番外編 聖女 #01.正妃と側妃
お久しぶりです。大分間を開けてしまいましたが、番外編その一を投稿させて頂きました。
クリスとクラウドが結婚して丸八年。二人の息子クリストフが五歳の時の話です。そして本編には登場しなかったクリストフの実妹、アビィリア(二歳)が登場します。どっちも端役ですが……。
それから今後の予定ですが、まず13章と14章を大幅に改稿したあと、番外編の更新をしたいと思います。
2016年5月26日以降に本編をお読みになった方の中には話がちぐはぐしていると感想をお持ちになった方が居るかもしれません。それは改稿の影響の可能性も有りますのでご理解下さい。
「今夜は二人で過ごす約束だろう?」
明日発つのだから思う存分愛でさせてくれても良いだろう。
「夫より二歳の娘が心配になるのは当然です。三週間も離ればなれになるのですから」
「それは私も同じだ。クリストフばかり贔屓するな」
「何度も言っていますけれど、夜はクラウド様を優先しています。今夜だってもう――回もしたではないですか」
私がこの程度で満足しないことぐらいは解っているだろうが、二歳の娘を置いて三週間も視察に出る妻にこれ以上我が儘は言えないか。
「それにしても、アビィが夜泣きなんて初めてではないか? クリストフは度々有ったが……」
「アビィは勘が鋭い娘なので、私が寂しそうにしていたのを察したのだと思います」
「……今からでも中止に出来ないこともないぞ」
五歳で視察に出たところで果たしてどれ程記憶に残るか判ったものではないしな。
「ランドルフ様がお生まれになった以上クリストフが王位を継ぐ可能性は殆んどありません。ブローフ平原に愛着を持たせたいなら早い方が良いと思います」
王位を望まないように、か。これはもう諦めるより仕方がないが――――
「ティア。クリストフの心配ばかりしていたら私が不満になることぐらいいい加減理解してくれ」
ほったらかしにされるのは我慢出来ない。
「今私を必要としているのはアビィリアです。クリストフはもう夜泣きなんてしませんよ?」
「どっちでも一緒だ。三週間ティアに触れられないんだからな」
「分かりました」
「は?」
唐突にはっきりと返事をしたティアは、ベッドから起き上がると手早く夜着を纏ってそそくさと寝室から出て行ってしまった。目的地は当然この寝室の隣の隣、アビィリアが寝ている部屋だろう。……どうする積もりだティア?
子供が出来ると女は変わると良く言われるが、ティアも例外ではなかったな。いや、妊娠時以外私を拒否したことは一度としてないし、他人のことばかり考えているのは出合ってからずっとか。とするとティアがしようとしているのは――――
「とうたま」
つい先ほど愛しい人が出ていった扉が開くと、舌足らずな幼い声が私の鼓膜を揺らした。その声の主は、うっすらと金色の混ざった銀の髪と紫色の鮮やかな瞳を持った、今現在この国の第一王女だ。
「アビィ……お出で」
ベッド上で上着だけ羽織った私は、ベッドに腰掛けた母親から奪うように愛娘を抱き締めた。
「とうたまぁ」
「本当に泣いていたのか?」
胸に顔を埋めて私に抱き付く娘の頭を撫でながら、顔を上げて母親に質問すると、
「かあたまげんきアビィげんき。かあたまげんきないアビィげんきない」
予想外に腕の中から返事が来た。
「そうか。かあたまげんきないか。大丈夫。かあたまの変わりにとうたまが一緒にいてやるから」
「ホント?」
「ああ、ホントだ」
上目遣いで私を見上げる愛娘に眼を合わせながら答えると、母親そっくりの無邪気な笑顔が返ってきた。……この顔にはどうしたって逆らえないな。
抱き上げたままその小さな頭を少しの間撫でていると、腕の中の宝物はいつの間にか寝息を立てていた。
「大好きなとうたまの腕の中なら直ぐ眠れるのね」
眠った我が子を起こさぬように囁かれた小さなその声。腕の中の娘から視線を上げて声の主を見ると、そこには慈しむように愛娘を眺める母親が居た。……今夜はもう“二人きり“にはなれそうにないな。これが狙いで連れて来たのか。
「ティア」
「はい?」
「気を付けて行って来い」
「え? 太子の間にお戻りになるのですか?」
何故そういう解釈になる?
「そんな積もりは無いが……」
「あ! 契りを拒否する為にアビィを連れて来たわけではありませんよ」
ん? 違うのか?
「三人で一緒に寝たかっただけです」
それは暗に拒否しているのと変わらなくないか?
