#75.王子と男爵令嬢のダンス
クラウド様がビルガー公爵家の舞踏会に出席すると決めた理由は、何も私が出ることになったからだけではありません。クラウド様がシルヴィアンナ様をエスコートした影響で、今社交界ではこの話題で持ちきりだからです。
「クラウド様はシルヴィアンナ・エリントン公爵令嬢を正妃とする積もりだ」
この噂を打ち消すには同じ公爵のビルガー家の舞踏会に出るのは打って付けと言えるでしょう。逆に言えば、最初は断ったこの舞踏会に多少強引に出席する理由としては充分です。いえ、(私が)参加を要請する時には何も言いませんよ。「今からでもクラウド様の参加は可能か?」と問い合わせしたするだけです。
ただ、普段は踊らないクラウド様が実際に踊って見せるだけで、貴族達は「クラウド様はビルガー家を軽視してはいない」と捕えてくれるでしょう。
とは言っても「分かっていたことなのに何故最初は断った?」という声が上がる気がするのですが、大丈夫ですかね? まあそれを言うとしたらビルガー家からだけですから言わない気もしますけど。
それとは別に大きな問題が有ります。ビルガー家には今、クラウド様の婚約者候補となる方がいらっしゃいません。シルヴィアンナ様正妃説を覆す為にはその候補者と“だけ”踊るのが一番なのですが、その相手がいないのです。これで噂が消えるという事もないでしょう。
因みに、「今」と言ったのは後から出て来る可能性が無いわけではないからです。その理由は単純で、セルドア王家は魔才値を重視して正妃を選ぶ慣例がありますから、平民で際立った魔才値の持ち主が見付かれば、ビルガー家は養子としてその娘を迎えて正妃候補とするからです。お母様も時代が時代ならベイト伯家から正妃候補に名が挙がったのは間違いありませんからね。
とは言いつつ、魔才値を測定するのは五歳ですから今から見付かる候補者は皆クラウド様より十歳も下に成ってしまいます。余程の数値を持っていない限りシルヴィアンナ様を押し退けるのは難しいでしょう。しかもシルヴィアンナ様は魔技能値80以上、国内でも指折りと称される魔才値の持ち主ですからね。平民でそれを上回るというのは想像出来ません。
え? 80は高くない? いえ、全くそんな事はありません。百なんて数字を持っているのはボトフ家と王家ぐらいのモノなのです。
ボトフ家が、正確にはお父様が異常なのです。歴代のボトフ家当主も結構高い魔才値を持っていて、それ故上位貴族と繋がりがあるのがボトフ家なのですが、お父様は歴代当主の倍ぐらいの魔技能値の持ち主なのです。相当珍しい男子の養子話があった程だそうですね。
そんな飛び抜けた魔才値を持つお父様が充分正妃に成りえる魔才値を持ったお母様と結婚してしまったのですからまあ大変。ということです。
前にお話した通り、下位貴族の平均的な魔技能値は20~25。上位貴族で40前後です。その倍を行くシルヴィアンナ様を押し退ける方が現れるとは誰も思いません。敢えて上げるならリリアーナぐらいなのです。
ああ、リリにも養子話は来ているようですね。ただ、領地内の“平民”を養子にするのが貴族では一般的ですから、ビルガー家の養子になるとは考え難いです。
あれ? そう考えるとリリも正妃候補の一人ですか? ……そうですね。クラウド様と四つしか変わりませんし。
正妃候補が居るならばその方一人と踊るだけで済みますが、いないとなればそうは行きません。あまり長く居たくないと言うことで途中から来て途中で帰る積もりだったクラウド様ですが、そうも行かない状況に追い込まれています。
正妃候補の一人である伯爵令嬢ハンナ・ヨプキンス様と最初に踊ったのは予定通りですが、ハンナ様一人と踊るとハンナ様がシルヴィアンナ様の対抗馬と見られてしまいます。当然他のご令嬢とも踊る必要があるのです。そして適当な子爵令嬢を見付けて踊ったのは良かったのですが……その後物凄い状態に陥りました。
クラウド様は今日踊る気だ!
と察した令嬢達が怒涛の勢いで押し寄せたのです。年頃の令嬢が殆ど押し寄せたと言っても過言ではありませんね。まあ魔才値がそれ程高くなくても正妃に成る可能性がある子爵令嬢までは理解出来るのですが、どう考えても士爵令嬢や男爵令嬢が沢山。下手をすれば騎士家や商家のご令嬢が……ケブウス様の言うように泣いて喜ぶご令嬢が沢山いるのでしょうか?
