイメージだけは脳裏にあった。
その直後、魔王を名乗る化け物に遭遇した。
俺達は動く事すら出来なかったが、恐怖だけはよく覚えていた。
フォルカーはその話題には触れないつもりの様だ。
他のメンバーはどうしているのだろう?
魔王の強大な力は想像を絶する物だった。
打ちひしがれて魔王討伐を諦める、などと言い出すかもしれない。
礼拝堂に入ると黒い衣服を着たバルデュール、オルソ、リナルドが祈りを捧げていた。
そういえば教会だったな。
「オルソとリナルドも信者だったとは」
そっちはもっと意外だった。
「信者でなくとも歓迎しますぞ、勇者殿も如何ですかな?」
「また今度お願いします」
イマイチ何を祀っているのかも解らず祈りようもなかった。
「アン様は誰の祈りも聞いて下さりますぞ」
聞くだけなら俺でも出来るけどな。
神様の名前はアン様と言うらしい。
「アン様と言うのは女神様なんですか?」
俺は好奇心を抑える事が出来ずに質問した。
「アン様はこの世界の最高神です」
フォルカーは嬉しそうに話し始めた。
世界はアン様の力によって包まれており、その世界は上から空、地上、地殻、地下の海、そして地獄により構成されていると言う。
アン様の力はドームの様に世界を包んでいてその外にはナンムと呼ばれる海が広がっていると言う。
教会の目的はキ(記述では鬼)と呼ばれる者達を倒し、アン様に約束の地へと導いて貰う事らしい。
猛烈な違和感と胡散臭さを感じつつも、真剣に信仰している彼らを疑う気にはなれなかった。
「お?兄ちゃんも懺悔に来たのか?」
祈り終わったのだろう。
3人揃って俺を見ていた。
「道に迷いそうになったもので」
腹が減って、と言い難い雰囲気に呑まれて俺は答えた。
「アン様は我々の進むべき道を照らして下さる、共に祈りましょう」
バルデュールはどことなく嬉しそうだった。
「勇者さんは進むべき道を見つけられましたか?」
リナルドが話し掛けて来てくれたのは初めてかもしれない。
俺は少し考えてから答えた。
「俺は、みんなを守りたい」
ガチャ
扉が開くとレフレッシが顔を出した。
黄色いラフな服を着ている。寝間着だろうか?
話を中断して挨拶するか迷ったが目が合わなかったからそのまま続ける事にした。
「だから俺は行こうと思っている。たとえ一人でも」
ガハハハ
いつもの盛大な笑い声。オルソだ。
「俺達は兄ちゃんを守ると言いながら魔王を前に動く事も出来なかった。この世界は俺達の物だ。兄ちゃんが行かなくても俺達は行くつもりだったぞ」
うむ、バルデュールが頷いた。
「今後、此度の様な無様な真似は決してしないとアン様に誓いを立てた、一人では行かせませぬ」
「脅威の前に勇者さんを立たせない。オイラも神に誓うよ」
リナルドの宣言はプロポーズのように真剣だった。
はぁ
大きな溜息を一つつくとレフレッシは憂鬱な感情を隠そうともせずに言った。
「お腹が空いたわ、朝ご飯はまだかしら?」
俺は本心をズケズケと言える彼女の事を尊敬し、アン様よりレフレッシ様に祈りを捧げたいと心底思った。
朝ご飯は薄く伸ばして焼き上げたパンと、エスニック風味に焼いた魚の切り身、そしてコーンたっぷりのクリームスープだった。
「パンとスープはいっぱいおかわりありますから遠慮なく言ってくださいね」
白い割烹着の様な服を着たシャーロッテが手際良く料理を振る舞っている。
彼女は家事をこなしているイメージが強い。
むしろ家事をしている姿しか知らない。
「シャーロッテのご飯は本当に美味しいな」
「ソウシ様はお気遣いがお上手なのですね」
俺の呟きにシャーロッテが嬉しそうに応えた。
「あなた達、本当に行くつもりなの?」
3枚目のパンを囓りながらレフレッシがようやく口を開いた。
「正直あれ程の化け物だなんて思ってもみなかったわ」
いつも元気にオルソをからかっている姿からは想像出来ない程落ち込んでいた。
「確かにあれはとんでも無い化けモンだ」
ご機嫌そうにパンを囓っていたオルソが相槌を打つ。
その表情は別人の様に真剣だった。
「だからこそ並大抵の準備では歯が立たないだろう」
リナルドが頷き続ける。
「遠回りになるけどここから西に行くと質の良い防具を作れる職人が多く住むと言われる町があるんだ」
リナルドは馴れると案外話が出来るらしい。
「我々は先ずその町を目指す」
バルデュールが力強く宣言した。
それまでスープにパンを浸しながらゆっくりとパンを食べていたフォルカーが口を開いた。
