#86.猶予期限
「十年で退官?」
……あの方が何を考えているかは今一つ理解出来ません。
「そうらしいわ。最近のクラウディオ様とソフィア様を見て羨ましくなってしまったようね」
先王クラウディオ様とその正妃ソフィア様は今王都の南区に在る離宮で悠々自適な余生を過ごされています。それを見て羨ましいと思うのは理解出来ますが、十年ですか?
「父上も二十年太子を勤められたのに十年ですか? 他に何かしら理由があるのでは?」
「あの人が言い出したことだから私は何も知らないわ。でもクラウディオ様は十年も太子は勤めていない筈よ。短すぎるということもないでしょう?」
先々代の国王陛下はクラウディオ様の優秀さを知って早々に退官したそうなので、クラウディオ様が太子でいた期間は確かに十年足らずでしょう。
「しかし母上は? それで宜しいのですか?」
「私は望んで正妃になったわけではないし、クラウドが王になってくれるならそれで満足だわ」
レイテシア様は悪戯っぽく可愛く笑いました。新正妃様はもう34に成るのですが、年齢相応には全く見えないくらい若々しい美しさを宿しています。元々童顔なのもありますが、これだけ可愛らしく綺麗ならば五人目を妊娠中というのも納得です。
「いえ、母上と父上の結婚をお決めになったのはクラウディオ様でしょう? 母上ご自身がそれで納得が行くのかという話です」
「クラウド。貴方まだそんなことを言っているの? 私が五人目を産もうとしている理由を考えたことある?」
まだ、とはどういう意味ですか?
「……拒否されている場面を見た記憶しかないのですが?」
いえいえ、侍女見習い一年目に結構な頻度で“そういう”場面目撃しましたよクラウド様。
「実の子供の前で受け入れるわけにいかないでしょう? 所構わないあの人が悪いのよ」
今はレイテシア様とその実子の晩餐ですので、12歳レイフィーラ様と10歳のキーセ様、4歳の誕生日を迎えたばかりのルティアーナ様がいらっしゃいます。クラウド様と二人なら兎も角微妙な内容ですね。
「小さい頃は母上と父上は仲が良くないと思っていましたが……」
「だからあの人を目の敵みたいにしていたのねぇ」
目の敵ですか? 確かにお兄様とお父様の関係よりは遠いと思いますが、前世の弟とお父様の関係よりはだいぶ近いように感じますけど……。
「母上は異存ないということですね?」
「あの人に愛されて、貴方みたいな優秀な世継ぎも持てて、可愛い息子と娘に恵まれて。私は幸せよクラウド。貴方も頑張りなさいね」
クラウド様を見ていたレイテシア様は、そこから視線を上げて後ろに控える私と目を合わせてからウィンクしました。まあこの晩餐会場に居る侍女の大半は私とクラウド様のことを知っている方々ですが……あからさま過ぎませんか? 姑に認めて貰えるならなによりですが、何かしら別の意味があるのでしょうか?
「そう言われましても決めるのは私ではありませんし、努力のしようがない部分もあるのでは?」
「二十歳までは猶予をみるそうよ。無理だったら「諦めろ」と言っていたわ」
これは恐らく、二十歳までの五年間に「私が正妃になることを上位貴族に了承させろ」という意味ですよね?
「二年ですか」
「そうなるわね。学院卒業までと言わないだけマシではなくて?」
……クラウド様が魔法学院を卒業するまでは公表しないことが前提のようですね。当たり前ですが、公表しないのに「こいつを正妃にするから承認しろ」とは言えませんし、公表したらしたで大変ですからね。
「我が儘なのは解っていますし感謝もしますが、少々無理がある気もします」
レイテシア様含めたくさんの方に色々協力して頂いていますからね。本当にありがとうございます。声に出して言えないのが残念ですが皆様感謝しております。
「確かに権力と直結する話を納得させるのは大変ね。でもそれは“貴方の”望みであって相手に負担を掛けるのは間違いよ」
レイテシア様……どうやら私はお姑さんにも恵まれたようですね。
「肝に命じて置きます」
「大事になさい。レイフィーラはどう? 中等学院に進む――――」
それにしても大丈夫でしょうかね。ここには侍女でなく侍女見習いも居るのです。「正妃」という言葉は一度も出ませんでしたが、話している内容がそれだと察した方もいらっしゃるのではないでしょうか?
