ブラコンは健在。
白檀から逃げきり、地下に続く階段の前に立っていた。
この地下へ続く階段を下りると地下全部が広々とした遊戯室となっている。
お父様が、俺を外に出さなくても退屈しないようにと、キングワームの地下専用大工に来てもらってアレコレ無理難題を言って作って貰った。
伽羅の話だと、張り切って来てくれたキングワームだったが、お父様の無理難題に答えていくうちに痩せていったという。
痩せもすると思う。
だって、この遊戯室って地下室のはずなのに小さな村みたいに家が立ち並んでいたり、公園があったり、天井には魔法で作られた太陽のミニ版が浮いている。
ちなみにここに立っている家は、みんな使用人の家。
お店屋さんはないけど、タダで利用できる食べ物屋や雑貨屋があり、買い物しに外へ出ることが面倒な使用人は殆どここで過ごし、休暇は俺の考えた玩具やスポーツで遊んでいる。
外の暮らしが分からない俺でも、金持ちの贅沢ってのはわかるよ。
なんでここまでして俺を外界から遠ざけるんだろう。
《エルー!!先に行きすぎ!ってか白檀怒らせるなよなー!》
「ごめん、ごめん。まさか、白檀に会うなんて思ってなかったからさ…白檀ってこの時間は、お父様の代わりに街や村の見回りに行ってるだろ?」
《あー!!そうだった!俺もおかしいなって思って白檀に聞いたら、パパさんが、城から帰って来るがてら見回って来るって!》
「本当!?今日だなんて…何かあったのかな?いっつもギリギリまで王様に引き留められるのに…」
嬉しいんだけど、あんまりいい予感がしない俺は、思わず顎に手を当てて考え込んでしまった。
その様子を見た伽羅が、肩にふわりと飛び乗ってきて追加情報をくれた。
《いっつもだったら真っ先に屋敷に帰ってきて、エルとママさんをくちゃくちゃに可愛がってから見回りに行くのに、今日に限っては見回りしながらっておかしいよな?》
「家に帰り辛いことでも持ち帰ってきたのかな?」
《俺の予想だと…王様の代わりに他の国に行くんじゃないか?》
「えっ!?それはないんじゃない?俺が生まれてから一度も外交で国から離れるなんてなかったじゃないか。」
《エルが生まれる前は、あっちゃこっちゃの国へママさんと飛び回ってたんだぞ。》
知らなかった。
お母様は、俺に気を使ってあまり外に出かけることがなかったし、お父様も雪の季節の勤務が終わると領地を見回るくらいで、俺と一緒に屋敷で過ごしていた。
俺が生まれる前のことって聞いたことなかったから仕方ないかもしれないけど…聞けないよな。
二人は、俺の前にいた兄妹のことをあまり聞いて欲しくないみたいだし…あまり、気持ちのいい話ではなさそうだ。
ショックを受けて考え込んでいた俺の頬を気を使って伽羅が舐めてきた。
《ごめん…》
「伽羅が気にすることじゃないよ…気を取り直してさ、今日は何して遊ぼうか?」
気持ちを切り替えて伽羅の好きな遊びをしようかと肩に乗っていた、しなやかな猫のような体を抱きしめて公園へと歩き出した。
いつも我が儘を言って俺を困らせたりするけど、落ち込むとすぐに気にかけてくれる。
伽羅が居なかったら俺は寂しさで泣いていたと思う。
《……エルはさ…外に出たい?》
「………出たいよ…でも、そのせいで大好きなみんなの顔から笑顔がなくなったら嫌だ。」
《…エル…エルの見た目はさ…人間だけじゃなくて色んな生き物を魅了するくらい綺麗なんだよ。》
「煽て過ぎだよ。俺は、生まれて3年しか経ってない子供だよ?」
人間と違って、魔人の子供は成長が早い。そして、一定の大きさまで成長すると止まる。
