#70.思いの丈
クラウド視点です。
「幾ら想い人があちらにいるからと言って、ダンスのパートナーを疎かにしたら評判が悪くなりますわよ」
そんなことを言いながらも優雅に踊っているシルヴアンナ嬢は流石だが、私としては彼女からどうしても目が離せない。当然だ。お仕着せの彼女にすら目を奪われる私が、完璧に着飾った彼女から目を離せるわけはない。
「先程の会話は無意味でしたわね。こんなにもずっと見てらっしゃるなら問答する必要は無かったわ」
呆れるのを隠しもしない公爵令嬢にちょっと腹を立てながらも、諦めて視線を戻すと朗らかに笑う美人が居た。笑顔に驚いた私はつい眉間に皺を寄せてしまった。
「怒るようなことを言った積もりはありませんわよ。寧ろ怒って良いのはこちらですわ」
「済まない」
「まあ良いでしょう」
……完全に彼女のペースだ。
「それで? 彼女を正妃にとお考えですか?」
思わずまた睨んでしまった。これは失礼過ぎるな。
「失礼。正妃は無理だ」
「無理? 例え士爵家の令嬢であっても「出来ない」という法はどこにもありませんわよ」
それは確かにそうだが……。
「魔才値は流石に無視出来ない」
「「無二の悛傑」なんて呼ばれている方が随分と小さいことを気にしてらっしゃいますね」
流石に小さくは無いと思うが。
「貴族連中が何を言って来るやら分からない。そう簡単に正妃は決められない」
「慣例など振りかざす選民貴族なんて放って置けば良いだけですわ」
……一応エリントン家もその選民貴族の一部だと思うが。
「下手をすれば内戦になり兼ねないと思うが?」
「反対する者を叩き切る覚悟が無いなら、その程度の想いだということですわ。忘れた方が幸せかもしれませんわね」
幾ら何でもそれは過激すぎるだろう。それに、
「彼女はそんなことを望まない。自分の為に他人が傷付くのなら自分が犠牲になろうとする」
いや少し違うな。きっと彼女は、目の前で誰かが傷付くと自身も傷付いてしまうのだ。だから彼女は全力で動く。他人の為に。ある意味酷く面倒な人種を好きなってしまったな。
「なら。全てを捨てて彼女と共に逃げる覚悟は?」
「国をか?」
「全てです。彼女以外の大事な物全て。王太子の子として産まれた人間が、その程度の覚悟無しに愛した女性と結ばれるなんて甘い考えを持っているわけはありませんわよね?」
この問答は一体なんだ? 何の為の質問なのだ?
「王位と彼女を秤に賭けるなら、私は彼女を取るだろう。それぐらいの想いはある。ただ、私の大事なモノを全て捨てるなど彼女は良しとしない。そんなことをしたら結果的に彼女を傷付けてしまう」
「良いでしょう」
は?
「仮にわたくしが貴方の正妃に成ったとしても、彼女を側妃とすることを許しましょう」
何?
「……正妃には成りたくないのではなかったのか?」
「ええ。御免被るわ」
また随分とはっきり言ったな。
「なら何故仮定の話をする?」
「エリントン家の情報網を舐めて貰っては困りますわね。クラウド様がわたくし以外の婚約者候補を袖にしている情報ぐらい掴んでおりましてよ」
いや、そもそもエリントン家にはソフィア様という発信源があるのだからもっと細かく知っていても不思議ではないだろう。
「そうでなくとも貴女は正妃に成る可能性が高いかもしれないが、クリスの話とどう関係が?」
「簡単な話ですわ。それほど強い想いがあるなら、何故それを本人に告げないのです?」
なっ。
「やっぱり告げていないのですわね? まったくこれだから男性は……」
こんな短時間で何故それが分かる?
「怒ってらしたからよ。貴方の想い人が」
クリスが怒っていた?
「見惚れていて気付かなかったのですわね? 彼女は貴方とわたくしが呼ばれた途端驚いて、その後貴方に対して怒ってらしたわ。クラウド様がわたくしをエスコートすることを知らなかった証拠ですわね。
そして知らなかった理由は――――」
は? 知らなかった理由?
「貴方が何一つ想いを告げていないからこの話も出来なかった。違うかしら?」
何処までも敵いそうにない相手だ。
「図星ですわね? はあ。まったく。それほど強い想いがあるなら相手に伝えなくてどうするのです。ほら、最有力婚約者候補のわたくしが許可を出しますから思いの丈をぶつけていらっしゃい」
思いの丈を……ダメだ。まともに思考出来ていない。私は本当にクリスを怒らせてしまったのだろうか? ……しかし怒ってくれたということは希望があるということか?
「この期に及んで玉砕するのが怖いなどと仰るなら、エリントンの力を総動員してあの子潰しますわよ」
クリスを潰す?
