#206.テレパシー
『何? 何でクリスの声が聞こえたの?』
頭の中に響いたその声は間違いなくイリーナ様のものでした。
「イリーナ様? 何処にいるのですか?」
「クリスティアーナ様?」
「クリス? イリーナが何処かに居たの?」
私の謎の発言を皮切りに、皆は周りを見渡したり不思議そうに私の顔を覗き込んでいます。ごめんなさい私も状況が解らないのです。
「イリーナさん」
「どうかなさったのですかクリスさん」
呼び掛けても一切反応がありません。さっきはイリーナ様の声がはっきり聞こえたのですが……あ! もしかして!
『イリーナさん。何処に居るのですか?』
イリーナ様を強く意識しながら頭の中で話掛けると、
『まただ。何これぇ魔法? クリスだよね』
再びイリーナ様の声が帰って来ました。……魔法でも奇跡でもなんでも、私はこの声の主がイリーナ様だと確信が持てました。何故だか、そこに疑問を挟む余地がありません。
『そうです。クリスティアーナです。私も初めて使ったので良く分からないのですが、今は先ずイリーナさんが何処に居るかを教えて下さい』
魔力を使っている感覚がないので魔法では無いと思いますし、本当にこれが何なのかはさっぱり分かりません。
『寝かされて連れて来られたから場所は良く分かんないけど、焼け焦げた変な地下牢だよぉ。廃屋なんじゃないかな。トイレの天井に大きな穴が空いてるし』
トイレに大穴が空いた焼け焦げた地下牢……それって間違いなく――――。
『身体は大丈夫ですかイリーナさん』
『わたしは大丈夫だけどイリアス、子供がね。元気が無くて』
生後十日足らずの赤ちゃんをそんなところに閉じ込めたら元気が無くなって当然です。
『分かりました。あと二時間もすれば救出出来ると思いますから頑張って下さい』
『ありがとうクリス。幻でも話せて良かった』
『幻ではありません。本当に助けに向かいますから、待っていて下さい』
『分かった。待ってる』
戸惑いながらもはっきりしたイリーナ様の返事を聞いた私が目の前の状況に意識を戻すと、皆が心配そうに私を覗き込んでいました。
「大丈夫ですか?」
「えーと、イリーナ様の居場所が分かりました」
「「「は?」」」
あ、説得力がありませんね。
『リーレイヌ様聞こえますか?』
「え?」
私を見ながら目を見開き驚いたリーレイヌ様です。そりゃそうですよね。目の前に本人が居るのに頭の中に声が響いて来るのですから。
『聞こえていたら、口には出さないで頭の中で話してみて下さい』
『何これ? 頭の中にクリスの声がする』
「これを使って今イリーナ様と会話をしていました」
「「「会話?」」」
順番に使って理解して貰うしかないですね。
・・・
数分後。
「詰まりさっきのでイリーナと会話をしたってこと?」
残念ながら複数人同時使用することは出来なかったので、一人一人説得するしかありませんでした。
「そうです。イリーナさんが居るのはほぼ間違いなく私とマリア様が監禁されていた部屋です」
「クリスとマリア様……エルノア西の別荘街の旧ビルガー邸ですか?」
「はい。イリーナさんが言うには、トイレの天井に大穴が空いていて、室内は焼け焦げているそうです」
エルノアの内部だと人通りが多過ぎますからね。監禁場所に近付いて来る人間が、救出や探索に来た人なのか全く関係ない人なのか判断出来ません。しかし、あの屋敷の近くは人通りなんて皆無に等しいですから、近付いて来る人を全て警戒すれば良いだけです。
更には、エルノアからあまり離れてしまっても“命令”を下すのに時間が掛かり過ぎてしまいますし、逆に近過ぎると救出が容易になってしまいます。あの屋敷は、環境から考えても距離から考えても適切と言えるかもしれません。
「……間違い無さそうですね。騎士に知らせて信じて貰えるでしょうか?」
残念ながらこの“テレパシー(仮)”は誰に対してでも使えるわけではなく、王国騎士の助さん(仮)を相手に使おうとしても彼は何の反応も見せませんでした。何かしら条件があるようなのです。だから、この能力でイリーナ様本人から話を聞いたと言っても簡単には信じて貰えません。
あとはクラウド様に話して近衛を……ダメです。今王宮内に居るゲルギオス様に秘密にして近衛を動かすなんて不可能に近いです。それどころか、クラウド様が感付いたような動きを見せたらイリーナ様の命が危ないかもしれません。
「本当にゲルギオス様が主犯だとしたら、信じる以前に王国騎士も近衛も動かせないと思います。どちらもゲルギオス様の監視下にあるのではないでしょうか」
恐らく照明系の魔法を用いた通信で、屋敷への連絡は簡単に出来る状況にあるはずですから、変な動きがあったら直ぐに“証拠隠滅”をされてしまうでしょう。
「……そうかもしれませんね」
近衛や王国騎士はダメ。「陽炎」はクラウド様かジークフリート様の命令でないと動きませんし、何か、何か方法はないでしょうか?
