#95.入寮
セルドア王国王立魔法学院
セルドア王国の王都エルノアの南区に存在する研究施設も兼ねた文字通り魔法の勉強を主とする高等教育機関です。
就学期間は三年。二年生になると専科に別れて学習することに成ります。専科は、魔撃科、魔法科、治療科、諜報科、生産科、研究科の以上六つです。魔撃科は魔法戦士の、魔法科は魔法使いの、治療科は治療師の、諜報科は諜報員の、それぞれ実践的な魔法を学ぶことに成りますが、生産科は生活生産に役立つ魔法を、研究科は主に魔法を応用した動力の開発を、それぞれ研究施設の補助をしながら学んで行くことに成ります。
中等教育を受けてから入るのが通常ですが、試験に年齢制限はありません。まあ余りこの慣例を破る方もいないのですけどね。
以前お話した通り、上位貴族の令息は高等教育が義務のように課せられています。「ように」と言ったのは閣僚に成るには高等教育を終えている必要があるからです。
大臣は実質世襲されます。只の慣例ではありますが、様々な権限を持つ上位貴族の慣例を破るのは簡単ではありません。そこで王家は、法律で大臣に就く方の条件として高等教育の卒業を課しています。まあ当然と言えば当然ですね。ボンクラ貴族に大臣なんてやられたら堪りません。ただ中には魔才値が基準に満たない上位貴族の令息も居るのです。だったら騎士学校に入れば良いのでは? と、言いたく成りますが、上位貴族の令息には魔才値の基準が課せられていません。筆記試験のみで魔法学院に入学が可能な慣例が存在するのです。
ここまでならボンクラ大臣を産まない為の慣例として受け入れられなくはないのですが、なんとこの慣例、令息だけではなく令嬢にも適応されているのです。この国は女性は閣僚に成れません。なのに上位貴族令嬢にも魔才値の基準が課せられていないのが実態なのです。
通説によると、魔法学院に入学し寮生活を始めた当時の王太子様が、婚約者であったご令嬢と会えなくなって寂しくなり、上位貴族令嬢も魔才値の基準を払う慣例が生まれたのだそうです。
ただの通説ではありますがクラウド様……ある意味貴方がやっていることも同じではありませんか? 側妃を侍女として寮に連れて来たのですから。まあ厳密には、侍女が側妃になったのを隠して連れて来たわけですが、傍に居られるのは嬉しいですけど、やっぱり強引過ぎませんか?
少し話が逸れてしまった気がしますが、年が明けて一週間後。私は侍女として魔法学院の寮に引っ越しました。
エルノア湖の南の畔に位置する魔法学院は、敷地の北、湖寄りに正門が在ります。そして正門を潜ると正面に見えるが本校舎、男子寮は左手奥、女子寮は右手奥に位置しています。本校舎や寮の南には、研究施設や習練場、実験場、ホールなど、様々な設備が広がっていて、敷地の総面積は王宮に匹敵すると言われるぐらい広いのです。
そんな中クラウド様が入ったのは、男子寮の棟が並ぶ学院の北東部の更に北東の端、南の畔の立派なお屋敷でした。王太子様が学院に入るのは珍しくないどころか毎回のことですので、警備がし易いよう上位貴族の寮からも簡単には入れないように高い壁があるのは解りますが……寮ではありませんね。ただの屋敷です。「魔法学院の敷地内の屋敷に引っ越した」と言った方が正しいです。
何せ、上位貴族の寮ですら一人一人が別の棟でその一つ一つが実家の母屋より大きい屋敷なのに、クラウド様が入ったのはその三倍はある大きなお屋敷なのです。お掃除が大変です。だから侍女が一人増えたわけですけど。
あ! クラウド様付き侍女は一人増えて侍女四人に成りました。侍従二人と加えて六人体制です。加わったのはアンリーヌ様。私と同じ歳でハドニウス様に痴漢を受けて男性恐怖症になった男爵令嬢です。意外にも早々に男性恐怖症は克服出来たようで、今年からクラウド様付きに成りました。少し気の弱いところがありますが、侍女としては真面目で優秀な方です。
と、いうように、魔法学院の寮に入った私は、引っ越し作業の真っ最中です。なんだかんだで10着以上に膨れ上がったドレスは二着しか持って来ていませんので私個人の荷は二箱で済みましたが、現王太子であるクラウド様の引っ越しの荷がそんな少量な筈はありませんからね。六人で忙しなく動き回っています。そして、リーレイヌ様と二人で居間の掃除をしていると、
「クリスを借りて行って良いか?」
クラウド様が現れてリーレイヌ様に声を掛けました。
「私に許可を求めることではありません。そもそもクリスティアーナ様は侍女ではありませんので」
「それはそうだが、表向き仕事をしているように見せなくてはならないからな。ある程度気を配って欲しい」
「承知致しました」
……リーレイヌ様は「立場をはっきりさせた方が良い」とか思わないのですかね。
「おいでクリス」
「はい」
なんて思いつつ全く躊躇なく手招きするクラウド様に犬みたいに近寄ってしまうしまう私にも問題はありますね。
「どうかなさいましたか?」
「散歩しよう」
「え? 学院内をですか?」
今は冬至の休業期間中ですが、平民の生徒を中心にたくさん人がいます。バレてしまいますよ?
「そこの庭だ。この時間が湖が一番綺麗に見えるそうだ」
もう夕方ですからね。エルノア湖に赤い光が射したら確かに綺麗でしょう。
「分かりました」
差し出された手を握り歩き始めます。因みに手の握り方は最近恋人握りに進歩したのです。
最初に私からそれをやったら驚かれましたけどね。どう考えてもそれ以上の接触をほぼ毎日繰り返しているのに目を丸くしたクラウド様に逆にびっくりです。
え? ええ、ほぼ毎日、というかほぼ毎晩私はクラウド様の寝台で一緒に寝ていますよ? 新婚生活を満喫している最中です。
本当は、女性が男性の寝室に行くのははしたない行為とされているのですが、王宮の私の部屋の寝台は女性用のシングルなのでどうにも無理がありましたからね。仕方がありません。なんて言いつつ、準備を終えた私がクラウド様の寝室で待っている状況でしたけどね。
僅か三週間程で身体を洗われることに慣らされてしまった私です。
そんなことに思考を走らせていると、いつの間にか庭の端の東屋の近くまで来ていました。その東屋は庭より高くなっていて、十数段の階段を登ると壁の向こう側が視界に入りました。
「綺麗」
思わず声をだした私。東屋の端までクラウド様を引っ張って行きます。
深い青色の湖とそこに射す真っ赤な夕日。対岸見える仄かな光は王都の中央区のモノでしょうか?
「あの灯りは後宮の本殿の外灯だそうだ。それ以外の灯りはここでは見えないらしい」
握っていた手を放して、後ろから肩を抱き締めたクラウド様の声が真上から落ちて来ました。
「本殿の外灯ですか。確かにあれなら見えても不思議ではありませんね」
本殿の高い位置から周囲を照らしている魔法を使った灯りは「後宮の防備の象徴」そう言われているぐらい強い光で後宮の主要部分を照らしているのです。
「クリス」
私を抱き締めるクラウド様の手に力が入りました。先程以上に密着した状態になったのです。その手に軽く自分の手を置いて、振り向くようにクラウド様を見上げると、その顔は不安気に歪んでいました。
「クラウド様?」
何故それほどまで不安そうになさっているのでしょうか?
「私はクリスを傷付けたのか?」
その話はここでしたくないのですが……せめて――――で訊いて欲しかったです。
2015年11月中は毎日零時と十二時に更新します。




