#214.まだまだこれから
全臣議会議長の王弟ジラルド殿下が四時間程前の議決演説でルギスタンとセルドアの同盟締結を発表し、向日葵殿では宴席の真っ最中なのですが、主役の一人の筈のこの方は私を連れて居住区の庭まで来ています。
「良かったのですか? 抜け出して来てしまって」
いつもと同じように手を握り合って歩くその人の顔を見上げながら問い掛けると、
「開口一番それか?」
苦い顔をされてしまいました。
「ロマンチックな話をしたいなら、二人で居ても問題無い時にして下さい」
少しタイミングが悪いと思いますよ?
「四六時中一緒に居なければいけないわけではないのだからある程度は理解してくれなければ困るし、まだ婚約が決定しただけで婚約したわけでもない」
宴席はもう飲んで騒いでの状態になっていましたから抜け出す事に問題は無いのですが、あそこにはレイラ様もいたのです。そうです結婚が決まって早々他の女とデートです。黙って従った私も私ですが、誘ったのは間違いなくクラウド様ですからね?
「レイラ様をメリザント様みたいにしないで下さいね」
「……そう言われてもな。幾らコッチが気遣っても、向こうが努力しなければどうにもならない。レイラがどういう人間かはまだ分からないが、これからだろう?」
「そうです。まだまだこれからです。同盟は決まっても平原の住民に関する細かな取り決めは残っていますし、ゲルギオス様が逃げ帰ってゴラはどうなるか分かりません。聖女もまだ決まっていませんし、ハイテルダルがどうなるかも分かりません。ルイース様が上手く出来るかもまだ先の話です」
ルイース様がまさかあの人を選ぶなんてビックリ仰天でしたが、本人達が望んでいるのですから結ばれて欲しいですね。それにしても、本気で他国の男爵令嬢を正妃になんか出来るのでしょうか?
「話が繋がらないだろう」
「同じです。此処から同盟が破談になってレイラ様と結婚しない可能性だって全く無いとは言えませんし、ゴラがどうなるか分からないのですからセルドアが戦争に巻き込まれる可能性だって否定は出来ません」
「ゲルギオス様は失脚して終わりな気がするがな。そうなると問題はデイラードだろう」
ゲルギオス様は事件が発覚して逃げるようにエルノアを出て行ったそうです。エリアス様を脅したのはゲルギオス様本人だということなので、誘拐に関与していたのは間違い無いですから本当は逮捕出来るのですが、何しろ神聖帝国ゴラの皇太子ですからね。見逃す事にしたそうです。結果的にですが、被害はそう大きい物ではありませんしね。
まあ、そもそも同盟なんて持ち込んでいなかったら、という仮定をすれば話は別ですが……それは言いっこなしですか?
「オリヴィア様の「先見」によると次期聖女が戦争を食い止める鍵を握るそうですよ」
「まあ────が次期聖女と成ればそれは理解出来るが「先見」というのは割と曖昧なモノなのだろう?」
「簡単に変えることは出来ないそうですが、本気で回避しようと努力すれば回避出来る未来だそうです」
ただ、別に悪い未来ではないので回避する必要はありません。
「結局どうなるかは分からないということだろう?」
「そうですね。何も、何もまだ分かりません。私の子が、この子がどうなるのかも」
ビックリしました? しましたよね。私もです。まさか、オリヴィア様にあんな事を言った一時間後に妊娠が発覚するとは思いませんでした。
突然の宣告に一瞬驚いて固まっていた旦那様ですが、自分のお腹をさする私の両肩を掴んで正対しました。そして私の瞳を覗き込みながら、
「本当なのか?」
真摯な声で真偽を訊ねました。
「はい。四か月だそうです」
大きく首を縦に振りながら答えると、嬉しそうに笑った旦那様は私を抱きしめました。その抱擁はいつもの強いモノではなく、包み込むようなとっても優しいモノです。とっても優しいのです。
「私は今とっても幸せです旦那様。だから落ち込まないで下さい」
心臓の鼓動が感じられるぐらいぴったりと旦那様にくっ付いてその胸の中から顔を見上げると、優しい光を宿した真っ赤な眼がそこに在りました。
「ティアが幸せに成れるかどうかは子供次第だろう?」
「頑張ります」
「無理するなよ」
今日の旦那様は飛び切り優しいですね。
「はい」
「ん!」
何かに気付いた旦那様は、突然私の両肩を押さえ引き剥がしました。そして、真っ赤な瞳に怒気を湛え私を睨みつけたのです。……どうしたのですかイキナリ?
「もしかして、それを知っていて無茶をしたわけじゃないだろうな」
「怒るのは分かりますが、流石にそれはしません。妊娠が分かったのはオリヴィア様と別れた直後です」
「そうか、だが今日みたいなことは二度と許さん今後あんな事をしたら……」
したら? その先を言わないと意味がありませんよ?