「かと言って我々だけでは戦力不足でしょう。誰かしら助力が必要です」
「クリスの話なら誰だって信じる。動く人間は幾らでも居るわ。それこそ、今の魔法で頼んでみたら?」
ジョアンナ様の買いかぶりに突っ込みを入れている暇はありませんね。こうなったら手当たり次第“テレパシー”を使いましょう。
約三十分後。エルノア湖の港から船に乗り込んだ私は、イリーナ様の元へと向かっています。ジョアンナ様の言った通り、私の言葉に応じてくれた方が沢山いて、暴走気味にセルドア運河を西へと走る高速艇はなんと三隻、合計で三十人程も乗っているのです。
具体的には、ベイト伯爵邸に滞在中だったお母様は勿論、今日は授業が休みで偶々お母様の近くに居たリリと、私の甥のアレクセイ様を連れて同じくお母様の傍に居たお姉様。そしてベイト六兄弟の中のクロー様にグレイ様にルンバート様。クロー様の部下二人。そして玲君ことレイノルド様。更にはベイトとルアンの両伯爵騎士が合計二十人以上。という陣容です。
まさか、こんなにも簡単に人が集まるとは思いもしませんでした。皆さん本当にありがとうございます。ただ、挨拶も殆どしないで早々出港しまったので、この船に乗っている人以外にはきちんとお礼を言えてません。あとで贈り物でもしないといけませんね。しかも、騎士様達はある程度武装していますが、玲君やクロー様達は軽装ですし、お母様他女性陣に至っては皆普段着用のドレスやお仕着せ姿です。本当に我が儘言ってスミマセン。
それとは別に、私は“テレパシー”を使って報告の最中です。頭の中の声が私だということはあっさりと信じてくれたこの方ですが、
『私に事後報告とはな。覚悟して置けティア』
お怒りです。ただクラウド様が怒っているのは間違いなく、
『旦那様は先に言ったら議会を抜け出してでも止めに来ますから、あとで報告したのです』
『当然だ。前線に出るなど誰が許可する』
“私が”救出に行くことです。そして、「覚悟」も夜寝れないことを覚悟すれば良いだけですから、説得力がありません。
『今から追い掛けても間に合いませんから、抜け出したりしないで下さいね』
『はぁ。まっったく。大きな動きをしなくても「陽炎」ぐらい動かせる。最初に私に報告していればその場でどうにかなったというのに』
『クロー様も協力してくれましたから「陽炎」の方も何人かは船に乗っています。それに、「陽炎」はレイラ様の時に動いていますから、向こうも警戒しているかもしれません』
とは言うものの、ゲルギオス様を見張っていたのは全くバレていなかったようですから、たぶん警戒されてはいないでしょう。
『しかし、よりによってレイノルドを頼るとは。ベイト伯爵騎士だけで充分だろうが』
旦那様は相変わらずレイノルド様に妙な対抗意識がありますね。
『ベイト家の騎士はお母様とルンバート様に付いて来ただけですから。レイノルド様に頼んだ時は来るかどうか判らなかったのです。それに、戦力は多い方が良いではないですか』
『……まあ良いだろう。だがティア。間に合わなければ強引にエリアスを止めるぞ』
当たり前ですが、クラウド様はこういう非情な決断を下さなくてはならないことがこれから何度もあるはずです。そんな時は妃が支えにならなければいけないのに、これでは立場が逆ですね。
『解っています』
『絶対に油断するな。追い込まれたネズミは何をするか分からない。気を付けろ』
『旦那様もエリアス様が下手なことを言うと思ったら躊躇してはいけませんよ。セルドアが混乱したら、それはそのまま大陸に派生してしまいすから』
『……分かった。ティアが死んだらどれだけの人間が泣くか分からない。それを忘れるな』
『はい。では、イリーナ様が救出出来たら直ぐ連絡します』
『ああ』
“テレパシー”を切って意識現実に戻すと、目の前に青い瞳がありました。
「大丈夫?」
「……何がですか?」
お母様の優しい問い掛けの意味が私には解りませんでした。
「悲しそうな顔をしていたわ」
頭では理解していても非情な決断はやはり嫌ですし、クラウド様にも下して欲しくないですからね。頭の中でしていた会話でも私の表情は暗くなっていたようです。
「ゲルギオス様はイリーナ様を殺すよう命令するでしょうか?」
「レイラ様に対してすら殺すよう命じたのだから今更躊躇はないわ。ビルガー公爵に恨まれることになっても、証拠隠滅を優先する人でしょうね。後先考えず、形振り構わず、セルドアを混乱させて同盟を阻止することだけを考えている。そう思って行動した方が良いわ」
下手をすれば、ルギスタンとセルドアと、同時に敵に回ることすらあり得るのに……マリア様並みに自分勝手で視野が狭い方なのでしょうか?
「でも、それに従っている人間までそうはいかない。人質なのだから、殺すか殺さないか迷う局面は必ずある。クリスの「目隠し」がまた役に立つよ」
優しい声で私にアドバイスしたのはクロー様です。
「そうかもしれませんが……」
連絡に用いているのが<照明>かどうかは分かりませんし、発信元のゲルギオス様を抑えでもしない限り中々難しいと思います。そして、エリアス様にとっては大事な人でも、イリーナ様は法律上平民なのです。ゲルギオス様にとって殺す事を躊躇する相手ではないでしょう。そんなゲルギオス様の動きを抑えるなんて……
「そうだ!」
あ、つい声を出してしまいましたね。
『杏奈さん!』
『え? 藍菜?』
2015年12月31日まで一日三話更新します。0時8時16時です。それで本編が完結します。




