#201.太子の演説
カーライル・ダッツマン視点です
「――――セルドアは強い。そして豊かだ。世界一と言ってもそれを否定するだけの根拠などありはしない。その基盤を我々王族貴族の先祖達が築いたのは歴史上の事実だ。故に我々には国を動かすだけの権限が与えられ、今尚、国家を支える一人として重責を担っている。
だがしかし、もし我らが理不尽な法を打ち立てたら民はそれに従うか? 不要な事業を主導して国費を無駄にしたら、民は我らの監督を認めるか? そして――――
何の恨みの無い相手との戦に兵を召集したら、民はそれに応じるか?
答えは間違いなく否だ。応ずる者なくば国は国として成り立たない。民を置き去りにすれば、セルドアとて簡単に崩壊する。それは疑いようも無い。
我らの祖先は民の願いに応えて来た。だから王国は強く豊かな国となった。ここでもし民を置き去りにした結論を出せば、それは間違いなく我らに、いや、我らの子や孫に振り掛かる。
この演説台で幾人もが語った通り、神聖帝国ゴラの皇太子ゲルギオス様は大きな野心を抱いている。セルドアの歴史を、自らの子孫の繁栄を閉ざしたいと思うのならば、彼の言に従うが良い。
以上だ」
・・・
――パチ、パチ、パチパチ、パチパチパチ、バチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチ――
「セルドアに永久の繁栄あれ!」「誉れ高き我らが次期国主に栄光あれ!」「クラウド様が居る限りセルドアは安泰ですぞ」「賢き王を頂く我らは幸運にございます」「次代の主の叡智に敬意を評しまする」
クラウド様が原稿を閉じ数瞬の沈黙が訪れたあと、静寂は万雷の拍手と歓声に変わった。
「本日はこれにて閉会とする」
暫しの間続いた拍手と歓声が鳴り止み、王弟ジラルド殿下の閉会を告げる声が拡声の魔法具によって石楠花殿の大ホールに響き渡ると、昨日までは閉会後も存在していた緊張感が、どこかホッとした空気に変わっていることに気が付いた。
どうやら、この全臣議会の方向性が決まったようだ。一番警戒しなければならないベルノッティ侯は、ある意味いつも通り、「王家に権限が集中しているのは危険」という自説を説いただけで演説を終えた。まだ明日が残っているが、エリントン公はルギスタンとの同盟に賛成、陛下も無難に演説するだろう。代わったばかりのビルガー公はなんとも言えないが、クラウド様の演説に対して拍手をしていたのは全体の七割を越えていたようだ。余程のことが起こらない限りこれを覆すのは無理だろうな。
全臣議会が行われた石楠花殿から王都の屋敷に戻ると、使用人だけでなく妻ミリアも玄関まで迎えに出ていた。まあ、
「お帰りなさいませ。今日は如何でしたか?」
「ただいま。流石はクラウド様だったな」
特別理由が無い限り毎日だがな。あまり大きな声で言いたくはないが、この歳でこの美しさを維持しているのは並大抵のことではない。私は妻に恵まれたのだ。
「クラウド様……どんなお話でしたの?」
家の奥へ歩き始めると横に並んだミリアが訊ねて来た。
「要約すれば、民は戦なんぞ望んでいないという話だった。説得力もあったな。ただ、内容がどうこう以上にクラウド様が放っていた気配が印象的だった。普段社交で見るクラウド様は無愛想に当たり障りのない話をする程度だから気付かないが、今日のクラウド様は王に相応しい威厳と風格を宿していた。次代のセルドアは安泰だ」
「旦那様がそこまで言うなんて、余程でらしたのね」
「そうだな。あれを直接見て次代のセルドアを危惧する者はいないだろう」
ただ、あの話はこれまで政務で関わって来たクラウド様の考え方、というかセルドアス家の考え方とは少し違う。セルドアス家が民を大事に思い守って来たのは間違いないが、「民の願いに応えて来た」という言い回しを聞いたのは初めてだ。そういう解釈も出来るのだから演説に嘘や誇張があったわけではないが、セルドアス家は飽くまで国主として民を守る姿勢を取って来た。民の願いに応えたことが国の繁栄に繋がったという考え方は、セルドアスらしくないと言えばらしくない。王家が民を主導して来たという面も否定出来ないのだから、今までにない受け身過ぎる考え方だ。あの原稿を考えたのはセルドアスの人間ではないのか?