「兎も角、二度とするな」
「大丈夫です。近衛も王国騎士も動かせないないなんて状況が早々あると思えませんから」
誰にも頼れないなんて状況はこれっきりだと思います。
「仮にあったとしてもヤルな。ティアが前線に出なければならない理由はない。今日だって、ティアが居なければいないでどうにかなっただろう」
「自分で呼びかけておいて前に出ないなんて不誠実も程だと思います。それに、私は雨を降らせただけで前線に出て行ったわけではありません。お母様やリリは前線に出たのですよ?」
しかもリーレイヌ様にサラビナ様、更にはベイト家の騎士様が近くに居ました。私には全く危険が無かったのです。
「良いから出るな。約束しろ」
駄々っ子ですね。これでは。
「……分かりました。約束します。でも、私にそう言うからには旦那様もですよ?」
「私がいつ前線に出た?」
「私を救助に来た時は間違いなく前線に出てたと思いますよ?」
お忘れですか?
「あれはティアが拉致されたから……」
「誰が相手でも同じです。私は動いてしまう相手が多いだけです」
「まあ良い。私も軽はずみなことは出来んしな。約束しよう」
そもそも王太子が最前線に立って突入するなんて有り得ませんよ?
「お父様になるんですから、余計に自重して下さらないと困ります」
「父親か。今一つ実感が湧かないな」
「男親は産まれてから徐々に実感が湧いて来るって言いますよ」
「それは責任感じゃないか?」
話ながら旦那様が差し伸べた手を私が握り、二人はゆっくり歩き始めました。
「どっちにしても、ありがとうございます。私は旦那様の子を産めるのが本当にうれしいです」
「それは私のセリフだ。ありがとうティア。これからもよろしく頼む」
「はい。こちらこそ、宜しくお願いします。ずっと傍に居て下さい」
「ああ。勿論だ」
ブローフ平原の統治に成功で「西の盟主」の名を更に高め、神聖帝国ゴラを始め数々の国と同盟を結んだ「盟王」クラウド。その彼が、桔梗殿の裏庭で側妃と手を繋ぎ仲睦まじく歩く姿が見られなくなったのは、退官し、離宮にその居を移した頃のことだ。
ただ、この時の約束が守られていたかは、勿論別の話。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
クリスティアーナとクラウドが桔梗殿の裏庭を歩いているのを、“天”から眺めている男女が居る。男は執事らしい燕尾服を着こなし、女は侍女のお仕着せを纏っているが、それは仮初めの姿だ。
『クリスティアーナの魔才値に封印を掛けたりしなければ側妃ではなくて正妃に成れたのではありませんか?』
幸せそうにゆっくり歩く二人を見て、少し怒気を孕んだ女の声が飄々とした男に降り注ぐ。
『クラウドが高い能力を持っているのはクリスティアーナが早くから後宮に入ったからだ。そしてクラウドが中途半端な能力しか持っていなければ、クリスティアーナがクラウドに惚れることは無かった。彼女は尊敬出来る相手にしか惹かれない』
『だとしたらレイノルドが「魔砲」を引き当てた時点でクリスティアーナが正妃になる方法は無かったということですか?』
女にとってはどちらも子供のようなモノ。だから女は直接関わって状況を動かして来たわけだが、この男はお遊びで女の邪魔をする。だが女にとって男は絶対。魂を扱うだけの天使が、運命を司る神に逆らうことは出来ない。女が思い入れして育てた魂を遊びに使われたとしても文句を言うことしか出来ない。
『「天」の力は早々に解放されていたのだ。「伝心」をもう少し早く得ていれば可能性はあっただろうな。ふっふっふ』
『意味無く笑うのは止めて下さいよ気持ち悪い。「伝心」を得るには生命の危機が迫った人間のことを強く想わなければならないではないですか。身内が倒れたりしない限り普通会得出来ない力ですよ? そんな条件をどうやって満たせって言うんですか?』
『「天」はその持ち主の行いによって如何様にも変貌する。「伝心」以外にも状況を打開出来る力は幾らでもある。クリスが正妃に成らなかったのは彼女自身が強くそれを望んでいなかったからに他ならん。それに、お前の我が儘で直接関わらせてやったのだから文句を言うな』
『起こる可能性の高いイベントの話はするなとか、直接イベントには関わるなとか、制限が多過ぎです。あれじゃあクリスティアーナには中々近づけないし、シルヴィアンナにだって毎回助言することは出来ません。マリアだって徳を奪うようなことをしなければもう少しマシだったはずです』
──いや、あれは元々強欲な魂だったなぁ──等と思いながらも口には出さない女。しかし、顔にはそれがありありと出ていた。
『これは三人もの運命を狂わせた安藤真理亜に対する罰だ。それに、主人公の“気分”を味わたのだから幸せだろう?』
悪魔のように黒い笑みを浮かべた男の正体は、
『只のお遊びでゲームに合わせて運命を書き換えるとか、そもそもそれがどうかと思いますけどね。ホント、運命神ケブウスの気紛れは困りものです』
『五月蝿い。黙れルチア』
本日午後4時の次の更新で本編完結です。




