#96.気になるのは?
寮の、厳密には魔法学院寮第一棟の主人用の寝室。その隣にある浴室で先程までリーレイヌ様に研かれていた私は今、鏡台の前で髪のお手入れの最中です。
「それで、何とお答えになったのでしょうか?」
……リーレイヌ様にお話したのは間違いだった気がします。
「「傷付いてなどいない」とお答えしました」
実際傷付いてはいません。ただ思い込んでいたことがそうではない可能性に気付いてショックを受けただけです。本来ショックを受ける内容でもなければ、それを本人に尋ねるのも憚れる内容なのでどうにも手詰まりに成りました。思い切って訊いてしまえば解決することだと思いますが、始まってしまうと何も出来ないので訊けずにいるのです。
「その答え方だと心当たりがありそうに思えるけれど?」
ですよねぇ。クラウド様にもそう思われてしまったようで、疑いの目を向けられました。取り敢えず「傷付いていない」を主張し続けて逃げましたが、今晩追及される可能性は充分にあります。まあ追及されたらされたで良いのですけどね。どんな答えが返って来るのか少し怖いですが……。
「傷付いてはいないのですけど、心当たりはあるのです」
「……私にも話せないことなのかしら?」
お話出来ないこともないですが、リーレイヌ様では意味がないと思います。ただここで何も言わないとリーレイヌ様を信用していないことになってしまいますね。
「リーレイヌ様は男性に身を委ねたことはありませんよね?」
「……クラウド様が何か変なことをするの?」
「いえ、そういうわけではありません」
寧ろ普通だと思います。事実玲君の方が……。玲君ですら杏奈さんに相談したら「それぐらい普通」と言われましたので、クラウド様が変ということもないでしょう。
こうやって比べることが“出来て”しまうから余計に話し難いのです。いえ、比べられないのならショックは受けなかったでしょうし、仮に疑問を持っても素直に誰かに相談出来たと思います。
「なら心当たり――――どうぞ」
ノックがありリーレイヌ様が返事をすると少しだけ扉が開いてアビーズ様が顔を出しました。
「クリスティアーナ様。準備は宜しいかしら? クラウド様がお待ちかねですよ?」
「はい。大丈夫です」
私の返事を聞いてリーレイヌ様は足早に部屋を出ていきました。それを見ながら私も扉から四,五歩離れた位置に立ちます。
「入るぞクリス」
「はい」
程なくしてクラウド様の声がして、返事をすると直ぐに扉が開きました。跪いて待ち受け男性が良いと言うまで頭を下げ続けるのが本来の作法なのですけどね。クラウド様はそれを嫌がったので私はやりません。
「クリス。今日も綺麗だ」
扉を閉めて間髪入れず私を抱き締めたクラウド様。私は“今日も”硬直する身体を抑えることが出来ませんでした。
思う存分私を抱き締めたクラウド様は、その後貪るようなキスをしました。これが毎晩長くなっている気がします。そしてそれが終わる頃、私の身体の硬直は解けていて抱き上げられて寝台に運ばれます。
「クリス」
熱の籠った声が私を呼びました。
「クラウド様」
同じように想いを込めて愛しい人の名を呼ぶと啄むようなキスが何度となく下りて来ました。
「愛している」
「私も。大好きですクラウド様」
見詰め合い語り合う時間が終わると、その後は貪られるだけだった初めての時とは違い解きほぐされる時間に入るのです。優しく、適度な強さで時間を掛けて徐々に解きほぐされた私にはもう成す術はありません。あとはクラウド様の情欲を受け入れるだけです。
そして全て終わったあと、毎回思い至るのです。
その理由は前世の記憶に他なりません。前世の私は二人しか男性を知りませんから比べても確かに意味はないでしょう。
でも、でもです。玲君はプレイボーイでした。上森さんは五歳も上で私のマエカノとは同棲経験もあったのそうです。対してクラウド様は15歳です。15歳なのに、なのにです。
クラウド様……上手過ぎませんか?
