#48.疑心
「レイフィーラ様はおられるか?」
突然部屋に入って来たその方は夜会服のままと思われる身なりの良い中年男性で、入室を強行した割に腰の低い口調で問い掛けて来ました。ただ、その眼光のあまりの鋭さに恐怖心すら覚えた私です。
「レイフィーラ様に何かご用ですか?」
「おられないならそれで良い。寝ておられるのか?」
相手が侍女だと分かった途端に態度を変えましたね? 爵位こそ無いですがイブリックも身分制度には厳しい国なので想像の範疇ですが……随分と焦っている気がします。何か不都合が起きたのでしょうか?
「失礼ですが貴方は?」
「王女が居るか居ないかだけ答えれば良い」
かなり強い口調に成りました。どうやら相当焦っておられるようです。
「申し訳ございませんが、どなたか分からない方をお通しすることは出来ません。そしてお名前さえ伺えなければ取り次ぎようがありません」
そもそも勝手に扉を開けて入って来た時点で失礼極まりない行為です。もし後宮なら問答無用で叩き出されるでしょう。
「……ダヒル・アイズフルだ。レイフィーラ様に取り次ぎ願おう」
こちらが平静を装って整然と話すと、男性、ダヒル様は多少冷静さを取り戻したのか、平淡な口調で名乗りました。とは言うものの、まだ随分と焦りは残っているようで取り次ぎすることが前提になっていますね。
「ご用件をお伺いします」
やはり焦っておられるようですね。睨まれてしまいました。
「イブリックでも年越しの時はずっと起きている方が多いとは伺いましたが、今が深夜であることにはなんら変わりはありません。夜も深い時間に突然訪ねて来た方を用件も聞かずに主の前に連れて行くわけにはいきません。
ご用件をお伺い致します」
「……急な用件だ。侍女に話すわけにはいかない王女に話す」
話せない、ではなくて、話したくない、だと思いますよ?
「セルドアの侍女は大事な国際会議でさえ主の傍に控えていることは少なくありません。ましてやレイフィーラ様はまだ九歳の未成年です。国家機密に関する用件であれ私がレイフィーラ様から離れることはありません。
ご用件をお伺い致します」
「ならお前も同席すれば良い。王女はどこだ」
焦りが怒りにそして殺意に変わりつつある。そんな気がします。
「お引き取り下さい。ダヒル様をレイフィーラ様のところへお連れすることは出来ません」
そうハッキリと告げると、ダヒル様は暫く私を睨み付けていましたが、目線を部屋の奥に向けると、
「侍女の分際で偉そうなことを言うな。その奥の扉だな?」
奥の扉に向けて歩き出しました。
「お待ち下さい!」
私の制止を一切聞かず、部屋の奥へと歩くダヒル様。その歩みにはセルドア王女への敬意は一切感じられません。と言うか、ここには大公のお子様とその又従兄弟が居る“筈”の場所なんですが……。
「ここは大公城の中です。そんな無礼が許される筈はありません」
大股で早足に扉の前まで行った勢いそのままに、ダヒル様はノックも無しに乱暴に扉を開けてその中に入りました。私も奥の部屋の扉の近くまで付いて行きます。
「貴方はセルドアの王女に対してどれだけ無礼な真似をしているかお分かりですか? この部屋に居たのが偶々私だったから良かったもののレイフィーラ様であったなら充分不敬罪に問えますよ」
嘘です。久しぶりに嘘を吐きましたが、こんな時でも少し落ち込んでしまう私はどれだけ嘘が苦手なのでしょう?
ダヒル様は部屋を一瞥すると直ぐに戻って来ました。その鋭い目を殺気で満たしながら。
「王女をどこに隠した!」
丁度部屋の境目に立った彼は私を怒鳴り付けます。最大限の怒りを込めて。
「私が話すとお思いですか?」
「言え。今言わないのなら身体に訊いてやる。痛い目に会いたくないのならとっとと話せ」
既に脅迫罪が成立していますね。まあ流石にこれではここまで準備したモノが無駄に成りますが。
「貴方の目的は何ですか? それ次第ならお話しても構いません」
「……王女の命が狙われている。それを知らせに来た」
今更頭を働かせなくても。一周回って冷静に成りましたか?
「それは有り得ません」
「何故だ? あれだけの脅しがあったのだ。気が狂って王女の命を狙う人間が出て来ても不思議はない」
それは貴方のことでは?
