#49.外交官と前大公
イブリックの外交官、ユンバーフ視点です。
物語は巻き戻り。半年ほど前。とある屋敷の主の執務室。
「ユンバーフか。久しぶりじゃな」
「お久しぶりです。レキニウス様」
大公位をお譲りになられたあとも精力的に外交や社交に尽力するこの前大公から70という年齢を感じることは全く出来ない。確かに、顔には皺が走り楽しそうにしながら浮かべる微笑みは年々柔和さを増しているように思う。しかし、いざ必要とならば間違いなく現大公ハドニウス様相手でも硬直させるような威圧感を発揮出来るだろう。
「お主は薄情じゃな。せっかく育ててやったのにいざ力を発揮出来るような歳になったら駐在文官などになりおって」
「ご指導には感謝していますが、外交はまず人間関係を構築して行くモノだと仰ったのは他ならぬレキニウス様です。そして一度の交渉で外交は終わらないと仰ったのも」
今回の失敗もこれで終わりに出来ないことが一番の悩みの種だ。セルドアとの関係はこれからも脈々と続いて行くのだから。
「それで? 失敗してわしを頼りに来たということかの?」
「否定はしませんが、セルドア側には然程問題はありません。クラウディオ陛下もそこまでイブリックに対してお怒りではないでしょう」
「意外じゃな。お主はもっと落ち込んどるかと思ったぞ。軍艦なぞ連れて来てしまって大失態だとか見当違いなことで」
……幾ら恩人相手でも12歳の少女に慰められたとは流石に言いたく無いな。
「誰かに慰められたか? しかも女? 奥方はエルノアじゃろう? お主にそういう相手が居るとは意外じゃな。もしかしてヒルベルタかの?」
「いえ、ヒルベルタ様では――――」
あの方と私の縁が疾うに切れていることぐらいご存知だろうに。
「疾うに縁が切れた相手でもまた結ばれることがないわけでもない。人の縁も外交も同じであろう? 何もしなければ何も起こらん。大事なのは諦めんことじゃ。必ず道はある。
雑談は充分じゃな。して、本題を訊くぞ?」
「私はセルドアの外交官達と一緒に一度エルノアに戻ります。その間レイフィーラ様とその侍女達をお願い致します」
人質生活も三ヶ月経ってだいぶ落ち着いているようだが、気掛かりなこともある。放って置けば最悪な事態も起こりかねない。大公様は一切頼りにならないし、頼れるのはこの方だけだ。
「お主社交に出てないじゃろう?」
「は?」
イブリックの社交界には久しく出てないが、それが今の話となんの関係が?
「セルドアに構ってばかりで国内の社交を疎かにしておるな? 全く外交バカも困ったモノじゃ」
「はぁ……申し訳ございません。ただ本国に居ることが滅多にありませんので」
外交バカとは言い過ぎではないだろうか? 確かに社交の場には出て行ってないが、国内の人間ともそれなりに上手くやっていると思うのだが……。
「お主を苛めるのはこれぐらいにするかの。今回帰って来たあと舞踏会には出ておらんだろう?」
「はい。なにかと忙しく出席出来ていませんが」
「お主が心配せんでも王女様は、いや王女様とその侍女達は自分達で自分達の安全を確保しておるよ。近衛もおるし、よっぽどのバカがおらん限り早々問題にはならんじゃろうて」
いや確かにセルドアの近衛は剣も魔法も優秀な実力者揃いだが、如何せん三人しか居ない。王女を含めて五人の女性達を常時守るのは難しい。
「しかし、戦力的に劣ってしまう可能性も充分にあるのでは?」
「だから社交には出ろと言うておるんじゃ」
は?
「情報収集は外交の基本中の基本じゃろう? それで良くセルドアの直系姫なんぞをイブリックに連れて来れたモノじゃ。奇跡じゃな」
確かにあの交渉は上手く行き過ぎだった。タイミングが良かったのもあるが、それ自体が奇跡のようなモノだ。ってそんな話ではない。社交にどんな情報があったのだと言うのだ? 一応出席者から話は聞いたが、何の問題も起こっていない筈だ。いや寧ろ彼女達の評判は良かった。あれだけの容姿があれば当然と言えば当然だが。
「社交の評価はなにも容姿だけで決まるモノではないぞ。ダンスは勿論だが、物腰、態度、会話、心遣い、立ち振舞い。全てで評価が左右するのじゃ。特に貴族女性は社交での評価がその女性の人生を左右するのだから必死じゃろうて。自分は勿論じゃが、他の女性の粗を探すのに躍起になっておる」
確かにそれはそうだが……。
「お主も知っておろう? 侍女見習いの制度を?」
侍女見習いの制度? ……あ!
