凍てつく夜
オルソの斧の威力は俺が想像していたのとはちょっと違っていた。
ひと振りで敵が数匹真っ二つになったり吹き飛んで行くんだと思っていた。
斧のひと振りで地面が砕け木がバタバタ倒れる様子はリアリティに欠けコミカルですらあった。
レフレッシの魔法も半径10m程の範囲内にいる敵を地形ごと圧倒的火力で焼き払ってしまった。
ぺんぺん草も残らないと言うか生態系すら残ってはいないだろう。
バルデュールも派手さは無いものの神速の突きで周囲の敵を次々に屠っていく。
屍の山はレフレッシの炎で焼き尽くされていった。
瞬く間に門の前の敵が手薄になる。
「ソウシ様、参りましょう」
シャーロッテが俺の手を引き門の前に移動した。
「私が必ずお守りします」
どうせシャーロッテも強いんだろうなぁ、などと情けない事を考えていた。
俺はしかし、もう引けない所まで来てしまっている事を自覚していた。
俺は最前線で戦うプランでは無かった為、動きやすさ重視で防具を選択した。
オルソやバルデュールのようなフルプレートとか言われる奴ではなく、全身革鎧の上からブレスト、ガントレット、グリーブ、チェスト程度のプレートメイルを被せる簡易的な奴だ。
剣を両手で持ちたかった為、盾の代わりにガントレットは通常より頑丈な物を選んだ。
金属兜はどうしてもしっくり来なかった為、革に金属プレートを貼り付けたような物を装着している。
しかしシャーロッテはかなりの軽装で、こちらはただの服にしか見えない。
俺は覚悟を決め、シャーロッテを後ろに下がらせた。
どんなにイメージしてもひと振り一殺。
それ以上は出来そうに無かった。
「勇者かどうかはともかく、俺も男だ」
振り返るとシャーロッテが俺の瞳を覗き込んできた。
「当初の予定通り、君は後方支援をしてくれ」
敵が手薄になっている隙に門が開かれ橋が降ろされた。
俺が通過したら凱旋するまで開かない予定だ。
不安そうに俺を見送るシャーロッテの瞳を俺は以前にも見た事があるような気がしていた。
「勇者殿、落ち着いて1体ずつ相手をして下さい」
バルデュールは俺の元に駆け寄ると2体以上の敵が掛かって来れないように上手に立ち回ってくれた。
すぐに4本足の方が突進して来た。
近くで見ると思ったより大きかった。
それは豚やイノシシに似てはいたが全く可愛げが無く、豚やイノシシに例える事は抵抗があった。敢えて呼ぶならやはり4本足だろう。
俺は左に跳び両手で持った剣を水平に振った。
凄まじい衝撃が剣を通して伝わって来る。
剣が4本足の首の下から切り裂き硬いものに当たって止まる。
「うおぉぉぉぉぉお!」
俺は雄叫びを上げて剣を振り切った。
「お見事」
バルデュールは4本足2匹を軽々と突き刺しながら少々驚いた様に呟いた。
俺の倒した4本足は煙のように掻き消えていった。
「初戦で一撃とは中々やるじゃない」
いつの間にかレフレッシが俺の後ろに立っていた。
「次、来るぜ兄ちゃん」
オルソの声に振り返ると次の4本足が飛び掛かって来る所だった。
考えるよりも早く体が動く。
姿勢を低くすると前脚の下をくぐり抜け、獣の腹の下から剣を全力で振り抜く。
そうだ、迷い無く剣を振れば良いんだ。
今度は相手の柔らかい腹を簡単に切り裂き骨を切り裂く衝撃を感じた。
まぐれではない。斬れる。
俺は手応えを感じていた。
10m程離れた所から4本足がこちらを威嚇していた。
相手が動く前ならもっと上手に斬れる筈だ。
俺は一気に間合いを詰めると躊躇う事なく串刺しにした。
自分でも驚く程のスピードだった。
「なんだ、やるじゃないか」
オルソは少々つまらなさそうに言った。
「魔物っていうのは魔力の塊みたいなもんで生き物みたいに見えるが実は物質じゃねーのさ」
煙のように消えてゆく魔物を珍しそうに眺めていたオルソのあとに続いてレフレッシが説明する。
「それなのに私達が切るとちゃんとしたお肉に見えるのよね、間違えて食べたりするととんでもない事になるわ」
魔物を間違えて食べるなんて事がありえるのだろうか?
