#207.嫌な役回り
――言いたくても言えない――
昨日、議会が解散してから登城したエリアスを問い詰めた応えがこれだった。ややもすると、「訊くな」と言わんばかりのエリアスは、私の矢継ぎ早の質問に対して一切言葉を返すことなく黙り混んだ。ただ、口こそ殆んど開かないが目は雄弁にモノを言っていた。その名を出すだけでエリアスの瞳には確かな憤りが見えたのだ。欠席の原因を作ったのは間違いなくゲルギオス様だ。しかし、具体的に何があったかは今のところ一切分かっていない。
最も不自然なのは、エリアスが全臣議会を“欠席した”という事実だ。昨日の議会の結論がそうだったように、ビルガー公爵の言葉無しに
全臣議会は終わらない。エリアスが欠席すれば、会期が延長されるのはほぼ必然だ。
だが……それにどんな意味がある?
会期の延長は最大でも一週間という決まりがある。仮に七日連続でエリアスが欠席したとしても、それ以上の延長はない。停戦協定の期限まで引き延ばすのは不可能だ。だとしたら、エリアスは何故欠席した? ゲルギオス様の狙いは別のところにあるのではないか?
ただの推測だが、ゲルギオス様はエリアスに何かしら強いる積もりで、欠席はエリアスの抵抗、本人の意思によるものだったのではないだろうか? そう考えれば納得は出来るが、しかし何故ゲルギオス様がエリアスを動かすことが出来る? 脅された? どうやって?
ゴラの動きはほぼ把握出来る状態にある。特に文官には注意を払い、必ず陽炎が張り付き動きがあれば直ぐに報告を入れるよう指示しているが……数日前に文官の一人が前公爵エリオットと接触した程度で、ゲルギオス様がエリアスを脅せる程ビルガーの内部に入り込んだ形跡はなかった。
もっと言えば、何かしら不正の証拠を掴んでいたとしても、エリアスを脅すのは簡単なことではない。
不正の暴露をネタに脅しをかけるのは、奴らの、ゴラのやり口の一つだ。ヘイブス伯を言いなりにしていた方法を用いているとしたら、今の状況を説明出来なくはない。だが、伯爵と公爵ではわけが違う。余程の不正でない限り、公爵がその位を剥奪されるには至らない。いや、そもそもエリアスは公爵に成って日が浅い。ビルガーに不正があったとしてもそれは先代の罪だろう。つい半年前まで学院で生活していて公務には殆んど関わっていなかったエリアスが、取り返しのつかないような不正に手を染めているとは考え難い。
だとしたら、どうやってゲルギオス様はエリアスを動かしている? それに、抵抗したのなら何故私に何も話さなかった?
もしかして、一日延ばすことに意味があったのか?
一日延びて変わったことと言えば、エリアスの演説が父上の直前になったことぐらいだ。これに意味があるのか?
確かに、演説が後になればなる程議会の結論に対する影響は大きい。しかし、それにどれ程の効果がある? 影響があるにはあるが、その効果は“それなり”だ。何日延長されても最後に演説するのは父上なのだから、そこに意義は見出だせない。
それとも……聖女とティア、シルヴィアンナの面会が関係しているのか?
ゲルギオス様と聖女が接触した形跡はないが、聖女の狙いが判らない以上完全にこれを否定することは出来ない。年老いた聖女がこの時期にエルノアまで赴いて同盟交渉と無関係とは思えないし、デイラード、ゴラ、そしてセルドアとの地理的関係性を考えれば、デイラードはセルドアよりゴラにすり寄り易い。二人が連携する可能性は否定出来ない。
そもそも、何故側妃と公爵令嬢に面会を申し込む必要がある?