「やっと気付きおったか。
そうじゃ。彼女達は皆侍女見習いを終えた者達じゃ。12,3の頃から惜しみ無く自分を研き込んだ彼女達に令嬢育ちのイブリック女達が敵う筈がないのじゃよ。そりゃ一部男が絡んで妬む女もおっただろうが、敵わないと思う人間に対して大抵は憧れか羨望を抱くものじゃて。彼女達は自分達の力で確保したのじゃ。自分達の平穏を」
前々から思っていたが、やはり侍女見習いの制度は凄い。あれがセルドアという大国を陰で支えていると言っても過言ではないだろう。
「……とは言えレキニウス様」
「分かっておる。どこにでもバカは居るモノじゃて。彼女達もそれぐらいは理解しておるよ。クラウディオもな」
クラウディオ陛下も……遠目から見ただけでも萎縮してしまうような気配を持ったあの方。正直私はまだあの方の人柄などは把握出来ていない。セルドアのきらびやかな社交の場でもソフィア様と並び歩いただけで周りを圧倒してしまうあの方には近づくことさえ殆ど出来ないのだ。本当にそれで良く外交交渉なんかやっているモノだ。
「宜しくお願い致します」
「そう畏まるでない。それにもうヒルベルタが動いている」
「ヒルベルタ様が?」
ヒルベルタ様は「イブリック社交界の盟主」とも言われる方だ。彼女の信頼を得たのなら組織的に馬鹿な真似をする奴はまずいない。本当に一部の近視眼的な人物を警戒するだけで充分だ。
ヒルベルタ様と敵対しようものならばイブリック社交界では生きて行けなくなる。詰まり、社交界での情報収集が不可能になるのだ。それは実質、貴族として片腕をもがれるに等しい。だから彼女が誰に目を付けているのかは社交界で飛び交う一番重要な情報……あ!
「だから言ったのじゃ。社交には出ろと。
レイフィーラ様の遊び相手として来たのかと思ったあの12歳の侍女。随分と優秀な娘のようじゃぞ。容姿も並み外れておるし、ヒルベルタが目を付けるのも当然じゃろうな」
彼女か。確かに一度話しただけでも優秀なのは間違いなかったし、ヒルベルタ様が目を付けたというのも納得だ。……また彼女に救われた気がするな。
半年ぶりの本国。帰還して早々呼び出されたのがあの方と言うのは喜ぶべきなのだろか?
そんな困惑以外なにものでもない感情と共に訪れたとある屋敷。応接間で待たされた時間が本来の数倍に感じたのは、語るまでもないことだ。
二人で会うなど何十年ぶりだろうか? お互いまだ社交界に出る前の子供だったのは間違いないのだから、三十年が経つか経たないか。形式的に挨拶を交わすだけの関係になってからも二十年近くが経過している。遠目から彼女の美しい姿を眺めるだけになったあの頃を思い出すと、やはりむず痒いモノがあるな。
良く言われるようにいつまで経っても色褪せないモノだ。初恋の思い出というやつは。
「久しぶりねユンバーフ。元気そうでなによりだわ」
やはりこの方は美しい。自慢ではないが、妻も何故私に付いて来てくれたかが解らない程美しい女だ。しかし、この方程でははない。厳選された美女が揃うセルドアの上位貴族の奥方達と並んでもこの方は退けを取らないだろう。
「ご健勝そうでなによりですヒルベルタ様。お久しぶりでございます」
その後二人の間に流れた微妙な空気を取り去りまともに話始めるには数分以上の時間を有し、本題に入るには更に一時間以上の時間を有した。そして、
「ダヒルがレイフィーラ様を誘拐しようとしているようだわ」
初恋の人から聞いた話は、三人で共に幼少期を過ごした幼なじみの暴走だった。




