#80.板挟み
時は少し流れまして六月中旬。クラウド様の王太子就任から二ヶ月程が経ちました。
──準正妃の話を聞いてしまったからアントニウス様に余計に言い難くなってしまったではないですか──
なんて最初は思ったのですが、よく考えたら準正妃になることを言えないだけで、想い人としてクラウド様の名前を出す事は出来たのです。ただ、下手をすると王宮内に噂が立ち側妃になったことを公表せざるを得なくなりますから、本人に口止めをしてから話す必要がありました。
ってだからぁ。まだ側妃になるとは言っていません。
とは言いつつ、アントニウス様には私の気持ちは揺るぎないものとしてお話しました。
え? そうです。アントニウス様と話したということは、ローザリア様は持ち直されたということです。ただハドニウス様は、迎賓区の王国騎士達に睨まれただけで具体的に動きが無いうちに逃げるように帰ってしまいましたので、ローザリア様の心配の種は現状のままなのです。全くどうしようもない方ですね。
なんて思いながらも、アントニウスは「やはり私の気持ちの方が問題として大きかった」と仰っていましたので、目下の懸念事項は私ということです。
あの後一度だけアントニウス様にお会いしてお誘いはクラウド様の名前を出してきっぱりと断わりました。しかし結局は嘘だと思われたらしく度々お茶の誘いが来ているのです。今のところ完全に無視していますが……。
この件に関してはお兄様が警戒心を強めていて「二人きりで会ってはいけないよ」と言われ、更には「勝手に出歩くようだったら近衛で監視する」とも仰っていました。乱暴な事はしないで下さいね。
アントニウス様のことは暫く放って置くとして、今は休暇中です。しかも、大胆にも九連休を頂きました。まあその中六日は移動に費やすので休みと言っても忙しいのですが、道中も女同士で結構楽しめていますから非常に良い気分転換になっています。
そうです。私は今ヘイブス伯爵家の馬車でセルドア王国西部の中核都市ルトゥンに向かっているのです。目的はケイニー様の結婚式です。
ケイニー様はもう一ヶ月以上前に侍女を辞め後宮を出ていまして、今後侍女として後宮に戻る予定はないそうです。本人は「子供を産んでから考える」と言っていましたが、私としてはやはり寂しいですね。でもおめでとうと言わなければなりません。
それは兎も角、ヘイブス伯爵家の馬車ということは当然リシュタリカ様も一緒なのですが、もう一人同行者がいます。
今年から王都の治療婦院で働いているこの方は、先日お兄様との婚約式を終えたばかりです。そう。お姉様です。偶然三人共休暇が取れてケイニー様の結婚式に出られることに成りました。ヘイブスの騎士が護衛に付いていますが、馬車の中は女三人です。修学旅行気分ですね。宿も同じ部屋ですからとっても楽しいです。
お姉様はお兄様と一緒にいなくても良いのかとも思いますが、なんだかんだで二人は時間を作って会っているようです。仲が良くてなによりです。
「で、結局クリスはクラウド様とどうするのかしら?」
うっ。
お姉様のガードの緩さを利用して避けていたこの話題。ここ丸二日逃げ続けた質問が到頭出てしまいました。お姉様の目が爛々と輝いています。好きですねこの話。まあ私もお兄様とのことを根掘り葉掘り聞き出したわけですから、お互い様なのですけどね。
「どうすると訊かれても……王太子様相手では私に選択権はない気がしますけど」
「嘘ね。返事を保留しているのは貴女の筈だわ」
逃がす気はない。リシュタリカ様にそんな目で見られてしまいました。
「返事を保留ってどこまで進んでいるのクリスちゃん? 恋人なの? 求婚は? アンドレアス様は話して下さらないからわたくし殆ど知らないの。誰にも話さないから教えて欲しいわ。それにわたくしの話ばかりでは狡いですわよ」
お姉様。テンション上がり過ぎです。解りますけど。
「……恋人です。求婚はされています」
「そうなの? わたくしずっと二人はお似合いだと思っていたの。最初の頃はクラウド様の方が背が低かったからアンバランスだったけれど、今はクラウド様の方が高いでしょう? 凄く素敵だわ」
いえ、お似合いというなら長身のシルヴィアンナ様の方がお似合いだと思いますよ。もっと言えばリシュタリカ様もですね。リシュタリカ様だって際立った長身美人で正妃候補なのですから。まあシルヴィアンナ様は迫力美人でリシュタリカ様は妖艶な美人ですからタイプの差はありますけど、長身のクラウド様には中背プラスアルファ程度の私より二人の方がお似合いです。
「興奮し過ぎよミーティア。わたくしはどう返事をするか訊いているのよクリス」
リシュタリカ様は本当に逃がす気はないようですね。
「クラウド様の気持ちが変わらずに、このまま私の気持ちが大きく成って行けば、遅かれ早かれ妃になると思います」
「本当! ああとっても嬉しいわ。クリスちゃんにも大事な人が出来たのね。大丈夫よ。クラウド様なら優しく守ってくれる。メリザント様のようにはならないわ」
お姉様の暴走は留まるところを知りません。まだ返事はしてませんよ?
