奥さんに「愛してる」って言ってみた。
年甲斐もなく、花なんて買ってしまった。部下に唆されたと言った方が正しいのか。いや、まぁ言い訳はよそう。確実に部下の言葉が心に響いて行動したのだ。
『いやー、ネットで見つけたんですけど最近流行ってるみたいですね〜。【奥さんに愛してるって言ってみた。】ってやつ。なんか感動して泣いちゃう奥さんも居るんだとか。部長もどうです?そういうの。』
軽口を叩く部下は、プライベートでも付き合う位には親しいので遠慮を知らない。言われてから考える。確かに若い頃は感謝の気持ちを述べたりもしていたが、最近はしていないな。そう思って花でも買って帰る事にした。
今まで気にした事もなかったが、駅には花屋が入っていて色とりどりの花が並んでいた。客もそこそこ入っている様だ。
「あー、君。すまないが…花を見繕ってくれないかね。」
女性の店員に声をかけると、笑顔で対応してくれたのでホッとする。
「奥様への贈り物でしょうか?」
どうして、わかったのだろうか…。問いかけるまでもなく表情から察したのだろう。仕事帰りに買って帰る客は大抵そうらしいという事を教えてくれた。まぁ、言われてみれば夜遅くに病院や墓参りに行く事はないなと納得する。
「奥様のお好きな花や色はございますか?」
問われてから気が付いた。沙知絵の好きな花や色…聞いた事がないな。
「いや、特には…。」
そう言葉を濁していたら、では全体的に明るい雰囲気に仕上げますねと言われたので任せる事にした。というより任せる他ないのだが。
出来上がった花束はピンクとオレンジの大きい花に小さい白い花が周りに散らばっているものだった。
駅から自宅までの距離は徒歩にて五分。その僅かばかりの間に家内への渡し方を頭の中で何度も繰り返す。
薄いベージュの見慣れた壁が見えてくる。二階建てのその家は子どもが生まれて妻の希望を取り入れながら建てたものだ。なんだかあの頃が懐かしい。
こげ茶の入り口についた傷は長男が幼い頃につけたものだ。確かスコップを喜んで振り回して…あの時はゲンコツを落としたんだったかな。
ガチャリと玄関を開けるとリビングからお帰りなさいという声が届いた。いつものようにテレビを見ているんだろう。
さて、どうやって切り出したら良いものか。
テレビをじっと見てこちらを振り返る様子も無い妻を見ながらそっとダイニングチェアに上着を掛けた。
花束もそっとダイニングテーブルに置いたつもりだったがラッピング特有のカシャリという音に沙知絵が反応して振り返る。
「あら〜、どうしたんです?綺麗な花ですね。」
「…いや、その、部下から…」
「貰ったんですか?立派なガーベラですから早く水につけないと…」
そう言ってそそくさと立ち上がって花束を持とうとした沙知絵の手を遮った。
「…違う。」
「何が違うんです?」
「…貰ったんじゃない。」
「そうなんですか?」
「…。」
「…。」
早くしないと萎れてしまいますよ?沙知絵はそういう視線でチラチラと花束と此方を交互に伺っているから説明したいのだが、どうにも喉の奥からつっかえて言葉が出ない。
「…康介さん?」
そう呼ばれていつの間にか、お互いを愛称で呼び合う事はなくなったなと考えていたからか、つい弾みで言ってしまった。
「さっちゃんに…!」
「へ?」
ガバッと雑に花束を右手で掴んで沙知絵の前に突き出した。
「さ、沙知絵に…買ってきたんだ。その、好きな花かどうかは分からなかったが、きれいな花だと思ったから。」
視線を必要以上に動かしながらしどろもどろに伝えたい言葉を伝える。
「あら、まぁ…。」
沙知絵は明らかに驚いて、花を凝視していた。
「そ、その…感謝のつもりだ。いつも…あ…あり…」
どうして沙知絵を前にすると言葉がこうも出て来ない…!葛藤してパクパクと音にならない言葉を言おうとしていると手にそっと温もりを感じた。
「…ありがとう、すごく嬉しいです。」
花がほころぶように笑う妻の表情が、昔とちっとも変わらないものの様に思えた。
つ、伝わったのか…そうホッと胸を撫で下ろしたのもつかの間…沙知絵がポツリと呟いた。
「また今度、さっちゃんって呼んでくださいね?」
!!
イタズラそうに笑う妻は、大事そうに花束を抱えて台所へと向かった。
ーーーーー
後日談。
「あ、部長どうでしたか〜?」
「花を渡したよ。しかし、あれだな…。いや、その…プロポーズ位には気合が必要だったよ。」
「あはは〜。じゃあ次は『愛してる』ですね!」
「…。」
このっ…調子にのりおって…!
その次の週末、沙知絵さんは鏡に向かって真っ赤な顔をしながら康介が声にならない声を出しているのを発見しましたとさ。
おしまい
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