「やっとまともな顔に成りましたわね。一国の主に成ろうという男が惚れた女性一人口説くことも出来ないなら、今すぐその座から下りなさい」
睨み付けた私の顔がまともな顔か。本当にやりにくい。
「今改めて思った」
「あら? なんですの?」
「貴女を正妃にはしたくない」
敵わない。毎日これでは大変だ。
「ふふ。お褒めの言葉ありがとうございます王子様」
何故か褒め言葉と受け取った彼女は、今日一番の笑顔を私に向けていた。
この時の彼女の猛烈な後押しに私欲が含まれていたと知ったのは、まだ随分と先の話。
「シルヴィアンナ様のエスコートをなさった理由は解りましたけれど、それがクラウド様のお話ですか?」
クリスの責めるような声に私はまた言葉を失った。……ずっとクリスを見ていたという話から何故シルヴィアンナ嬢のエスコートの話になった? 私もまともな精神状態ではないらしいな。
「クラウド様は先程謝られましたけれど、私は別にクラウド様がシルヴィアンナ様をエスコートしたことに腹を立ててなどいません」
謝った? ああ謝ったか。
「嫌ではないのか? 私が他の女性を連れて歩くことが」
私は玉砕するのか?
「そんなことを言う権利がありません」
ここに来てそんなことをクリスに言われるとは思わなかった。
「身分は関係ないだろう。嫌か嫌ではないかの問題だ。要するに感情の気持ちの問題だ。今更そんなことを言わないでくれ」
ただでさえ身分の差で君を幸せにしてやれないというのに。
「今更そんなこと、とは私のセリフです。身分の話などしていません。クラウド様の言う通り、感情の、男女の恋愛関係の話です」
恋愛関係の話?
「全部私に言わせる気ですかクラウド様は」
解らない。ただ解るのはクリスは今怒っているということだ。
「スマナイ。話が見えない。取り敢えずクリスがあの時怒った理由と今怒っている理由を聞かせてくれ」
小さなその顔のパッチリとした目で上目遣いに私を睨み付けたクリスは、その小さな愛らしい口を尖らせ、桃色の頬を膨らませている。正直可愛いとしか思えないが、そんなことを言ったらどうなるか分からない。というか、今日のクリスは異常な程喜怒哀楽が激しい。本人が言った通りまともな精神状態ではないのだろう。
「本当にすまない。クリスの気持ちが分からないんだ」
「はあ〜」
もう一度言うと彼女は全く遠慮をすることなくため息を吐いた。
「身分は全く関係ありません。恋人ではない人に対してそんなことを言う権利はないと言ったのです。恋人でない限り、クラウド様が誰とダンスをしようと、誰をエスコートしようと、私に何一つ言う権利はないのです」
成る程。そういうことか。クリスの感覚は庶民のそれに近いからずっと違和感があったのだ。恋愛に限らずクリスの感覚は貴族から逸脱した部分がある。先程の足を見せるどうのこうのも彼女の本心なのだ。これで納得が行く。詰まりは、
「私は、私とクリスが対等な関係には成れないと思っていた。だがクリスにとって私は一人の人間としてずっと対等だったのだな」
考えてみればクリスはずっとそうだった。だから貴重な存在だった。そしてこれからもそれは変わらない。今すぐかどうかは分からないが、きっとクリスは応えてくれる。私の気持ちに。
「王族であろうと上位貴族であろうと人間は人間ですから。それに、その人に能力と気概があれば国を興して王に成ることだってあるのですから、一人の人間としては全て対等です。
勿論職務上の上下関係は必要ですよ。負っている責任が全く違いますから」
全く淀みの無い彼女の言葉。時折彼女はこうして強い主張をする。どれも的確な正論だがセルドア人の常識を逸脱した部分がある。こういう考え方をいったいどこで身に付けたのだろうな。
「ならクリス。これから私がする話を、男爵令嬢としてではなくクリスティアーナ・ボトフという一人の淑女として聞いてくれ。私は次期王太子でも王族でもない一人男、クラウド・デュマ・セルドアスとして話したい」
少し驚いた表情をした彼女はいつもの優しい笑顔を私にくれた。私は一瞬ドキッとしたが、彼女が真剣な表情になるに連れて私は冷静さを取り戻した。
「分かりました」
その答えを聞き間髪入れず彼女の前で跪く。そして私は話し始める。彼女の目を見て。真剣に。穏やかに。真摯に。想いを込めて。
「クリス。私には君以上に大切なモノは無い。命懸けで君を守りたい。君にずっと傍に居て欲しい。
愛しているクリスティアーナ」
私の大切な女性。出来ればこの手を掴んでくれ。
思いの丈をぶつけながら、ゆっくりと差し出した手は――――
2015/10/27まで毎日二話更新します。午前午後で一話ずつですが時間は非常にランダムです。