「だから興奮し過ぎよミーティア。側妃と言わなかったのは貴女が正妃に成る可能性もあると言う事なのかしら?」
聞き逃しませんでしたねリシュタリカ様。
「クリスちゃんが正妃? 男爵令嬢で────クリスちゃんが正妃に成れるの?」
──男爵令嬢で魔技能値の低い私が正妃に成れるのか?──お姉様のこの反応がこの国の貴族では一般的と言えます。上位貴族や他国の王族以外が正妃になるには、高い魔技能値が必要。というのが常識なのです。
「クラウド様はそれを望んでおられるようです」
「千年五百年続く王家の慣例を破って正妃にするのは流石に難しいのではなくて?」
そう言われてしまうと重いですね。まあ私は側妃が嫌だと思うだけで正妃に成りたいわけではありません。正妃は正妃で大変ですしね。
「それはクラウド様とジークフリート様が決めることです。それよりわたくしはクリスちゃんが可哀想ですわ」
え? 何故可哀想なのでしょうかお姉様。
「正妃を決めるまでは婚約は出来ても結婚は出来ない立場になってしまいますでしょう? ただただ待たされるなど辛いだけです。気持ちを伝えて貰えたとしても、結婚という形を得られないのはやはり不安になるモノですわ」
「婚約したばかりで幸せいっぱいのミーティアが言っても説得力はないけれど、優柔不断な男にまた振り回されるのは間違いなさそうね」
いえ、ジークフリート様は兎も角クラウド様は優柔不断とは言えないのでは? 本気で正妃にする気だと思いますよ?
「それは一応問題ないのです。二人は知らないと思いますけど――――」
「知らなかった。デュナなんてあるのね」
はい。私もついこの間まで知りませんでした。
「でもそれを公表すると物凄い騒ぎになるわよ。下位貴族令嬢がクラウド様に殺到するわ」
「はい。だからクラウド様も公表は遅らせると仰っていました。正妃が決まるまで出来る限り秘密にしないといけないのです。貴族には勿論、王宮内でも。二人も宜しくお願いします」
私のお願いに二人は大きく頷いてくれました。
「それは解ったけれどクリス。貴女はどちらが良いのかしら?」
それ訊きたいですかリシュタリカ様。あ、また目が輝いています。お姉様も興味津々ですね?
「どちらかと言えば正妃です。正妃は自分で覚悟出来れば済みますが、側妃は子供に諦めさせなくてはなりませんから」
絶対そうではありませんが、側妃の子が諦めなくてはならないことは沢山あるでしょう。子供に強いるのはやはり辛いことだと思います。
「というか二人共。まだ決まってませんからね。妃になること自体が」
そうです。最近何故か完全にクラウド様と結婚することが前提で思考することが増えていますが、私はまだ決断していないのです。ただ、クラウド様を大切に思う。傍に居たいと願うこの気持ちを忘れることが出来るかと問われれば、答えはほぼ間違いなく否なのです。
……私。落ちていませんか?
「そうは見えないわ」
「そうですわね。クリスちゃんの気持ちは固まっているのではないかしら? 心の奥底では」
かもしれませんね。
とは言うものの、クラウド様のことを考えなければ側妃は勿論嫌ですし、正妃になったらなったで「相応しくない」と言われるのは間違いありません。妙な板挟み状態にあるのです。
……優柔不断なのは私ですか?
次回 2015/10/30 0時更新です。




