#41.外交官の溜め息
「アントニウスを送るからレイフィーラ王女を連れて来い」
アントニウス様とローザリア様の婚約を取り付けて一度本国に帰還した私は、何を考えているのか理解出来ない大公様にそう厳命された。二十年以上外交官をやっていて、あれ程肝を冷やした外交交渉はなかった。
交渉中何度「これだったら職を賭してでも大公様に具申すべきだった」と思ったことか。まあ具申したところで「アントニウスの首を差し出す覚悟で連れて来い」などという大公様が意見を変えたとは思えない。もっと言えば、私の代わりに誰かしらが胃を痛めることになっただけだ。
王位継承とは全く関係のないローザリア様との婚約がその最たる例であるが、残念ながらセルドアにとってアントニウス様はそこまで価値のある存在ではない。イブリックの次期大公とセルドアの直系姫では元々吊り合わないのだ。
ましてアントニウス様は、決して公国にとって“唯一”の存在などではないのだから、交渉が難航するのは最初から疑いようがなかった。
事実、初めは袖にされた。いや、冗談だと思われた。そして、こちらが本気だと伝わった途端嘲笑された。まあバカにされたところでなんてことはない。そんなことは長くセルドア相手に外交官をしていて良くあることなのだ。
セルドアにとってイブリックは弱小国。公国など相手にするなら国内の上位貴族を相手にする。これがセルドア社交界での常識とも言えるのだから、この程度で挫けていたら外交官などとうに辞めている。
此処まではまだ良かったのだ。いや、話を聞いて貰えてるだけで順調だったと言える。生命の危機など感じはしなかったのだから。
交渉はその後混迷を極め、何度も停止と再開を繰り返した。
停止の理由は主に大公様からの外交親書だ。それは大抵「レイフィーラ様は最高にもてなす」という内容で、下手をすれば「レイフィーラ様が来て当然」と取られ兼ねない言い回しが使われていた。正直毎回渡す前に破り棄ててやろうかと思ったが、セルドアの外交官だって玄人だ。私の立場も理解している。無論同情的な言葉など一切無かったが、表立って私に殺意を向けることなどあり得ない。事実親書を読んでも相手方は無表情を通した。ただ交渉はそれで度々停止した。「検討中」との回答と共に。
ただこちらとしても期限がある。アントニウス様達の結婚までしか時間がないのだ。私が婚約解消を匂わすような態度を取ると、やや時間を置いて交渉は再開された。本当にギリギリの交渉だった。
そんなやり取りを数回繰り返し、いい加減感情を表に出し始めたセルドアの外交官の顔の色が、嘲笑から怒気そして殺気へと変貌を遂げた頃、とある情報が私の元にもたらされた。
――こちらの話がセルドア王家まで上がった――
朗報だった。セルドアス家は大抵は下位貴族である外交官達よりイブリックに対して寛大な対応をする。社交界でも私達を一国の代表として扱ってくれるのだ。
これでこの厄介な交渉も終わり、大公に顔向け出来る。
そんな私の安堵は思わぬ形で崩されたのである。
数日後私達は、セルドアの王宮でいつも交渉で使っている比較的狭い会議室とは違う、奥の方の豪華な応接室に案内された。しかも下座に着くよう言われたのだ。今までは流石にそんな応対をされることは無かった。
──これは間違いなく大物が来る──
そう思って待っていると、暫くして入って来たのはいつもと違う黒い軍服を纏った騎士だった。近衛騎士か? 頭に疑問符が浮かんだままの私は次の瞬間飛び込んで来た声に驚愕した。
「セルドア王国王太子。ジークフリート・デュマ・セルドアス様がお越しになります」
大陸全土にその勇名を轟かせ「賢王」として知られる現セルドア国王クラウディオ様程ではないものの、「西の盟主」の次代を担う者として充分な才覚を持ち手腕を発揮している王太子、ジークフリート様。その本人が小国との外交交渉の場に直接姿を見せるなどあり得ない。
――これは、大失敗か大成功のどちらかだ――
ジークフリート様との交渉、と言うより面談は、案外あっさりとしたモノだった。主として大公のご意志の確認であって、こちらが望む具体的期間や処遇、あちらの意志などの話は皆無だった。是とも否とも言わずに無表情で応接室を去ったジークフリート様の赤褐色の双眸が、どんな意志を宿していたのか今となっては分からない。
ただ同行していた騎士の方は感情を顕にしていて、明らかな殺気を私に向けていた。「レイフィーラ様を連れて行くなど許さない」そうはっきり告げるように。正直そのまま殺されるかと思ったが、幸いそうはならずに去って行った騎士を見て部下と共にその場で深くため息を吐いた。