比べられなければ思い至らなかったこの悩み。解決したのは、実に意外な方でした。
たった今、魔法学院の入学式が行われています。場所は女子寮の隣に位置する学院の劇場です。
学院の名物「魔劇祭」の会場であるこの劇場は、五階席、三千人のお客さんが入れるとても大きな物で、一階席は学院内から、二階席から上には外からしか入れない構造になっています。それほど大きな劇場なのに学院と関係ない公演は行われません。この劇場で行われる演劇は「魔劇祭」しかないのです。勿体ないですね。
そんな大きな劇場の広い舞台の上で、一際豪奢な椅子に腰掛ける新入生の一人。壇上に並ぶ十数人の来賓や学院の責任者達の中で最も中心寄り、上座に座るその方は、紛うこと無きこの国の王太子様、クラウド・デュマ・セルドアス様です。
なんとも可笑しな光景ですね。新入生の一人なのに壇上にずっと居るのですから。
そうです。魔法学院の最高責任者、決裁権を持っているのはセルドア王太子。詰まり、クラウド様です。だから迎えられた一人なのに迎える側の席に居るという妙な状況が生まれるわけですね。
手と足を組んで無愛想に壇の下を眺めながら座って居るその人が、自分の愛しい人、伴侶であると考えると余計に変な気分になって来ました。
そうです。妻なのです。側妃ですから特殊な妻ですが、妻であることに変わりはありません。なら、相手にどんな過去が有るかぐらい訊く権利ぐらいありますよね? ……単純に上手なだけってこともありますか?
「それでは最後に王太子クラウド殿下。ご挨拶を」
立場は良く解らなくとも挨拶はさせられるのですね。まあ知っていましたけど。
因みに新入生の代表はカイザール・ベルノッティ様でした。ヴァネッサ様の双子の弟のカイザール様は、姉に下僕のように扱われていたあの方です。なよっとしていて正直侯爵令息、しかも嫡子だとは思えない方です。
「――――今代陛下も先代陛下も在学中学院に大きな改革をもたらしたと聞いている。そうで無くとも、慣例に囚われず時代に応じた変革はどんなことにおいても必要だ。多少戸惑うこともあるだろうが、若いうちに柔軟性を養うことも重要だろう。
皆が実り多き生活を送れる学院作りが私の目標だ。その為に努力を惜しむ積もりはない。だがそれには諸氏の協力が必要なのは言うまでもないだろう。皆自分達の為に最善を尽くしてくれ。
最後に新入生諸君。私も君達と共に学ぶ仲間だ。宜しく頼む。入学おめでとう」
どんなことに置いても……クラウド様の決意は揺らいで無さそうですね。正妃……私には荷が重そうです。
午後三時ぐらいから始まった入学式が終わり、生徒達はそのまま学院内のダンスホールに移動しました。新入生歓迎舞踏会が開かれるからです。
劇場もそうですが、魔法と関係ない設備が結構多いのがこの学院です。社交の場と勘違いしてませんか?
全生徒がホールに集合して「院生会」の会長が舞踏会の開会を宣言すると、直ぐに舞踏会が始まりました。何かしら特殊な演出は無く、クラウド様の椅子も用意されていますのでセルドアでは一般的な形式の普通の舞踏会のようですね。
ただ、
学院主催の厳粛な入学式と違い、生徒が主催するわけですから和やかな雰囲気になると思いきや……一言で言うなれば、争奪戦が起きています。目を付けた新入生の女の子に上級生の男子が我先に群がって行くのです。新入生の男子はそれを見て目を丸くしています。
あ、もう一つ。当然のようにクラウド様に群がる、貴族と思われる女の子達がいます。……大人が居ないせいなのか、ご令嬢方がちゃんと挨拶しません。秩序がありませんね。
そんな状況が少し続き、「どうにかしなくてはならないでしょうか?」なんて思っていたら、ご令嬢方の向こうから声がしました。
「道を開けて下さいます?」
大きくはないのに確かに響いたその女王然とした声で、クラウド様に群がる令嬢達が一気に鎮まったのです。
そしてモーゼの如く開けた道を悠然と歩く青い髪の長身の美女。
シルヴィアンナ・エリントン公爵令嬢です。
いつの間にか女の子争奪戦も鎮まった不思議な沈黙の中、クラウド様の前まで来たシルヴィアンナ様。優雅に淑女の礼を取った彼女は、淑やかな微笑みを浮かべてこう言いました。
「上級生として申し上げますわクラウド様。学院の秩序を保つ努力をして下さいませ」
「そうだな。なら、一曲お相手願おう」
「ご一緒させて頂きますわ」
道が開けてからシルヴィアンナ様はずっと私を見ていたように思えるのですが気のせいでしょうか?
この流れ、実はクラウド様とシルヴィアンナ様で打ち合わせをした通りです。ただ、シルヴィアンナ様の迫力が凄すぎます。ソフィア様と血が繋がっていると言うのも納得ですね。まあクラウド様の方がソフィア様には近いのですけど。
話は変わりますが、シルヴィアンナ様含め他のご令嬢と踊っているのを見てても嫉妬しないのに、クラウド様の過去は気になってしょうがないのは何故でしょうか?
ん?
前世でマエカノのことなんか気にしていた覚えはありませんが……やはり前世と今世では感覚が違うということでしょうね。
いずれにしても本人に訊いてみるしかありませんが。
2015年11月中は毎日零時と十二時に更新します。