「クリスさん」
晩餐終了後、クラウド様の後ろに侍り会場を出て廊下を歩いていると、後ろから私を呼ぶ声がしました。この声は、
「はい。ナビス様」
やっぱりナビス様でしたね。なんか凄く久しぶりな気がします。相変わらずお綺麗です。まあ一対一でなければ顔を見る機会は多いのですけれどね。
「クラウド様。クリスさんを少しお借りしても宜しいでしょうか?」
ナビス様は私から少し視線を逸らしながら問い掛けました。その視線の先は当然クラウド様です。
「遅くなるなよ」
「はい」
素直に返事をすると、クラウド様は惜しむように私を一瞥したあと後宮の正門の方へ去って行きました。……心配性ですね。まあ嫌ではありませんが。
その後ろ姿を少し寂しくなりながら見ていると、
「すっかり虜ね。お互い様みたいだけど」
ナビス様の声が今度は耳元で聞こえました。気づかいには感謝しますが驚かさないで下さい。
「ここから近いし、私の私室で良いかしら?」
「……はい」
わざわざ移動するような用件なんですね。想像は着きますが、ナビス様なら殆ど把握しているでしょうにまだ聞きたいのですか? 抜かり無いですね。
「それはそうよ。本人に聞かない限り本当のところは分からない。そうでなくては情報収集にはならないわ。偽の情報に踊らされるような愚かな真似はしないわよ」
それが出来てしまうのがナビス様の凄いところですし、恐ろしいところです。
「だからと言ってナビス様のように直接切り込んで行く方も珍しいと思います。凄いし頼れる先輩だとも思いますけど」
「ふぅ。まったく貴女は変わらないわ。昔から素直で穢れを知らない。……そんな話は良いのよ。あれはもう貴女がそう成ると捉えるべきなの? それとも分からないの?」
……正妃の話は凄く曖昧な終わり方でしたし、側妃の話には確信を持っているのではないでしょうか? だとしたらこれはどちらの話ですか?
「それはどちらの話ですか? 側妃ですか? 正妃ですか?」
「側妃? ……あ! 側妃に成ると返事をしたとリーレイヌから聞いたけど違ったのかしら?」
切り込み過ぎですナビス様! ど真ん中ではないですか。リーレイヌ様だけですからね。侍女で明確にそれを知っているのは。そしてリーレイヌ様! 勝手に話さないで下さい!
まあ、私もナビス様相手で黙っていられる気がしませんが。
「秘密にして下さいね」
「勿論よ。私の口が固いことぐらい知っているでしょう?」
知ってますけど……。
「クラウド様は正妃にしたいようですね。ジークフリート様は保留しています。殆ど先程お二人が仰っていた通りです」
「正妃に関しては進展無しなのね」
「そうですね。少なくとも私が見る限り今までと大差ないと思います。正妃候補の方々とも中等学院以外では接触がありませんし」
王太子に就任してから正妃候補との社交は皆無になっているのです。クラウド様は本気で私を正妃にする気のようですね。
「他はどうでも良いのよ貴女の話」
私の正妃就任に動きはほぼないと思いますけど……。
「準正妃に成ることが確定した以外は何も」
知っていますよね。リーレイヌ様から聞いたのですから。
「やっぱり気付いて無かったわね。まあそんな気もしたけれど」
え?
「ジークフリート様が十年で退官すると仰った意味を良く考えてないでしょう?」
十年で退官する意味?
「……御免なさい解りません」
話を聞く限り先王夫妻の隠居生活を見て自分もそうしたくなった。というだけなのですが?
「少し考えれば分かる筈よ。王位を退官する、いえ、王位を継承するには何が必要か」
継承するには?
「品位とか才覚とか度胸とかそういう話ではないですよね? 正妃も継承後に決めても良かった筈ですし……何ですか?」
御免なさい。また解りません。
「世継ぎよ。王に成るのに正妃は必要ないけれど、世継ぎは必要なの。ただの慣例だけれど、ジークフリート様もそれを無視して退官は出来ないわ。勿論ジークフリート様がその前に死んでしまったら話は別ね」
よ、つ、ぎ。……まだ結婚する前なのに私はそんな話を聞かされてしまったのですね。
「だから貴女を正妃にする方向で動きがあったのかと思ったのだけれど……違ったみたいね?」
「はい。何も。クラウド様は取り敢えず魔法学院に私を連れて行く方向で進めているだけで、正妃に関しての話は最近していません」
側妃を一人迎えたことを隠すにも色々と根回し手回しが必要ですなのです。いざという時、私がクラウド様の側妃であったという事実を証明出来なければなりませんから。
「そう。まあ焦る必要はないわ。十年で退官するというのもジークフリート様の我が儘なのは間違いないのだし。ああ、貴女は別に正妃に成りたいわけではないのかしら?」
「はい。「相応しくない」と言われてしまうのが目に見えていますから」
何せ私は魔技能値1ですからね。
「私はそうは思わないけれど」
優しいですねナビス様は。私より相応しい方が幾らでもいるのに私を相応しいと言うのは無理がありますよ?
「まあ兎に角、婚約おめでとうクリスティアーナ」
「はい。ありがとうございます」
2015年11月中は毎日零時と十二時に更新します。