戦々恐々としながら貴族街の一角にあるイブリック公国の公使館で過ごすこと数日。交渉再開の連絡が入って王宮行ってみると状況は一変していた。交渉は具体的な日時や待遇に関する調整に移っていた。それが丁度去年の夏至を過ぎた辺りだったな。
大公様は特に期間についての厳命などしていなかったのだから、最初に向こうが提示して来た一年半でも構うことはない。その後の交渉は悠々と進んで行った。まあいざ始めたら姫様付きの侍女が四人とか近衛が三人とか侍女の生活環境の保証とか、矢継ぎ早に難題を吹っ掛けられて困惑したものの、所詮本国との調整だ。セルドアに対して直系姫を人質に出せと言うより数倍楽である。
そして私は、アントニウス様のエルノア入りを見届けたあと、レイフィーラ様に先行する形で本国に戻って来た。諸々の報告と、レイフィーラ様と同行してくる王太子弟、と言うより、セルドアの外交官達と本国の役人達との仲介の為だ。
迎えの騎士達は勿論、どこからともなく広まった「セルドアのお姫様が来る」という噂のせいで、港には大勢の人が集まっている。幸いまだ騒ぎには至っていないが大きな騒ぎになるのは時間の問題だ。
なぜならば、
「どう見てもあれ軍艦だろ」
そう。今イブリック公国の公都イブリスの港の沖に並んでいるのは軍艦なのだ。しかも、
「ああ。それになんだあれ? 武器か?」
軍艦には巨大な砲が装備されている。あれは、複数人が同時に魔力を込めて特大魔法を放つ「魔砲」だ。セルドアの魔法学院で開発され量産が始まったばかりの最新兵器。
そんな強力な兵器を積んだ巨大な軍艦が2隻とそれ以外にも軍艦が3隻。総兵数は千以上になるだろう。これは公国の常備兵力の総数に匹敵する。国を獲る気だと思われても不思議ではない陣容だ。しかし、セルドアにそれをするメリットは少ない。
確かにイブリックはセルドアと大陸中央を結ぶ中継点の“一つ”だ。だが飽くまで“一つ”にしか過ぎない。事実として、イブリックの東に位置するルテア島は二百年以上前にセルドアに併合された。「イブリックは重要な土地ではない」だからこそ、イブリック公国は今の今まで独立国として存在して来たのだ。
だとしたらあれは? 間違いない。
あれは脅しだ。
「お前の国などいつでも獲れる」
そういう意味の。
ほら、事実王族を乗せているだろう豪華絢爛な船“だけ”が、港に入って来た。一安心だが騒ぎにはなるだろうな。
港に入った絢爛豪華な船からは予想通り第二王子ジラルド様とレイフィーラ様が下りて来た。その周りを固めた近衛騎士達の威圧感は並みでは無かったが、ジラルド様本人にコチラを嫌悪している様子はない。
王族よりも周りの方が今回のことを忌避しているのだろうか?
「――――であるからして両国の友好と発展に――――」
迎えに出た大公弟の無駄に長い口上に耳を傾けながら、レイフィーラ様とその周辺に目を向けた。
ん? あれはあの時私達を威殺さんばかりに睨んでいた騎士だ。レイフィーラ様の警護要員なのか? お付きの侍女を囲むような立ち位置からしてそうだろうな。あの騎士も滞在するのか。あんな殺気に晒されるのは二度と勘弁して欲しいが……。
それにしても、レイフィーラ様の周りは随分と美人で固めているな。まあ一人はベテランのようだがあの長身の赤い髪の彼女は騒ぎになる。出来るだけ自己防衛に努めて貰う必要があるだろう。
それ以外は……金髪? 年は12,3というところか。物凄い美人だがあの娘は流石に大丈夫か? いや、二年したらマズイな。あの年では自己防衛もないし……ああ、また私の仕事が増えた気がする。
「はあ」
周りに聞こえないように小さくため息を吐いた私は、この先の苦労を考え目眩した。
心配した相手に救われることになるとは想像もせずに。
ジラルド様は三日間イブリックに滞在し、細々した交渉は外交官に託して帰って行った。その際軍艦は丸三日その場に停泊し“上陸することなく”ジラルド様と一緒に帰って行った。
前者だったか後者だったか言うまでもないが、あの時の私の感想は間違っていなかったということだ。
ジラルド様も含めてセルドア王家に直接的な何かを示されていないのが不幸中の幸いだが……果たして辞表で済むだろうか。いや、辞表を受け取って貰えるだろうか。
セルドアに居る方が肩身が狭いと思っていたが、逆だったな。
2015/10/27まで毎日二話更新します。午前午後で一話ずつですが時間は非常にランダムです。




