#66.親の我が儘
お兄様が取ってくれた休憩室まで移動した私は、お母様とお姉様に慰められながら訥々とお話していました。
ただ、ローザリア様のことを話し終えると「それだけでクリスが泣き出すとは思えないわ。他にもあるのではなくて?」と指摘されてしまいました。
確かに私があそこで泣き出したのは、ローザリア様のことだけではありません。色々な感情がごちゃ混ぜになって限界を越えてしまったのです。でもやはり、クラウド様のことを話すのは躊躇してしまいます。
え?
それはそうですよ。だって自分の感情すらまともに整理出来てませんし、クラウド様には何も告げられていないのです。家族に話すにも、何をどう話して良いのか分かりません。
ですから、その話を意識的に避けていたら、余計に泣ける話に突入してしまいました。
ああ、本当にこの12時間ぐらいで色々あり過ぎです。
「わたくしがクリスの後宮入りに反対しなかった理由?」
お兄様が取ってくれた休憩室は妙に豪華で、天蓋付きの寝台まである広い部屋でした。そこに在ったソファーでお母様とお姉様に挟まれるように座ってお話しているのです。私が男だったら両手に華どころの騒ぎではありません。暴動が起きるでしょう。
冗談は兎も角、この話題。もう一泣きしなければ終わらない話です。
「リリだけが理由だとは思えません」
「……あれは陛下の命令だったのだから元々断れないだろう?」
私達に選択肢は無かった。お兄様と同じように私も最初はそう思っていました。しかし、今はそうは思えません。それは単純に、レイテシア様もクラウディオ様も相手に有無を言わせないような理不尽なやり方はしないからです。お二人が9歳の女の子を強引に後宮に引っ張って来るような真似をするとは到底思えないのです。レイテシア様が頼みクラウディオ様が同意したなら、そこには強引ではない理由が存在するでしょう。
「クリスを誤魔化せるとは思っていなかったけれど、いつ気付いたの?」
「元々私が侍女見習いになる気でいたとしても、九歳で親元を離れるのは早いですし、侍女見習いには時期尚早です。お母様が反対しなかった時からなんとなく」
「最初からということね。ならもっと早く話せば良かったかしら」
少し申し訳無さそうなお母様を見て、私の目にはもう涙が浮かんで来ています。色々あり過ぎて情緒が安定していません。
「どういうことでしょう?」
対面に座るお兄様は少し不機嫌です。
「クリスの後宮入りはわたくしからレイテシア様にお願いしたことよ。レイテシア様は、レイフィーラ様がクリスになついているのを分かっていらしたし、レイフィーラ様の人見知りをどうにかしたいと思ってらしゃった。お互い都合が良かったのよ」
やはりお母様からレイテシア様にお願いしたことだったのですね。
「それでは王宮側の利点しかないのでは?」
「アンドレも分かっているでしょう? この子はいざという時自分の身を自分で守れない」
「あ!」
お母様がお兄様に向けた言葉でお姉様は思い出したようですね。
そうです。私は自分で自分の身を守れないのです。魔法を防ぐには魔法。そしていざという時は魔法。女性が身を守ろうと思えばこれが常識です。
日本人より男女の体格差が大きいセルドアでは、女性が武術を習っても男性に抵抗するのはなかなか難しいですし、私はセルドア女性の中でも華奢な部類です。まあ私がというより貴族女性がと言った方が正しいですけどね。何れにしても、魔法無しに男性に抵抗するのは難しいのです。
お母様が私を後宮に入れた理由はそれが一番でしょう。そういう意味で後宮は世界一安全と言っても過言ではありませんからね。
「しかし、流石にゴバナ村で何かあるとは思えないのですが。普通に12歳の時で良かったのでは?」
「ゴバナ村でも絶対は無いわね。それに幾らクリスが優秀でも試験を受けたら落ちる可能性はあるわ。もし中等学院に通うことになっていたら貴方は耐えられた? わたくしには無理だわ。親の我が儘と言われたらそれまでだけれど子供には出来る限りのことをしたいのよ」
お兄様は私の顔をチラッと見たあと、少し俯いて沈黙してしまいました。
「……それにクリスちゃんが気付いたのはずっと前のことでしょう? 泣いていた理由にはならないと思うのだけれど」
少しの沈黙を破ってお姉様が私を覗き込むように話します。その顔には優しさが溢れていました。随分と心配を掛けてしまったようです。
「お母様。いったい何人に私のことを頼んでいたのですか?」
私は実感してしまったのです。お母様とお父様の顔の広さの異常さを。
二人が挨拶するのは上位貴族や有力子爵ばかりで、場合によっては向こうから声を掛けて来るのです。ボトフが男爵家になったのがお父様からだと考えるとこの顔の広さは異常です。