側妃に請われただけで。
令嬢達に囲まれ無愛想全開のクラウド様ですが、その後も子爵令嬢を中心に年頃の令嬢を選んで踊っていました。しかし、どうにも尻込みした私はその列には入る事無くお兄様の隣でずっと眺めるだけにしていたのです。
と言うのも、ご令嬢達が殺到するのはある程度予測通りですので、私はクラウド様に言われていたのです。「兄と一緒に挨拶に来い」と。今私はそれを無視しているのです。
しかも、通常セルドアでは男性から女性を誘いに行くのですが、王子様は基本的にそれはしません。挨拶に来た女性の中から気に入った人を選らんで踊るのです。もし誘いに行ったら、「妃になれ」と言っているのと変わらないのです。
要するに、クラウド様からこちらを誘いに来る事はほぼ出来ないのですが……。
「行かなくて良いのかい? 来るように言われていたのだろう?」
「もうちょっと落ち着いてからにしませんか?」
ここまで殺到するとは思わなかったですから。
「落ち着くとは思えないよ? それにほら。踊りながらコッチを気にしてる」
ですよねぇ。お兄様は目立ちますしこちらの位置はバレバレの筈です。……はぁ。
「……行きましょう」
クラウド様と踊りたくないわけではありませんしね。それに、お兄様は近衛の一人として王宮で働いているのです。しかも今年から。ならば軽くでもクラウド様に挨拶する必要があるでしょう。このまま遠くで眺めているわけにはいきません。
踊る度に止まる列に並び続け三人と踊るクラウド様を眺めたあと、漸く私達の番が来ました。短くなってた列を見て気が早かったと後悔しつつ挨拶を済ますと、当然ように、
「一曲ご一緒願おうクリスティアーナ嬢」
「「「キャー」」」
クラウド様が手を差し出して来ました。その動きに黄色い声が上がるのは毎回のことですが……黄色い声が妙に大きく感じたのは気の所為ですか?
「喜んでご一緒させて頂きますわクラウド様」
「「「キャー」」」
素直に手を置くと黄色い声は更に大きくなりました。いえ、だから、反応が大きくありません?
優しくリードしてくれるクラウド様に従ってダンスの為にホールの中央まで歩きます。曲の途中なのに他の踊っている方々が場所を開けてくれるのは毎回のことです。
ちょっとタイミングを見てからクラウド様のリードに従ってステップを始めました。すると、
「「「キャー」」」
またもや黄色い声が上がりました。だから、反応が大き過ぎません?
「クリスはこの会場で随分と注目を集めているようだな。私が来る前に何をした?」
いつもの無愛想顔のまま睨み付けないで下さい。怖いです。
「特には何もありません。時々踊ったり、沢山断ったりです。と言うか、クラウド様程注目されていませんのでクラウド様に言われると腹が立ちます」
「少しは嫉妬したか?」
はい?
「私が踊っているところを見て少しは嫉妬したか?」
……もしかしてそれが狙いでこの舞踏会に来たのですか? 本当に熱心ですね。絆されそうです。まあそれも一種の恋心ですかね?
「いえ、全く。あとで自分も踊れると分かっているので、羨ましいとも思いませんでした」
もっと言えば、全く微笑み掛けたりしていないので、危機感も覚えません。更には、大きな式典では絶対にあり得ませんが、舞踏会や夜会でなら状況如何で側妃がパートナーとなることは珍しいわけではありません。そういう意味でも羨ましくならないのです。
「私は嫉妬した」
え?
「アントニウス様に」
ああ、あの時ですか。見ていたのは気付きましたけど、どこまで見ていたのでしょう?
「恥ずかしいですから思い出させないで下さい。私がアントニウス様に飛び込んでしまったのを見てらしゃったのですか?」
「あれは突然止まったアントニウス様が悪い。クリスが恥じることはない」
……衝突する前から見ていたのですか?
「どちらが悪くても恥ずかしいことに変わりはありません」
「……なあクリス。今日君は大して着飾ってもいないのにダンスの誘いが絶えなかったのだろう?」
また随分と話が変わりましたね。声のトーンも落ち着いたモノに変わりました。
「はい。大変でした」
「王宮で処理している手紙や招待状は並みの数ではない」
「らしいですね。本当にご迷惑をおかけしています。でも私を仕上げてくれた方々の勲章ですかね。ちょっと勿体ない気もします」
名前も知らない男爵家から縁談が入ることもあるそうですし、どれもこれもルッカちゃん他私のデビュタントに協力してくれた方々の賜物です。ちょっと迷惑ですが。
「違うぞクリス。全ては君が魅力的だからだ。君は本当に美しく可憐な女性だ。そして心も純粋で優しい。クリス程魅力的な女性などこの世にいない」
強い恋情が籠った瞳と言葉が私に向けられましたが、つい、と言ったそれをクラウド様は慌てて沈めます。その慌てぶりに嬉しくなった私は、甘やかしてみたくなりました。
「大丈夫ですクラウド様。少し強い想いをぶつけられても、今の私は逃げ出したくはなりませんから。少しですけど」
踊りながら少しの間目を見開いていたクラウド様は、ホンの少し笑顔になったあと再びいつもの無愛想顔に戻りました。中にはこの顔が「クールで素敵」という人もいます。謎です。あ、見世物としては悪くないですね。恋人にこれをやられるのは心底嫌です。
「今までやって来たことも効果があるということか?」
「はい。少しは安心しましたか?」
素直に頷くとクラウド様また少しだけ笑顔をみせました。
「……全く変化がないのかと思っていた」
「そんなことはありません。それに私だってクラウド様が好きだと告げた筈です」
そう言って笑顔を向けると、クラウド様は少しステップを乱しました。動揺させてしまいましたか?
「済まない。
そう言えばそうだったな。流れの中で言われたから忘れていた。もう一度言ってくれないか? 今の気持ちを正直に」
そう言えば、あれ以来口説かれ続きで自分の気持ちは伝えていませんでしたね。
「まだ側妃の立場を受け入れられる程強い想いではありません。でも私は確実に貴方に惹かれております。
お慕い申し上げますクラウド様」
再び笑顔を向けるとクラウド様は大きくステップを乱しました。……自分で促したのにそんなに動揺しなくても。
その後少しの間セルドアの社交界で、「例の金髪の男爵令嬢はクラウド様狙いらしい」という噂が上がったのは私の知らない話。




