#210.聖女とシルヴィアンナ
セルドアに在る教会と言えば、デイラード教の教会だと思って間違いない。と言うよりは、ゴラ大陸にはデイラード教以外存在しないと言っても過言ではないわ。しかも、神聖帝国ゴラや大陸東部だと独自の宗派が在って宗教対立と呼べるモノがあるらしいけど、大陸西部では聖女を頂点とするデイラード正教会以外皆無と言って良い。
宗教対立なんて面倒なことが無いに越したことはないのだからそれはそれで良かったのだけど、残念ながら、セルドアの貴族に対してもデイラード正教会の影響は大きい。特に内政派の一部は教会派とも呼ばれていて、教会と貴族が癒着してる。この世界に政教分離なんて考え方は存在しないし、互いに利益が在ることに対してどうこう言う積もりはない。でも、面倒なことに彼らには結構力がある。内政派に、お父様に対して少なからずモノを言えてしまう。藍菜に焚き付けられた玲がやっとお父様とまともに話が出来るようになって来たのに……。厄介なことに巻き込まれたわね。
知識として宗教のことは知っていたものの、エリントン公爵家の娘として育てられた私がデイラード教会と関わることは無かった。教会を訪ねたことなんて正月と冠婚葬祭以外記憶にないわ。
そんな私が聖女に面会を申し込まれたのだから、警戒はして当然。要請があってから三日間で教会と教国について情報をかき集めたけど、残念ながら私と藍菜に会いたがっている理由は見当も付かなかった。
――転生が関係しているなんてことはないわよね?――
そんな思いを抱きながら挑んだ現聖女との面会。今世の親友がそのまま歳をとったような聖女様の目的は、私達に、いえ、どちらかと言えば藍菜に次期聖女就任を打診することだった。
聖女に一切興味はない。どんなに請われたところで首を縦に振る積もりはない。ただ――――藍菜はそうはいかない。藍菜はクラウド様の隣にいることを望んでいる。正妃だろうと側妃だろうとクラウド様の傍に居れば藍菜はきっと幸せになれる。でも、あの子は他人の不幸を見て見ぬふりは出来ない。偶然なのか必然なのか、オリヴィア様は藍菜の急所を突いてきた。あの子は自分を犠牲にしかねない。
藍菜は怒るだろうけど、私にも譲れないモノがある。これだけは絶対――――
「本当、あの人にそっくりだわ」
藍菜が突然中座したことによって訪れた一時の静寂。それを破ったのは親友と同じ色彩を持つ老齢の聖人の呟きだった。
「あの人? ……クリスティアーナ様がどなたかに似てらっしゃるのですか?」
「ええ。わたくしの腹違いのお姉様にそっくりなの。もう随分と昔のことだけれど、あの人のことははっきり覚えているわ」
そもそもクリスティアーナとオリヴィア様が親子みたいにそっくりなのに、腹違いの姉の方が似ているってこと? というか、公の経歴では孤児だった筈なのに……。やっぱり三日で他国のことを調べるなんて無理があるわね。
「腹違いの姉?」
オリヴィア様に侍るように後ろに控えていた赤い法衣の修道女が小さく呟いた。それを聞いたオリヴィア様がどこか申し訳なさそうな雰囲気で振り向き、修道女は「気にしないで」と言わんばかりに小さく首を横に振る。そして、私の方に向き直ったオリヴィア様の顔には、少し前と変わらない穏やかな笑みが浮かんでいた。どうやら本人以外皆知らなかったようね。
「お姉様がいらっしゃるのですね」
「五十年以上も前に生き別れた人よ。疾うに亡くなっていても不思議ではないわ」
五十年以上前か。時期まで符合してきたわね。その姉ってもしかして――――
「どんな方だったのですか?」
「一言で言えば、クリスティアーナ・ラトフのような人かしらね。明るく元気でいつも穏やかな笑顔を浮かべてて。困っている人を放っておけない、慈愛に満ちた優しい人だっわ。そう言う意味でも、似ていると思わない?」
これは確信を持って訊いているの? それとも探りを入れているの? 笑ってはいるけどこの笑顔は普段通りなの? ……ダメだわ。前世を足しても倍近い人生経験のある人の表情を読んだところで当てにならない。駆け引きしたところで敵いようがないことを前提で挑まないと、下手を打てば藍菜がクラウド様と離れなければならなくなるわ。
「そう仰られましても、わたくしはその方に会ったことがございませんので。それより何故わたくし達が「位」の持ち主なのか分かった――――」
「姉は「聖」の「位」の持ち主だったの。聖女になることが決まっていたのよ。姉が逃げ出さなければ、わたくしは一修道女に過ぎなかったでしょうね」
危険な匂いのする話題から逃げようとした私の言葉を切るように、オリヴィア様が話始めた。それは懐かしむようでありながらも、どこか羨むような語りだった。
「オリヴィア様に対抗出来る候補者はいなかったと伺っておりましたのに……」
オリヴィア様の後ろの修道女が、思わずといった雰囲気で口を挟んだ。どうやら極々一部しか知らない話ばかり聞かされているみたいね。
「ええ、幹部達に根回しをしている間に当人が教国から逃げ出してしまったから、この事実は殆んど知られていないもの。末端とは言え統治者の血族がその義務を放棄したとなれば、教皇家の外聞を落とすことに他ならないわけだし、国を挙げて姉を追うことも憚れたのよ」
「教皇家の血族……ということはオリヴィア様も?」
「あとで話してあげるからノエラは黙っていてくれる?」
「失礼致しました」
ノエラと呼ばれた修道女は、オリヴィア様の嗜める口調にハッとしたように驚き私に対して申し訳なさそうにしながら二歩程後ろに下がった。別に口を挟むのは構わないのだけど、今大事なのはオリヴィア様の素性ではないのよね。
「教皇家の人間が聖女になるのには、幹部に対して根回しが必要なのでしょうか?」
「そうよ。安心した?」
しまった。今ので確信を持たれた。
「……なんのことでしょう? 今の話にわたくしが安心する要素はないように思いますが?」
誤魔化しが通用する相手だとは思わないけど、認めるわけにはいかないものね。
「誤魔化すの? まあ良いけれど、クリスティアーナは貴女と違って嘘を吐ける人間とは思えないわよ?」
やっぱり確信を持ってる。でも正直、どう対抗すれば良いのか分からない。何よりこっちの手札は向こうに筒抜けなのに、向こうにどんな手札があるのか全く見えない。その場しのぎでどうにかなる相手だとは思えない。今は取り敢えず、
「申し訳ありませんが、オリヴィア様。わたくし花摘に参りたいのですが……」
時間を稼いで頭を整理しないと。
立会人のユンバーフ・アシュマンとも一応情報交換をしてみたものの、藍菜が連れて行かれることに反対していることが判っただけで大して意味は無かった。敏腕外交官と言われてもピンと来ない凡夫の空気を宿したこの男は正直頼りに出来ない。何で藍菜に思い入れしているのかしらね?
結果、何一つ収穫の無いまま私はオリヴィア様の待つ応接室へ戻った。そして戻って早々、
「わたくしが何を考えているか判らないうちに作戦会議は気が早かったのではないかしら?」
オリヴィア様にイタズラっぽく微笑まれた。
……筒抜けも良いとこね。とは言え全く対抗策がないわけではない。最悪引き分けに持ち込めるわ。
「……あのままではオリヴィア様の一人勝ちでしたわ。仕切り直すのも大事かと」
相手に隠す気がないなら、こちらにも遠慮は要らない。譲らないわ。絶対。
決意を新たにした私の頭に、
『杏奈さん!』
親友の声が響いた。




