魔王との最終決戦で脱糞した
勇者と魔王の最終決戦が始まろうとしていた。
勇者は魔王に向かって幾度も斬りかかる。
しかし、魔王は軽く身をひねるだけで斬撃をことごとく回避してしまう。
「ふふん。勇者よ。動きが鈍いんじゃないか? 俺様はまだ真の実力を出しておらんのに一撃も当たっておらんぞ」
「黙れッ! いつまで避けられるか見てやるぜ!」
といいつつ、勇者は内心焦っていた。実は魔王城に乗り込む数日前からひどい便秘に襲われていたのだ。
高熱、冷気、猛毒、呪い――神々の祝福を受け、ありとあらゆる耐性を身に着けてきた勇者だったが、便秘耐性だけはなかった。できることなら魔王との闘いは便秘が治ってからにしたかったのだが、魔王の儀式が完了し、完全体へと変貌してしまっては手のつけようがない。勇者は迷ったが、結局、重い体を押して、魔王との決戦に挑んだ。
「今、必死に魔王の近衛兵団を食い止めている仲間たちのためにも、俺は負けるわけにはいかない!」
勇者は、魔王の頭に向けて、剣を振り下ろした。が――
「そんなものか?」
魔王は、指二本で勇者の剣を止めていた。
「な!?」
「ふんっ!」
魔王は空いている右手で勇者の身体を吹き飛ばし、壁に叩きつけた。
「ぐぅッ!」
衝撃で肺の中の空気が吐き出される。勇者はふらつきながらも剣をかかげ、魔王に向きなおった。
「フッ……哀れな……魔法への完全な耐性を手に入れても、魔族と人間の決定的な身体能力の差は埋まらんというわけだ」
魔王は腰に下げていた曲剣を抜き、勇者に向けて構えた。
「遊びは終わりだ。貴様はここで死ぬ」
魔王の全身から、殺気が立ち上り部屋を包んだ。勇者は、今までの魔王が実力の半分も出していなかったということを、本能的に真実だと悟った。全身から汗が噴き出す。心が恐怖一色に染まる。ドラゴンの口が目前に迫ってきたときでもここまで怖いとは思わなかった。
「う、うぅぅぅッ!」
そして、恐怖に対する、生命体の自然な反応――
ブリッ
ブリブリブリブリブリブリブリッ! リュリュリュリュリュブチチチチブリュリュリュリューッ!
ブブブブブドババババッ! ブリュリュリュリュブチチチチチブバッ!
――脱糞である。
勇者のケツから出たウンコはズボンの中を通り過ぎ、ブーツを染めながら、地面に茶色のじゅうたんを作った。その上に、数日間勇者を苦しめてきた拳くらいの大きさのウンコがブチュリと転がる。
「クッ、クククッ、フハハーッ! な、なんだそれは~! クハハハーッ!」
魔王が爆笑しはじめた。
「クフフフッ、フフッ! おいおい、お前は人間にしてはそこそこ骨のある奴だと思っていたのだがなッ! あまりの恐ろしさに脱糞するとは、まったく勇者ともあろうものが情けない!」
「うるせぇ。脱糞がどうした」
勇者は剣を構えた。その瞳はまっすぐ魔王を向いている。
「クククッ、おいおい、今更凄んでも恰好なんかつかないぞ? 怖くて怖くて仕方ないんだろう? 土下座したら、怖くないように一瞬で殺してやるぞ」
魔王は勇者に一歩、二歩と近づいていく。その歩みにはすでに勝者の余裕があった。
「……怖くて仕方ないだと? そんなもの、最初からずっとそうだった」
「何?」
「勇者に選ばれて、村から一人旅立つことになったときも、ドラゴンに食われそうになったときも、スケルトンの大群に囲まれたときも、トロールに捕まったときも、ずっと怖かった」
勇者は、両手で聖剣を構えた。
「今だって、ずっと怖い」
魔王は勇者の態度が気に入らなかった。いたぶって、その顔を恐怖に歪ませてから殺すつもりだったのに、勇者は未だに魔王と戦おうとしている。曲剣を振りかぶる。
「ならば、その恐怖、ここで終わらせてやる!」
曲剣が振り下ろされる。
しかし、そこにもう勇者はいなかった。
「ば、バカな!」
魔王の身体から、黒い血が噴き出す。すでに魔王の背後にいた勇者が振り返った。
聖剣が光っていた。
「き、貴様! なぜッ! さっきまで、あんなに遅かったのに……ッ!」
「……生き物が、恐怖したとき、何故脱糞するか知っているか? 体重を軽くして、少しでも素早く動けるようにするためだ」
