#88.不安な私
今回のルダーツ訪問の主な目的が王太子としての挨拶である以上、クラウド様が社交の場に出ていくことは避けて通れません。どうしたって連日の舞踏会、夜会への参加は避けられないのです。
ただ、社交の場でお仕着せの侍女が侍る事が許されるのはセルドアぐらいしかありませんので、私もドレスを着ているわけです。そして、当然の様に無愛想全開なクラウド様の後ろに控えては居るのですが……。
「一曲ご一緒願いますかお嬢さん」
「申し訳ございませんが、私はクラウド様の侍女として来ています。踊ることは出来ません」
このやり取りの連続なのです。しかも連続連夜。
クラウド様用の椅子が用意され、その後ろに控えている私は見向きもされないセルドアの社交界とは全く違いますね。ドレスを着ているのですから当たり前と言えば当たり前なのですが……。
今日のドレスは濃い青紫のスレンダーラインのドレスです。女官が着るような極力露出の無いモノで、色気なんて皆無の筈なのです。なのにこの誘いの数は異常ではないでしょうか? 断るのは簡単なのですが、人数が人数です。いい加減に面倒に成って来ましたし、社交が始まって以来クラウド様がどんどん不機嫌に成っているようなのです。
「別に踊って来ても良いぞクリス」
むぅ。ここ数日クラウド様はずっとこんな調子です。断っている私に対して無愛想になるのです。何がそんなに不服なのかが分かりません。初日こそ着飾るようなプリンセスラインの青いドレスを着た私が悪いというのは理解出来ますが、今日は私に非はありません。不機嫌になる理由がないのです。
「必要以上に踊るなと言ったのはクラウド様ですよ」
「必要ないとも言えんだろう? クリスもセルドアの代表の一人と言えるのだから」
「それを言うならクラウド様も踊らないといけませんよ」
自分が断っておいてその理屈は通りません。
「ふむ」
クラウド様は更に不機嫌になってしまったようです。ただ私が踊ったらもっと不機嫌になると思います。「年越しの夜会」の時もアントニウス様相手に一度踊っただけで凄く不機嫌になっていたようですし。どうにも理解が出来ません。
はあ〜。何でこんなにも色んなことが気になるのでしょうか? ダンスを断わること自体は嫌ではない筈なのにそれすら何か黒い気持ちが溜まっていきますし、普段なら無愛想なクラウド様なんて見慣れているのに何故か私は不安を覚えるのです。クラウド様が不機嫌に見えるのも私の気持ちが淀んでいるからでしょうか?
やっぱりマリッジブルーなのですかね? でも……。
深夜。ルダーツの公爵家の王都屋敷で行われた舞踏会が終わり、滞在中の王城の一室へと戻った私達。ドレスを脱ぎ夜着に着替えたら、同じ部屋を宛がわれた同僚に声を掛けられました。
「クリスティアーナ様。少しお話して貰っても宜しいですか?」
「リーレイヌ様。此処は私室ですから敬語は必要ありません。普段通りにお話し下さい」
普段私室で話す時は敬語を使わないでくれと要請したのはリーレイヌ様がクラウド様付きになった直後でした。あの時は私が副侍女であることを理由に断られましたが、なんとか懐柔して敬語を止めて貰ったのです。ルダーツ滞在中とは言えそれを元に戻すのは止めて頂きたいです。
「そんなことを言う貴女が平気で「様」を付けて呼んだりするのだから理不尽だわ」
仕方がないわね。そんな口調のリーレイヌ様に苦笑いを浮かべながらも私は先を促します。
「私は年上の方なら誰にでも「様」を付けますから。それでお話しとはなんでしょうか?」
「……単刀直入に訊くわ。何がそんなに不安なの? セルドアを出た辺りからずっと貴女はどこか不安そうにしているわ」
やっぱりバレバレですか? 私の不安はずっと表に出ていたようですね。なんとなく私の気分が沈んでいることは周囲に伝わっていると気付いていましたが、それが不安という感情から来ることまで伝わっているとしたら相当です。
「分かりません。ずっとどこか不安なのです。ローザリア様が引きこもった理由と同じなのかもしれません」
まあローザリア様が引きこもった理由は明確なのですけどね。誰にも話せませんが「クラウド様と顔を合わせたく無かった」という明確な理由があったのですが、私の場合は私にすら本当のところが理解出来ていないのです。
「そうなの? 私はてっきり新しい正妃候補の話が気になっているのかと思ったのだけど……」
新しい正妃候補? ああ、魔力を暴走させた女の子がビルガー家に入るとか。そんな話もありましたね。