仮に、ティアが教皇家の血を継いでいることが相手に知られているとしても、手紙にあった通りティアを聖女にしたいというのも信憑性が低いだろう。何よりも、洗礼すら受けていない、信徒ですらないティアを聖女にするとなれば、公に成っている聖女の選定基準を丸々無視することになる。シルヴィアンナにしても同様だ。ならば、聖女とゲルギオス様が連携をとっていると考えるのは決して不自然なことではない。
ただ……セルドアがそうであるように、ゴラにとっても宗教というのは厄介な存在だ。その力を利用することも出来るが、同時に、身の内に制御出来ない力の存在を許すことになり兼ねない。ましてや、“非武装故の大権”を持つと言われる聖女と一時的にも手を組んでしまえば、後々面倒なことになるだろう。
そこまで考えていない可能性も否定出来ないが、ゲルギオス様が聖女と連携しているというのも、今一つ説得力に欠ける。
いずれにしても、エリアスの今日のその行動が、言葉が、全臣議会の結末を、いや、大陸の未来を変えることになるかもしれない。
議会七日目の下位貴族による演説の殆どを聞き流しながら思考に耽っていた私を現実に戻したのは、
『クラウド様』
頭の中に響いた愛しい女性の高く澄んだ声だった。
『では、突入しますクラウド様』
『分かった。気を付けろティア』
『はい』
不思議な感覚が途切れ会話が出来なくなった。本人も良く判らないようだが、突然凄い能力を身に付けたモノだな。声の主がティアであることにも何故か確信を持てる不思議な力だ。
それは良いとして、誘拐か。蓋を開けてみれば極々単純な構造だったな。しかも、ゲルギオス様の気の短さを考えれば十分想像に足る行動だ。私もまだまだ甘い。
「続いて、エリアス・ビルガー公爵」
頭の中でしていた会話を思い出しながら反省していると、新公爵の演説順が来たことを告げる声が石楠花殿に響いた。魔道具で拡声されたその声で、今日の議会に満ちていた何処か弛い空気が一変し、出席者の緊張度が一気に増した。エリアスの言葉が、行動が、それだけ注目を浴びているということだ。
上位貴族席を立ったエリアスは、先ず父上に一礼した。玉座の隣に腰掛けている私からは、その表情をはっきり確認出来る。いつもの覇気がない。何か迷うような、縋るような、力のない瞳はどこを見ているか判らない。
演説台に上がり原稿を整えているエリアスをその斜め後ろから見ていても、長身で体格の良い筈の男が、中背で細身に見える程だ。
どうする気だエリアス? セルドアスに弓を引くと宣言するのか?
「エリアス・ビルガーだ。公爵位を賜っている。儀礼的な挨拶は苦手故、早速本題に入らせて頂く。ビルガー公爵家は――――」
エリアスの演説が始まった。内容はどうやら、ビルガー公爵家の功績を強調するモノのようだが――――言い回しがおかしい。冒頭から棒読みしていて、原稿を読んでいるだけなのがありありと出ているのだから言葉に力がないのは当然だが、それと同時に語尾や接続詞にセルドアではあまり一般的ではない表現が使われている。ティアの言葉を疑っていたわけではないが、何かしら強制されているのは間違いない。
友人とその息子が理不尽に殺されたとなれば、ティアの“落ち様”は想像出来ない程だろう。かといって、セルドアが混乱に落ちればそれはそのまま大陸全土に波及しかねないのだから、エリアスを止めないわけにもいかない。嫌な役回りだ。
自分の置かれた状況を嘆きながらエリアスの言葉一つ一つに注意を払っていると、演説は佳境に入った。
「今申し上げた通り、ビルガー公爵家はセルドア王国に多大な貢献をしてきた。その功績は王家に劣るモノではない」
――ビルガーは王家に劣らない――棒読みにしていようとも、その言葉で玉座の間が蠢いた。つい先程までは、発している語句の割りに力のない演説に戸惑いつつも動揺までは至っていなかった貴族達がざわめいたのだ。
そしてそのざわめきは、エリアスの次の言葉でさらに大きくなる。
「これほど王国に貢献して来たビルガー公爵家に今ある地位はそれに相応しいと言えるか? 答えは否だ」
混乱、とまでは行かないが、石楠花殿は今千五百を越える貴族達の動揺に満ちている。
「もし我がビルガーが……」
ざわめきが大きく成る中でエリアスは言い淀むように言葉を切った。
間に合ったのかティア?
「ビルガーが……」
人質は? 救出出来たのか?
「もしビルガーがその貢献に則した地位を得られないとあれば」
エリアスもう少しだ。もう少し引き延ばせば、ティア達がお前の大事な者達を救いだしてくれる。話さないでそのまま――――
「私は――――」
くっ!
「お止め下さいビル――――」
「エリアス!」
今私の前に誰か止めに入らなかったか? 会場の端の方から声がした気がするが……下位貴族、しかも士爵家の者が今の状況を把握していたということか?
「何故……」
別のことに思考を走らせながら演説台の袂まで歩いていると、こちらへ振り向いたエリアスがなんとも言えない複雑な表情で私を見ていた。エリアスにしてみれば愛妾と息子の命とセルドアの混乱とを秤にかけて、前者を選んだんだ。それを止められて複雑なのは解る。しかし、若干怒りが勝っているように見えるのは気のせいか?
「息子は無事だ。妾も」
「は?」
確証はないが、この方が話が早い。
「何を――――」
『クラウド様! 救出成功です!』
赤髪の若き公爵の言葉を遮ったのは、頭の中に響いた天使の声だった。