「三人で?」
「ダメですか?」
結婚して丸八年。未だに心を揺さぶり続ける愛妻のおねだりを拒否出来なかったことは語るまでもない。
翌早朝。母親の腕の中で眠る愛娘の頭上で軽い口づけを交わした私は、後宮内の別の部屋へと足を向けた。つい二ヶ月前に生まれたばかりの嫡子の顔を見る為だ。
幾ら後宮と言えども、妃の間を“梯子”することは普通はしない。セルドアの後宮がどんなに広く後宮官僚達が守秘義務を重んじる者達であっても、噂が拡がるのを完全に防ぐことは不可能だからだ。
私にこれが出来るのは、二人の妃が二人共それを了承しているからに他ならない。というか、レイラは私よりティアに親近感を覚えてそうだが……。いや、“そう”ではないか。確実に――――
「三人で寝たって……三週間も離れることは解っておられますよね? ちゃんとクリスティアーナ様を愛でられたのでしょうか?」
こんなことを躊躇なく聞いて来るぐらいだしな。
「三人になったのは深夜、正子を過ぎたあとだ。その前にちゃんと愛でた」
「なら出発までそのままご一緒に過ごされた方が良かったのではないでしょうか? ランドルフの顔ならいつでも見られるのですから」
嫉妬しないのはありがたいが、流石にこれは……。
「……レイラは私が此処に来るのが嫌なのか?」
嫌なら嫌と言ってくれた方が話が早い。
「わたしに貴方の“相手”は勤まりませんわ。不機嫌になり続ける夫の横に居る妻の気持ちを考えて下さいませ」
レイラでは私の体力に全く付いて来れないのは事実だが……彼女の心境は本当に複雑だな。それもそのはず、微妙に距離の有った私とレイラの間を取り持ったのが他ならぬティアだ。
成婚当初、レイラは私に対して多少なりとも忌避感を抱いていた。その理由は間違いなく“夜“にあった。それを知ったティアは、三人で過ごすことでレイラを私に“慣れ”させた。あれがなかったら政略結婚が無意味に成った可能性もある。かなり強引ではあったが、ティアには頭が上がらないしレイラにも申し訳がない。いずれにしても、レイラとしてティアに抱く感情は非常に複雑だろう。
「そう心配することはない。私もいい加減慣れた」
十代の頃はややもすると何処へなりとも翔んで行ってしまう天使を追い掛け閉じ込めようと必死になっていたが、今なら分かる。
「クリスティアーナ様が臨月の時の貴方の不機嫌な様を見ていた私には全く説得力がありませんわ」
「自由に翔べるから鳥は羽ばたける。私に出来るのは巣を用意することだけだ」
寂しいことに変わりはないが、籠の中の鳥にするには大き過ぎる羽だ。羽ばたける空があるなら羽ばたくべきだ。
「“元”ルギスタン国民達の不満を解消するのは、本来私の役割なのですが……」
そう呟くと、レイラは申し訳なさそうに眼を伏せた。
「セルドアの正妃は忙しい。あと二年で王后となるレイラにそれは任せられない」
父上は“予定通り”十年で退官する積もりだからな。
「それ以前に、元々の住民と入植者の軋轢を解消するなんて出来ませんわ。寧ろ反感を買ってしまうでしょう」
「反感を買うとまではいかないだろうが、真っ正面から向き合ってひとつひとつ問題を解決していくなんて真似はそう簡単に出来ることではないからな。そのお陰で欲求不満になりそうだが……」
何かしら問題がある度に平原まで直接赴くものだから、私としては、いや、私の分身としては不満が溜まる一方だ。
「それはご自分で解消なさって下さいませ」
冷たいな。まあ、正直レイラにはあまり欲情しないから文句は言えないが。
ん? そう言えばちゃんと訊いたことが無かったな。
「レイラは私の正妃となって幸せか?」
私の唐突な質問に、レイラは少し考え込んでから返事をする。
「元々皇族であったことを考えれば、私は幸せな方だと思いますわ。でも一人の女として幸せかと問われれば、決して是とは言えません」
そうか。やはり一般的に言って側妃や妾を愛でている男の正妻は幸せではないか。
「セルドアの正妃は仕事が多過ぎて趣味に割く時間が少な過ぎますわ。レイテシア様も小説ひとつ読む時間が無いと嘆いておられました」
は? 不満なのはそっちなのか?
「……ティアに対して不満はないのか?」
「クリスティアーナ様には絶対に敵いませんから」
そう言って笑ったレイラの顔は実に爽やかだった。
数時間後。私は王宮の正門まで見送りに出ていた。
「ではクラウド様。行って参ります。クリストフもお父様に挨拶して」
「行ってきます」
……今更だが、クリストフは私にだけ無愛想だな。色彩も顔立ちも母親そっくりだから必要以上に気分が落ち込むのが難点だ。
「気を付けてな。大分治安が良くなってはいるが、平原にはまだ頑なな主張をする者達も居る」
「はい」
その蒼い眼に少しの寂しさを浮かべた愛しき人が明確な返事をしたあと極自然に私の懐に入り込んだ。……息子の目の前なのに躊躇がないな。
ティア付きの侍女であるリーレイヌがクリストフの手を引き、息子が視線が母親から逸れたことを確認した私は、柔らかなその唇を貪る。
「……大丈夫ですか?」
暫しの包容を解くと、その蒼い瞳には私を憂う色が浮かんでいた。何を心配しているかは解るが、それが心配なら行かないでくれ。
「大丈夫だ」
「嘘が下手ですね。もう不満そうですよ?」
「“私に”不満は無い」
「ふふ。レイラ様に冷たくされましたか?」
レイラではあまり意味がないことぐらい解っているだろう?
「正妃の子が一人だけというわけにもいかないのだからあの態度は困りモノだがな」
そうは言っても完全に拒否するわけではないのだから然程問題にはならないが。
「じゃあ帰って来たらまた三人で過ごしますか?」
側妃に対して「絶対敵わない」と言う正妃も正妃だが、側妃も側妃だな。
「……楽しみにしている」
受けてしまう私も私か。
「はい。では待っていて下さい。行ってきます」
いつもの優しい笑顔を私に向けたあと淑女の礼をとった愛しき人は、踵を返して息子の待つ馬車に乗り込んで行った。
僅か三週間だが……私には長くなりそうだな。
王宮の正門から湖の祭壇へ至る中央大通りを真っ直ぐ進む小さく成った馬車を眺めながら私は呟いた。
「あんまり遠くに行くなよ」