「私に殺される可能性があった貴女が準正妃とは言え側妃になる決断をしたのは並大抵のことではないと思うわ。そして正妃になれるか不安なのも凄く分かるし、なったとしても大変だと思うわ。でもクラウド様は本気で貴女を正妃にする積もりよ。今更それを不安に思っても意味は――――」
「違いますリーレイヌ様。私は本当に正妃を望んでいるわけではないのです。仮に準正妃という制度が存在せずに正妃には成れない側妃になるしか無かったとしても、私はそれを受け入れたでしょう」
正妃のことで不安になっているわけではないのです。
「……なら何故?」
「分かりません。本当に分からないのです」
側妃が良いとは決して言えませんが、そもそも私は正妃になることを望んでいないのです。それは単純に正妃という立場の重さに尻込みしている部分もあります。ただそれ以上に、そう簡単に慣例を破るべきではないと思うからです。慣例というのは何も、そうしたくてそうなった、わけではありません。大抵は、時代を重ねて行くうちに極自然とそうなったのが慣例なのです。
上位貴族の令嬢は特別拒否しなければ正妃候補に名を連ねます。これは王位の世襲を裏付ける為「血統」の重要性を示しているでしょう。それから魔才値が高ければ正妃と成り得るのが何故かと言えば、才能の値とは言え信用の置かれた「実力」に直結する数字だからでしょう。
時代錯誤の慣例も少なくはありませんが、この二つを否定するだけの土壌が今のセルドアにあるとは私は思えません。
そしてクラウド様が何故慣例を破ろうとしているかと言えば、これは極単純にクラウド様の我が儘なのです。
だとしたら、正妃に成れないことより正妃に成る不安の方が大きい筈です。しかし、私の心はそうは動きませんでした。確かに色々動き過ぎているクラウド様が心配になることはありますが、止めたいと思ったことはないのです。
私は純粋に嬉しかったのです。慣例を破ろうと奮闘するクラウド様が。
ただ、クラウド様が頑張っているからと言って正妃に成りたいと思うかと訊かれれば、そうではありません。当然私がそれで不安になることはないのです。
要するに、“私が”正妃に成る成らないは不安の種に成らないのです。
そして、私以外だとしたら誰が正妃に成るのか? これも不安の種には成り得ません。何故なら確信を持って言えるからです。
誰が正妃になったとしてもクラウド様は私を大事にしてくれます。
これは、本人の前で口に出して言えることです。私には、クラウド様の想いを疑う気持ちなど微塵もありません。ですから、公の場で誰がクラウド様と並び立ったとしても、羨ましいと思うだけで妬みや恨みなどの感情が沸き上がってくるとは思えないのです。実際、シルヴィアンナ様とクラウド様が向日葵殿の大階段を下りてくる姿を思い出してみても、浮かんで来る感情は「羨ましい」のみなのです。
それ以外に私が不安に成り得る、マリッジブルーに成り得る要素を思い浮かべてみても、特に不安になるようなことが見付からないのです。
例えば、嫁ぎ先に不安。――――ありません。私が嫁ぐ家はセルドアス家。勝手知ったる後宮です。そこに側妃として入る不安など微塵もありません。
例えば、お姑さんに不安。――――ありません。レイテシア様は優しい方です。いびられたりすることは考えられません。ジークフリート様とは微妙な距離がありますが、小姑レイフィーラ様とは仲良しです。不安になる要素がありません。
例えば、周りが反対している。――――ありません。私が嫁ぐと知っている方は限定的ですが、王族の方も皆祝福してくれています。
一度ゴハナ村まで往復してくれたお兄様によれば、両親共に「おめでとう」と言ってくれたらしいですし、お父様もお母様も私が本気で考えて決めたことに否と言う筈がありません。
また上位貴族や正妃候補が居る家も、側妃が一人入ることに反対をすることはないでしょう。準正妃であることがバレなければ良いのです。
私の結婚に反対している人は今のところいませんし、心当たりもないのです。
こうやって羅列しても不安になる要素は殆ど見当たらないのに、どうしてこんなにも不安に刈られているのでしょうか?
そんな話を延々としていた私とリーレイヌ様。二人が滞在中の部屋の扉がノックされました。
「クリス。起きているか?」
クラウド様?
「はい。起きていますが――――」
「話したいことがある。着替えて出てきてくれないか?」
……こんな深夜に話したいこと?
2015年11月中は毎日零時と十二時に更新します。