「毎年秋になると必ずと言っていい程キノコと間違えて魔物を食べる人が出るのさ」
いつの間にかリナルドが背後に現れて会話に参加してきた。
「うぇっふ、いつの間に!!」
レフレッシが変な声を上げて飛び上がった。
俺は驚き過ぎてリアクションも取れなかった。
「俺を後ろから刺せるのはリナルドだけだ」
「そんな事しないよ」
オルソの高評価に冷静に突っ込むリナルド。
「奴ら急に統率の取れた動きになったから新手が登場するかもしれないよ」
それだけ言うと右手をヒラヒラと振りながら林の暗がりの中へ消えて行った。
草をかき分ける音がしない訳では無い。
その音は風で草が擦れ合うような自然な音に聞こえた。
また、姿が見えない訳では無い。
それなのに気にならない、と言うべきか。
堂々と歩いているのに気が付かないのだ。
「アイツは目立たない所が凄いのさ」
悪口じゃなかったのか。
俺は素直に感心した。
リナルドの言う通りだった。
敵の動きが明らかに変わっていた。
こん棒持ちの前に4本足が5匹程集まりこちらを威嚇している。
そのこん棒持ちが15体程、程よく俺達を取り囲んでいる。
集まりすぎず、かたまり過ぎず。
オルソやレフレッシの範囲攻撃で一度にやられない様に工夫しているようだった。
「お?まだ結構いるじゃないか」
オルソは嬉しそうにしている。
「親玉がどこかにいるかも知れないから気を抜くな」
バルデュールが注意を促す。
「でも、先手必勝!!」
レフレッシが短いスペルを唱えると上空に水の球が現れた。
それは回転しながら上空に浮かんでいる。
さらに複雑なスペルを唱えると水の中に赤い光が見えて、爆発した。
高温の水蒸気が俺達の頭上を物凄い勢いで通り過ぎて行き、4本足に襲いかかる。
目や鼻を大火傷したのだろう。
たまらず逃げ惑う魔物達。
陣形の乱れた魔物の群れの中にバルデュールとオルソが物凄い勢いで飛び込んで行く。
「貴方も頑張りなさい」
取り残されてどうしたものか迷っていた俺の背中をレフレッシが盛大に押し出した。
剣をひと振りするたび、敵を1匹倒す度にコツが掴めて来るのがわかる。
敵の力を吸収している、と言うのはよく分からなかったが自分が強くなっているのは明らかだった。
剣を横に振りながら敵の横を通り抜けるやり方と、敵に体当たりする勢いで飛び込み突き刺すやり方は、剣から伝わって来る衝撃も殆ど感じない程身体に馴染んでいた。
その頃には4本足は殆ど片付いていた。
残るはこん棒使いだ。
二足歩行して武器を使うが体型は人よりは猿に近く、顔立ちは猿よりは山羊に近い。
最初の乱闘でレフレッシが数体倒したのを見たが、その後は少し距離を取って俺達の戦いを眺めていたようだった。
4本足がほぼ倒されて何やら会話しているようにも見えたが、こちらに向かってこん棒を構えた。
「私はちょっと休憩ね」
レフレッシは身軽に飛び上がると橋の欄干を足掛かりに塀の上に戻って行った。
「人間業じゃ無いだろ、あれは」
俺が呆れ返って見ていると
「兄ちゃんもすぐに出来るようになるさ」
オルソが斧を構え直す。
こん棒持ちがジリジリと間合いを詰めて来ていた。
頭の中で何かが弾けた様な気がした。
剣が宙を舞うイメージが脳裏に押し寄せる。
稲妻の様に鋭くジグザグに突き刺す。
稲光は3度光ったように感じた。
そして気が付けば、俺の目の前には蒸発して消えてゆく魔物達の姿とこん棒だけが取り残されていた。
「おおおおおおっ!」
歓声に振り返ると塀の上に村人達が集まっていた。
シャーロッテとレフレッシの姿も見える。
「え?」
何が起きたのか理解出来ていない俺の肩にバルデュールの手が置かれる。
ポンっとか言いそうだが、お互い金属鎧を着けているからガチャガチャとうるさい。
「貴方は過去最強の勇者殿なのかもしれない」
「今のは流石にビックリしたぜ、やるな兄ちゃん」
オルソも心底褒めてくれているのがわかる。
後で誰かに説明して貰おう。
何となくシャーロッテを思い浮かべながら今は歓迎を受け入れようと思っていた。
その時、林の奥から猛烈な勢いで走ってくる気配を感じた。
林の中から飛び出してきたのはリナルドだった。
リナルドがこれ程取り乱すとは想像出来なかった。
「みんな逃げて!」
それだけ叫ぶとあっという間に堀を飛び越えて塀の中へ消えてしまった。
長年の付き合いがあると言うオルソは急にそわそわし始めた。
「アイツがヤバイと言う時は本気でヤバイ、ずらかるぞ」
しかし遅かった。
俺達は圧倒的な威圧感に凍てついた。
な、なんだ?
バルデュールもオルソも物凄い表情をしたまま固まっている。
そして何かが悠然と姿を表した。
俺は何とか目だけでも動かしてソイツを見た。
ドラゴンだろうか?
背丈はオルソと大差ない。
体の割に巨大なドラゴンの様な顔を持ち、漆黒のマントから覗く右手も尖った爪の生えた巨大な手だった。
蛇に睨まれたカエルと言うがまさにそれだった。
全身を恐怖が支配していた。
ソイツは鋭い牙の生えた口をゆっくりと開くとはっきりとした口調で語り始めた。
「勇者達よ、我こそはこの世の理をも司る魔王だ」
地の底から響く様なその声は魔王と呼ぶに相応しい威厳と迫力を備えていた。
「我は200㎞東にある霊峰の山中で待とう」
これはただの挨拶だ。
攻撃の意志も無く反撃に対する警戒すらも無い。
「じっくりと力を蓄えて来るが良い」
流れる汗が目に入っても目を閉じる事すら恐ろしい。
「せいぜい楽しませて貰おうか」
冷たい風が吹いた。
そいつの姿が輪郭を無くし。
俺達は一斉に膝をついた。
身体中から汗が吹き出している。
全員、首でも締められていたように息が荒くなっていた。
もうソイツの気配は感じられない。
しかし俺達は深夜になるまで起き上がることが出来なかった。