「厳しい旅になる。が、必ず成し遂げられると信じて人選したが、強要はしない」
フォルカーは憂いを帯びた表情で続けた。
「次代を担う若者を死地に送り出す爺は地獄へと送られるだろう」
いつも、自信と威厳に満ちているフォルカーが今は少し小さく見えた。
「だが、これを最後の戦いとし、ノルンの手からの解放を成し遂げると言う我らの悲願を成就出来るのならば、それも本望だ」
「司教様」
フォルカーの演説に感極まるメンバーの横で全く話に付いて行けない俺は、せめて邪魔にならぬ様、音を立てない様に気を付けながら黙々と朝飯を喰らった。
旅の支度を整えた俺達は再び食堂に集まっていた。
もっとも俺は着の身着の儘と言う奴で、荷物らしい荷物など何も持ってはいない。
俺の服にも俺の過去を知る手掛かりは何も無く、ポケットには塵ひとつ入っていなかった。
結果、フォルカーに貰った剣を背中にくくり付けシャーロッテに貰った木の実で出来た水筒を腰に提げただけの旅支度だった。
悩んだのは水筒を右腰に着けるか左腰に着けるか位だったが、そこは贅沢にたっぷり一時間悩み抜いて右腰に着ける事にした。
そして昼食である。
何かの肉と刻んだ野菜をピリ辛に炒めた物を米に乗せた食べ物だった。
とても辛いが、すぐ後に来る清涼感のある後味が見事に調和し、朝飯を大量に喰ってからそれ程時間が経っていないが、俺は何の疑問も持たずに3杯目のおかわりにスプーンを突き刺した。
「西と言うけど道先案内人はいるの?」
俺と同じペースで飯を平らげるレフレッシがリナルドに話し掛けた。
何となくメンバーの役割分担が見えて来た気がしていた。
「オイラの出身地なのさ」
なるほど、それなら詳しいのも分かる。
「あなたもそこの出身なのかしら?」
レフレッシがオルソにも訪ねた。
「あー、俺はもうちょい南かな?」
「オルソはもっと南の、海が綺麗な町の出身だよ」
歯切れの悪いオルソの代わりにリナルドが答える。
「多くの神が住まう神聖な地だと聞き及んでいる」
バルデュールが目を輝かせて話に割り込む。
「いや、失礼、産まれてこのかた、この地を離れた事が無く、異国の話には目が無くて」
つい盛り上がってしまったようだ。
バルデュールらしく無いが、意外な一面を見て親近感が湧いてきた。
「ただの田舎さ、恥ずかしい」
プイッとそっぽを向くオルソ。
「大丈夫、あなた、黙って立っていてもシティボーイには見えないわ」
「うるせぇ」
レフレッシとオルソは妙に馬が合う様だった。
「それでは司教様、行って参ります」
バルデュールがフォルカーに仰々しく挨拶をする。
昼食を終えるとすぐに旅立つ事になった。
「行って参ります」
シャーロッテも軽いノリだが挨拶をした。
「お世話になりました」
俺も釣られて挨拶をする。
その他冒険者3名は特に挨拶もなく西に向かって歩き始めた。
「5時間程行くと川沿いにちょっとした滝がある、今夜はそこで宿泊するぞ」
オルソはもう待ち切れないとばかりにどんどん歩いて行く。
「しっかり頼んだぞ、皆よ」
フォルカーは俺達をずっと見守っていた。
山道に入り、木々の陰に消えるまでずっとこちらを見ていた。
バルデュールやシャーロッテは本当に付いて来て良かったのだろうか?
まるで子供を送り出す親の様に見えて心配になる。
「ソウシ様、滝だそうです、楽しみですね」
シャーロッテは遠足のようにはしゃいでいた。
「この世界には古い建物が多く残ると聞く、見てみたいものだな」
「オイラもそこまで詳しく無いけど宿で聞けば分かると思うよ」
バルデュールはリナルドの話に興味津々だった。
こうして、フォルカーの心配を他所に、俺達は東に住まう魔王を完全に無視して楽しげな旅に出たのだった。
目指すは西の町。
「そういえば、何と言う町なんですか?」
俺はそう言えば聞いてなかったな、と思い質問した。
「何と言う町と言うと?」
キョトンとしてレフレッシが尋ねてきた。
「え?いや、名前とか」
「ガハハ、町に名前とは面白い事を言う兄ちゃんだな」
あれ?町に名前って付いてなかったっけ?
俺は色々自信が無くなっていたて。
まぁ、そうだな。
町にポチとかタマとか名前を付けても呼んで応える訳でも無し。
「まだ色々混乱してるみたいだ」
「わからない事があったら遠慮なく私に聞いてくださいね」
シャーロッテはずっとご機嫌だった。
まぁ、なるようになるさ。
俺は青い空に浮かぶ白い筋雲を遠くに見上げながら気楽に生きて行こうと考え始めていた。