「そ、そんな……つまり、私はお前をビビらせることで、お前の力を強めていたということか……」
「ふん……そういうことになるな。……勇者っていうのは、怖がらないから勇者なんじゃねぇ。怖くても立ち向かうから、勇者なんだ」
「く……そ……」
魔王の黒い出血はやがて煙となる。魔力が大気に溶け出していき、やがてその身体は消滅した。
「さて……帰ろう。仲間のもとに」
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勇者は魔王城の廊下を歩いた。ときどき、そこらへんの部屋から魔物が飛び出してきて。
「グワッ! くせぇ! クソの臭いだ! こいつウンコ漏らしてるぜ!」
と叫びながら襲ってくる。
しかし、神々の祝福を受け、魔王を滅ぼした勇者の敵ではない。
勇者は地面に液体ウンコの茶色い線を残しながら歩き続けた。
ふと、頬が濡れているのに気が付いた。
涙だった。
「へへ……何やってるんだろうなぁ……伝説の勇者が……最終決戦でウンコ漏らすなんてよ……」
立ち止まると、涙が止まらなくなった。一度噴き出し始めた糞便のように、涙が頬を濡らして、水滴となり、地面に落ちた。
「うぅぅ……うぅぅ……う、ウンコ漏らした……ウンコ漏らした……魔王との最終決戦で、ウンコ漏らした……」
勇者はとうとう膝をついて、地面に座り込んだ。魔王との決戦の最中には、戦闘の熱で覆い隠されていた感情が、心の底から溢れてきた。
――――俺は、魔王との最終決戦でウンコ漏らした勇者として語り継がれる。
「うわ、うわぁぁぁっ……」
とうとう、一目も憚らず泣き始めた。信託により勇者として選ばれる前、気弱ないじめられっ子として、いじめられていた、あのころの自分に戻った気分だった。
ダメだ。立ち上がれない。仲間の元に行かなくてはいけないのに。
心が、折れてしまった。
「あっ、勇者だ! 勇者がいたぞーッ!」
聞き覚えのある声。顔を上げると、廊下の奥のほうから、4人の仲間たちがこっちに走ってくる。魔王の玉座前の広間で、魔王軍近衛兵たちを抑えるために残った、英雄たち。
「あっ……」
来ないでくれ、と言いたかった。仲間には、ウンコ漏らした情けない姿を見せたくない。そう思った。
だけど――
「よかった! 勇者生きてたッ!」
声を出す前に、ぎゅっと、幼馴染でもあり、パーティの回復役でもある白魔術師イリスにぎゅっと抱きしめられた。魔族の血とウンコで汚れていることも、気にせずに。
「イリス、俺……、俺……、魔王との最終決戦でウンコ漏らしちゃってぇ……ッ!」
「そんなのいいよ! 生きていてくれたらそれでいい!」
イリスが、ぎゅっと勇者の身体をより強く抱きしめた。
「それに私だって、実はさっきの戦いでちょっとチビってたし!」
「イリス……!」
たしかにさっきから、ほんのりとウンコではない刺激臭がする気がした。
「へへ……実は俺も今ウンコ漏らしてんだ」
聖騎士パラドックスが鼻の下をこすりながら言った。
「私なんかビビりすぎてゲロ吐きながら戦ったので、詠唱し辛くて大変でしたよ!」
と、大魔術師バーバラ。
「てへへ……俺、ゲロと小便と大便、全部しちゃった♪」
『狂犬』マドックが頭をポリポリとかきながら言った。
勇者は仲間たちを見た。今まで、何度も苦境を乗り越えてきた。頼れる仲間たちを。
「は、はは……なんだよお前ら、伝説の勇者の一団のくせに、ウンコとか小便とかゲロとかまき散らしすぎだろ……!」
「うるせーッ! お前こそ、便秘ウンコ漏らし野郎のくせによ!」
「いったなこいつーッ!」
笑いながら、自分が戦う理由を、今更ながら勇者は思い出していた。
そうだ、金でも、名誉でも、使命でもない。俺を今まで支えてくれたのは、こいつらがいたからだ。
「ねっ! これで故郷に帰れるね! 魔王を倒したってことは、王様からご褒美貰えることになるけど、みんなは何にするの?」
「そりゃあ、もちろん……」
みんなが声をそろえて言った。
「新しいパンツ!」
終わり