マーサもおばあちゃんだけど、見た目は若い人と変わらない。
魔族は大概そういうものだという。
お母様もお父様も見た目は若いけど、実は、40歳と254歳。
俺の見た目は10歳くらいでも生まれて3年しか経っていない。
《3年でもすぐに大人みたいになっちゃうよ。パパさんとママさんだけじゃなくて、屋敷の使用人皆エルが人間以外にも攫われるんじゃないかって心配してる。》
「…分かってる…もう何度も言われてきたから…」
《それに…エルの名前だよ…》
「え?やっぱり良くない名前なんだな?…屋敷の皆、エルグランってあんまり口にしないからさ…」
《…魔人の名前って結構後から付けたりするんだけど、エルにはその石があっただろ?それで生まれてすぐ名前を付けちゃったんだけど…その名前は…》
《《《伽羅!!!》》》
咆哮のような白檀の声に、伽羅は全身の黒い毛を逆立て、俺は耳の奥がキーンっと鳴ってクラクラと座り込んだ。
こんなに怒鳴った白檀は初めてだ。
「びゃ…白檀?どうしたの?」
《伽羅を少々お借りします。》
《このバカが!》
《奥様にも報告するからな!》
抱えていた伽羅を白檀の真ん中の顔が咥え、問答無用で連れて行ってしまった。
ポツンと残った俺の背後で、白檀の怒鳴り声効果かペガサスの石像が崩れ落ちていった。
「俺の名前は…そんなにいけないものなの?」
沈んだ気持ちが、一人でいることでますます沈んでしまい、公園のベンチにドサッと力尽きたように座ると、ホトホトと涙が零れた。
キーンっと未だに耳鳴りがしている中、幻聴のように優しい男の人の声が俺の名前を呼ぶ。
とっても大切な宝物を愛でるように。
〈エルグラン…エル…〉
「兄ちゃん……うぇえええええええええん!!!!」
何故だか分からないけど、つい唇から漏れた言葉にとても胸が締め付けられ、どうしようもない淋しさと切なさが込み上げてきて涙も泣き声も止まらなくなっていた。
休暇を過ごしていた使用人たちは、真っ青な顔で俺の前に飛び出してきたが、俺が一向に泣き止まないのでお母様を呼んできた。
心が張り裂けてしまいそう。
ずっと我慢していた何かが噴き出してきたのかもしれない。
「エル!!!!どうしたというの!?」
「うわああああああん!!」
「奥様、申し訳ございません!我々が来た時にはもうこの状態でして…」
「貴方達は下がりなさい。エル様…奥様、お部屋に戻りましょう。」
マーサに誘導され、俺はお母様に抱きかかえられながら自分の部屋へと戻った。
部屋に着いて、お母様の柔らかな花のような匂いに包まれながら、俺は他の温もりを求めていた。
伽羅とは違う、ふかふかの犬のような毛並み。
支えてくれる逞しい腕。
白く優しい回復術。
場を和ませてくれる女性の頼りない声。
俺位小さいけど暖かい手。
草木に微笑む優しい唇。
気持ちに寄り添うように腕に絡ませてきた長い尻尾
励ます様に撫でてくる大きな熊のような手。
いつも心配してくれている魔族独特の瞳。
呼べば必ず側にいてくれるカッコいい人。
何でも作れる変な巨人。
いつも明るいぬいぐるみ。
「えっく…えぅ…お母様の側にいるのに…俺はどうしてこんなに寂しいの?」
「エル…」
頭の中に知らないハズなのに知ってることがグルグル回り出す。
泣きすぎたのだろうか?割れそうなくらい頭が痛くなってきた。
お母様も俺も訳が分からなくなっていると、ブレスレットの宝石から暖かな光が溢れ出し、お母様の腕の中にいる俺を包み込んだ。
ーまだ、思い出さなくていいー
頭に声が聞こえたと思ったら意識が遠くなって、眠るように瞼を閉じた。