「議会の行方が決まったといことでしょうか?」
「出席者の七割程がクラウド様に拍手を送っていたのから、完全にとは言えなくとも、方向性が定まったのは間違いないな」
ミリアはホッとしたように息を吐いた。
当たり前だが、彼女も戦争なんぞは望んでいない。いや、食料事情の良いこの国では底辺に居る奴隷や外国籍の人間ですら食うだけならなんとかなる。楽をしようと犯罪に手を染める者も居るのは事実だが、戦をしたがる平民なんぞ極々一部だ。クラウド様の言う通り、平和に慣れ親しんだセルドア国民の大半は、恨みの無い相手との戦争なぞ望まない。
「そうですか。本当に良かったですわ」
「クリスティアーナ様には悪いが、ルギスタンとの同盟を結ばない限り、ゲルギオス様は本気で戦を仕掛けるだろうしな」
ゲルギオス様は、それこそ「民の願い」なんて考えもしない方だ。ルギスタンを攻められないとなれば、今度はデイラードやハイテルダルを裏切ることも考えられる。いや、それが「民の願い」だと名文を立ててどこかしらに侵攻を企てるだろう。ただ、エルノアにまで乗り込んで同盟阻止に失敗したら、ゴラ国内での求心力は大きく低下する。それを纏めることが出来たらの話だが。
「クリスティアーナ様は正妃になることを望んではおりませんよ。ルギスタンが条件を変更することを一番避けたかったのはクラウド様ですわ」
ん? ……まあそういう印象がなくもないが、
「何故断定出来る?」
本人と話したのは随分前だろう?
「ミーティアがそう言ってましたから」
そう言えば、ミーティアとクリスティアーナ様は仲が良かったのだったな。
「ああ! 忘れるところでしたわ。カマラに昔の同僚から手紙が届きまして、明後日ビルガー公爵邸に一緒に行かないかと書かれていたそうですわ。ローランも連れて行きたいから許可が欲しいと言っていました」
カマラ? ……ヘイブスから逃げて来た彼女が何故子供を連れてビルガー公爵邸に?
「何でまた?」
「ビルガーに居る妾仲間が先週出産したそうですわ。学院にいる仲間も来るから参加したいようですわね」
妾仲間か。変な繋がりだな。ああ、そう言えば魔法学院の上位貴族男子寮には習慣的にそんな集いがあると聞いたことがあるな。
「ヘイブスは潰れているのだ。ローランを外に出しても何があるわけではない。カマラの好きにすれば良いのではないか?」
「わたくしからもそう言ったのですが、カマラは律儀な子ですから旦那様から直接許可が出るまで譲らないのです」
「最初に私から厳命してしまったからな。今どこにいる?」
翌朝。エルノア王宮、迎賓区石楠花殿。全臣議会六日目。
今日の午前中には予定されている全ての演説が終わり、延長の申請が出され無ければ夕方から夜には結論が出される。そう。予定通りなら今日のうちに決まるのだ。
ゴラ大陸の命運が。
連日同じように、王族席の後ろの上位貴族席の更にその後ろの自分の席に着いた。まあ、私の席と上位貴族の席の間には通路が作られているがな。
それは兎も角、既に半数以上の出席者が集合しているわけだが、緊張感がホールを支配していた昨日の朝とは全く違い、今日はどこか和やかな空気がある。やはり王族の、王太子の言葉は影響力が大きいようだ。
そんなことを考えながらも、堅実内政派や国王派の貴族などと会話をしながら全臣議会の開始を待っていると、もうすぐ開会という時刻になって上位貴族達が俄に騒ぎ始めた。何かと思って彼らの話に耳を傾けていると、聞こえて来たのはこんな会話だった。
「後回しに出来ないのか?」
「規則上重臣会議と同じで遅刻したら発言権は無くなる」
「ビルガー公爵の言葉無しに全臣議会は終わらんだろう」
今日の最初に演説が予定されているのはビルガー公爵だ。しかしその時、石楠花殿どころか王宮のどこにもその姿を見ることは出来なかった。
2015年12月31日まで一日三話更新します。0時8時16時です。それで本編が完結します。




