#31.牢獄棟
ウィリアム様の予想通り?蓮殿にお姉様痕跡は影も形もありませんでした。
蓮殿はそもそも後宮の最奥に近い場所にある古い建物で、今はあまり使われていないのです。住んでいる人もいなければ利用している部屋も少ない。人の出入りの少ない建物だからこそお姉様が居る可能性もあると思って来たのですが……。
人がいないという事は目撃者もいないのです。誰かに訊くことも出来ずにただただ歩き回るだけになってしまいました。
「見間違いの可能性もあるし、一度戻るか?」
「そう――――」
ウィリアム様に同意しようとした瞬間に、私の視界の端に人影が見えました。いえ、何か動くモノが映りました。廊下の大きな窓に映る古ぼけた建物。蓮殿の更に奥、後宮の最奥に位置するその建物は、今にも崩れ落ちそうな雰囲気です。その廃墟と言えるような建物の中に小さく揺らめく影が見えているのです。
「ウィリアム様。あの建物は?」
「ん? あれは大昔の牢獄棟だ。今は立ち入り禁止だぞ」
牢獄……嫌な響きですね。
「おい!」
私が歩き始めると、ウィリアム様が腕を掴んで止めました。その素早い動きに少しビックリした私ですが、ウィリアム様の腕を振り払うように振り向いて正対します。
「あそこに行く気か?」
「ダメですか?」
「本当に危ないぞ。崩れ始めてて危ないから解体もしないで放置されているんだ。近づいただけで凄く怒られる」
それを聞いたら余計に確認したくなります。お姉様の命の危機かもしれません。
うぅ~。想像しただけで泣きたくなるとか、どれだけお姉様に依存していたのでしょう?
いえ、別に依存とかではありませんね。今世の私は他人の死に対して異常に弱いのです。大して繋がりのなかったゴバナ村のお婆ちゃん一人亡くなっただけで泣いた覚えがあります。しかもうちの家族は本当に優しいですからね。私が泣くと狼狽える家族まで見なければいけなくなるので困ります。
「泣くなよ――――人?」
泣くのを耐える為に俯いていた私が顔を上げると、ウィリアム様の視線は牢獄棟の方を向いて固まっていました。そして、
「影。人の影です。誰か居る」
廃墟の床に人影が映りそれは今ゆっくり動いています。何をしているのでしょうか? 影ですからはっきりしませんが、大人の影には見えません。丁度侍女見習いぐらいの女の子の陰で間違いないのではないでしょうか?
「良し。大人を呼びに行くぞ」
「嫌です」
「はぁ?」
私は即答しました。いえ、分かっています。乗り込むなんてマネはしません。
「大人を呼びに行くのはウィリアム様だけで充分です。私はもう少し近づいて様子を見てみます。もしかしたら移動してしまうかもしれません。誰が立ち入り禁止区域に入ったのか確かめないと」
「だったら私が監視しているからお前が呼びに行け」
「私が呼びに行くと立場上色々面倒で時間が掛かります。ここは王子様が行った方が早いです」
なによりお姉様の危機から目を離すなんて出来ません。焦って迷子にでもなったら元も子もないです。
「……お前は王子を伝令に使うのか」
「王子は所詮王子です。そのうち偉くなるかもしれませんが今は偉くありません。国にとっては大事な存在ですが、子供は子供です。それにこの場合優先すべきは命です。一刻も早く呼んで来るにはウィリアム様の方が良いんです」
なんでも良いから早く行って下さい。と言うか、ウィリアム様一人此処に残して私がどこかへ行ってしまったらそれこそ責任問題になります。
「……分かった。あんまり近くまで行くなよ」
そう言って一度大きく息を吐いたウィリアム様は踵を返すと早足で去って行きました。
「お姉様!」
目が覚めると、目の前に床に横たわるお姉様の姿が在りました。慌てて顔を覗き込み、寝息を立てている事に安堵します。それから寝たままのお姉様の身体の隅から隅まで余すことなく観察して、大きな外傷が無いことを確認しました。一安心です。
いえ、安心するにはまだまだもう一つまだ早いですが、取り敢えずお姉様が無事であった事に安堵しました。不幸中の幸いというやつですね。ん? 少し……だいぶ違う気もしますが、まだ最悪の結末には至っていません。それどころか、結果的に笑い話に出来る可能性も秘めているのですから、重要なのはこれからです。
さてここは────間違いなく牢獄棟ですね。建物の雰囲気と言い外から見た牢獄棟その物ですし、なにせ私達二人が今居るのは、牢屋の中ですからね。鉄格子の向には今誰も居ませんが、廊下の奥か外かに人が居るようで、小さな話し声が聞こえています。
近くの生垣の陰から牢獄棟を覗き込んでいて意識を失ったのですから、運び込まれたということでしょうね。私は同い歳の娘と比べても華奢な方ですから。まあ複数人で運んだ可能性も有りますが。
え? そうですよ。誰にやられたかは全く分かりません。気が付いたら此処に居ました。
やはりウィリアム様と一緒に行くべきでしたね。結果論ですが安全策をとるべきでした。まあまだお姉様が助かると決まったわけではありませんが、お母様に知られたら並の雷では済まなそうですね……。止めましょう。今は別のことを考えるべきです。
脱出路は────有る訳が有りませんね。下調べぐらいしているでしょうし、何よりお姉様と同じ牢に入れたと言うことは、魔法が使えてもそう簡単に脱出出来ない場所だからでしょう。
とは言え、建物が壊れるか犯人の気が変わって殺されでもしない限りウィリアム様が助けてくれるとは思いますけど。
となると後は、ここが崩れないことを信じて犯人交渉ですか。いえ、崩れる可能性を指摘して犯人と交渉ですかね? ん? そもそも犯人は此処に来るでしょうか?
目的が全く分かりませんからね。後宮の奥に人質を取って籠城したところで何の利益が? どう考えても破滅の道しかない気がしますし、そもそも人質がお姉様というのが疑問です。後宮内ならお姫様でもそこまでガードは固く無いですからね。
ん? 足音です。此方に近づいてきますね。
重要なのは、建物の崩壊の危険性を伝えるか否かなのですが……さてどうしましょう。
知っていてやっているならスルーされるだけでしょうが、知らないとすると此方が嘘を吐いていると思われ兼ねないですし……難しいですね。単純に引き伸ばしでも良いかもしれませんが、放置されていたわけですから、犯人と私達が建物を刺激してしまっている可能性もあるんですよね。
どちらにせよ犯人の出方次第なのですが。
「あら? 思ったより早く目が覚めたようね。小さい割に体力が有るのかしら?」
犯人が鉄格子越しに顔を見せました。隠す積もりは無いのですね。
「おはようございます。リーレイヌ様」
「……顔は見られてないと思っていたのだけど?」
私が動揺していない事が不思議ですか? 想像の範疇ですよ。最初から。
「単刀直入に伺いたいと思います」
先ずは此方のペースに引き込みましょう。
「貴女“方”の目的はなんですか?」
2015/10/27まで毎日二話更新します。午前午後で一話ずつですが時間は非常にランダムです。