「いいえ。有り得ないのは「知らせに来た」という状況です。レイフィーラ様の命が狙われているならそれを私に話すことに何の問題があるのでしょうか?」
最初からそれを言うならば話は別ですが、今更です。
……ダヒル様の雰囲気が変わりました。諦めたようです。
「武器は無くてもお前の拷問ぐらい出来るぞ。何せ俺は魔力量62で技能値40もあるんだからな」
……どちらもお兄様の三分の一以下ですね。
脅し文句を放ったダヒル様は一歩踏み出して私に近づきました。私とダヒル様の距離は残り一歩半です。
「加減して貰えると思うなよ。ああそうだ。序でに楽しませて貰うか。どうせ男はまだ知らないのだろう? 教えてやる」
時間が無いのではないのでしょうか? ここに来て欲情が上回るとは思いませんでした。
救いようの無い台詞を吐いたダヒル様は、何も反応しなくなった私を物色するように眺めたあと、もう一歩踏み出しました。そして、
「金髪とは珍しいな」
私の髪にその右手を伸ばすダヒル様。恐怖で硬直して動けない。そう思っているのでしょうね。
「そのまま無許可で女の髪に触れるなら、命は無いと思いなさい」
無警戒過ぎですよダヒル様。部屋の中をちゃんと見ましたか?
「ありがとうございますサラビナ様」
「礼を言う余裕があるなら大丈夫そうね。本気でコイツに呑まれたのかと思ったわよ」
背中からダヒル様に剣を突き付けながら私に笑顔を見せたサラビナ様です。余裕ですね。
「ど、どういうことだ? いったいなんなんだだこれは?」
背中に剣を突き付けられ完全に身体を硬直させながらもなんとか口を開いたダヒル様ですが、状況は全く理解出来てないようですね。
「嵌められたってことぐらい解るだろう? ゲス野郎」
軽い口調で話したのは、私が居た部屋のカーテンの陰から出てきたアブセル様です。口が悪いですね。
「あんまり口が悪いとラフィア様に嫌われてしまいますよ?」
「んっ」
「おまっ」
二,三歩ダヒル様から距離を取った私がアブセル様に軽口を叩くと、サラビナ様は声を殺して笑いアブセル様は驚いていました。気付いてないと思ったのでしょうか?
「お前達何の積もっ────」
「動かない」
私達の軽いやり取りに腹を立てたらしいダヒル様が少し身体を動かした途端、サラビナ様から絶対零度の声が漏れました。さっきのダヒル様の脅しより数倍怖いですね。
「何のも何も、お前を捕まえる為に嵌めただけさ。厳密には協力しただけだよ。まあお前の狙いがレイフィーラ様である以上協力せざるを得ないがな」
まあ協力せずに引っ込んでることが出来なくはありませんが、不穏分子を放って置くのも嫌ですからね。
「もしかして今日この部屋で――――」
「当然だろ」
「失礼。その先は我々が」
ぞろぞろと何人もの騎士が部屋に入って来ました。そして最後に入って来たのは、
「ユンバーフ・アシュマン! お前が全部仕組んだのか?」
「アイズフル卿。確かに貴方は昔から思い込みが強く気性の荒いところがありましたが、まさかここまで堕ちるとは思いませんでした。非常に残念です」
ユンバーフ様は寂しそうに悔しそうに歪んでいます。ご自分に責任があるとお思いなのでしょうね。確かに全く責任がないとは言いませんが、一番の問題はやはりダヒル様にあると思いますよ? まあだからこそ、悔しいより寂しい方が勝った表情をしているのでしょうけど。
「全部お前が悪いんだよ! セルドアの王女を連れて来たりしたお前が!」
サラビナ様から引き継ぐように拘束した騎士が両脇を抱えていなければ、ダヒル様はユンバーフ様に飛び掛かっていたでしょう。
「王女と一緒に軍艦なんか引っ張って来なければこんなことにならなかったんだよ!」
……何の話ですか?
「こんなことって何ですか?」
いえいえ、皆して「何言ってんだコイツ」って目で見ないで下さい。
「他意は無いです。ダヒル様の言う「こんなことにならなかった」の「こんなこと」って何ですか?」
今拘束されていることですか? それなら理解出来ますけど……。
「……王女を連れて来たりしなければ、脅されたりしないで済んだだろう?」
本気で言ったのでしょうか? ……勘違いも良いところですね。
「前にユンバーフ様にもお話しましたが、本気で脅すのならレイフィーラ様は今此処に居ません。王女と共に軍艦ではなくて、軍艦だけが来た筈です。レイフィーラ様が此処に居る時点で本気の脅しの筈がないではないですか。人質なんですよレイフィーラ様は。それとも、外交官が圧力でも掛けましたか?」
そんなことはありませんでしょう? 「もうおイタはするな」あの軍艦はその程度の意味しかないと思いますよ。ただ大公の反応が大き過ぎる気もしますが。
ダヒル様はそのまま沈黙し、連行されました。現状容疑は私に対する脅迫罪と城を勝手に歩き回った虚偽申告罪ぐらいですが、それだけでは済まないでしょう。
「ありがとうございました。また貴女に救われました」
また、ですか?
「一度も助けた覚えはないのですけど」
「いいえ。確実に救われましたよ。ヒルベルタ様も感謝しているでしょう」
……何故ヒルベルタ様なのですか? 全く関係ないのでは?