そして、下手をすると私のことを知っているのです。しかも、私が九歳で侍女見習いになったことを知っているのです。その数の多さに私は驚愕し、同時に両親の愛の深さを知りました。
「何人って……今言った通り。これはわたくしの我が儘よ。クリスが傷付くのが耐えられないだけ」
「お母様!」
ドレスが乱れてしまうのも構わず私はお母様に抱き付きました。辛うじて声を上げて泣くことは耐えましたが、涙で顔はぐちゃぐちゃでしょう。
お母様はお母様の我が儘なんて仰っていますが、侍女見習いは過酷な仕事です。特に一年目は肉体面より精神面でそれは顕著です。今まで親元で大事に育てられて来た令嬢達が殆ど知り合いのいない場所で共同生活を強いられるのですから不安になるのは当たり前ですし、後宮外での身分制度の重さを知っている令嬢達からすれば、自ら仕える主人はその頂点の王族なのです。慣れない緊張の連続に押し潰される人もいます。辞める人が半分いても当然なのです。お姉様が居なければ私も辞めていた可能性が充分にあります。
そんな侍女見習いとして私を後宮入りさせたのですから、お母様の心配は並大抵では無かったでしょう。それ以上に辛いことを避ける為とは言え、大きな決断だったのは間違いありません。
そして、お母様をその決断に至らせた最大の理由は、私の魔才値が、正確には魔技能値が極端に低いことにあるのは本人に訊くまでもありません。
あの時私はお母様を泣かせてしまいました。素直に落ち込んでいれば良かったのに不用意に元気に振る舞ったことによって。
魔才値を測定した翌日、無理に明るく振る舞った私は「気にしてない」なんて、言っても気遣いにも何にもなっていない言葉を口にしてしまったのです。それでもお母様は「ごめんなさい」と私を抱き締めてくれました。
私がその後大泣きしたのは以前お話したことです。その理由は確かに、魔法が使えないことを受け入れ難くて泣いた部分もありました。しかし大半はお母様を泣かせてしまったことによるのです。私の魔技能値が低いことはお母様にも衝撃で辛い思いをさせてしまうことを理解してしまったのです。
――お母様はきっと、死ぬまで私を心配し続ける。必要以上に――
私が魔法の修行を一心不乱に行ったのも、後宮入りを嫌がらなかったのも、結局はそこに起因しているのです。
そして本当は、私がクラウド様の話を今ここで出来ないこともそれが起因しているのですが、それはまた少し別の話。
「母上が懇意にしていた方達が後宮に沢山居たのは知っていましたが、大人達は良いにしても、子供は、特に同期の侍女見習いに対して不安は無かったのですか?」
私がだいぶ落ち着いたあと、話は再び私の後宮入り云々に戻りました。
お兄様はお母様がレイテシア様に頼んで私が後宮入りをしたという所に納得が行っていないようです。まあ確かに自分の子供を放り出す行為に変わりはありませんからね。
「それぐらいは自分でどうにかすると思っていたわ。相手も所詮12歳の子供。しかも大事に育てられた貴族令嬢。当時のクリスがその程度で物怖じしないことぐらいアンドレだって分かっていたでしょう?」
「……確かにそうですが」
「アンドレアス様。セリアーナ様のご決断が無ければ私はクリスちゃんに出会えていなかったかもしれません。そしてあなたと結ばれることも無かったかも――――。
だからセリアーナ様を責めて欲しくありません。私はこんなに互いを想い合えるボトフ家の一員に成れることをとても嬉しく思います」
お姉様。初めて会った時の少し気弱なお姉様と比べて随分と凛々しく美しく成長なさいましたね。妹としてとても嬉しいです。
「私もお姉様と出会えてとっても良かったです」
「ありがとうクリスちゃん」
私がお姉様に笑い掛けると、お姉様も優しく微笑んでくれました。
「……敵わないな」
「諦めなさい。夫婦とはそういうモノよ」
照れるように、少し嬉しそうに呟いたお兄様。それに笑顔で明るく返したお母様は楽しそうです。
――コンコン――
和やかな空気に変わりつつあった部屋にノックの音が響きました。
「私だ。入って良いか?」
お父様?
「どうぞ」
「失礼するよ」
お母様が返事をするとお父様が休憩室に入って来ました。
後回しになっていた士爵家の方々に挨拶回りをしていた筈のお父様が何故ここに? もう終わったということでしょうか? ボトフ家は歴史のある家で、男爵家というより士爵家に近い家ですから、挨拶しなければならない士爵家は沢山ある筈なのに……。
「だいぶ落ち着いたようだねクリス」
「はい。ご心配をお掛けしました」
心配そうに私の顔を覗き込んだお父様の顔に安堵の色が浮かびます。心配させてごめんなさい。
「うむ。大丈夫そうだな。
して、断わることを前提に取り接いだから、嫌なら断ってくれて良いのだが――――」
え? 取り接ぎ?
「クラウド王子が近くまで来ている。クリスと話したいそうだがどうする?」
本当に色々ありすぎです。




