#198.先祖
お兄様に爆弾を投下された翌朝。太子就任式など重要な式典等でしか使われない石楠花殿で全臣議会が始まりました。ただ当然、私は王太子として議会の中心に居るクラウド様の後ろに侍っているわけにはいきません。いえ、そもそも全臣議会に侍女や執事を同伴させることは出来ません。だから今回の件とは関係なしに基本的には会場に入ることすら許されないわけですが、そんな事情は一切無視して私はお母様とお話ししなければなりません。
幸いお母様は、全臣議会に出席しているお父様と一緒にエルノアまで出て来ていて、ベイト伯爵邸に滞在していたのです。早朝連絡を取るとお母様は直ぐ王宮まで来てくれました。今は居住区の一室でお兄様を交えた面会の最中です。リーレイヌ様にも退室して貰ってお話しすることは勿論、
「曾祖母様がデイラード教皇家の末席のお姫様……」
「そうよ」
デイラード教国は勿論、デイラード教会とも一切関わりなく生きてきた私が教皇家の血を引いていると言われても困惑するだけですし、今はそれに加えて聖女に請われるかもしれないなんて……。聖女に成りたいなんて微塵も思いませんし、クラウド様から離れることも考えられませんが、現役の聖女様がわざわざ国境を越えて訪ねて来られるわけです。そこには動くに値する理由が存在するでしょう。
「何故教えてくれなかったのですか?」
成人し、結婚までしている私に秘密にする理由はないと思いますよ? 駆け落ちしてきた曾祖母様が秘密にしたのは当然ですが、聖女に請われているなんて話がない限り、セルドアでデイラード教皇家の血はそれほど価値のあるモノではないわけですし……。
「アンドレには成人した時に話たのだけどねぇ」
お母様は誤魔化すように自嘲気味な笑みを見せました。どうやら忘れていただけのようですね。
「話す機会が無かっただけだよ。クリスと二人になる機会なんか殆んど無かったしな」
「こんなことにならない限り、知っていてもなんの意味もないことよ。実際これを知っているのはベイト家の直系とクラウド殿下、先代と今代の国王夫妻だけ。駆け落ちした経緯とか詳しい話はわたくしも知らないし、これがデイラードに伝わったとは考えられないわ」
そんな極々一部しか知らない事がデイラードには知られたとは確かに考え難いですが……。
「駆け落ちした経緯も分からないとなると、曾祖母様が聖女と関係していたかとか、そういったことも分かりませんよね?」
「お母様、貴女のお祖母様ですら殆んど聞いていないと言っていたのだから、曾祖母様が亡くなったあとに産まれたわたくしが知っている筈がないわ」
何かしらヒントになることが分かるかと期待していましたが、何もわからなそうですね。
「曾祖母様が教皇家のお姫様であったのは間違いないのですか?」
「貴女もリリもアンドレも、間違いなく初代聖女の血をひいているわ」
言い回しの問題で、デイラード教皇家の血です。そうです。この身体には国主の家の血がこの流れているのです。
「と言っても末端だったのですから、今更教皇家が出てくるとは考えられないでしょう。それを理由に側妃のクリスを聖女にするなんて不可能だ。というか、手紙に書いてあっただけなんだろう?」
「はい。でもお兄様。オリヴィア様がお越しになる理由が……」
残念ながらオリヴィア様来訪の理由は今もって全く分かりません。エイビス様がどの程度正確な情報を掴んだかは分かりませんが、全く根拠のないことを手紙に書くとは思えませんし……。
「時期が時期だからね。やっぱり同盟交渉に関してじゃないか? 全臣議会の結論はデイラードにも大きな影響があるわけだしね」
「確かに影響は大きいけれど、議会の結論がどう出ようともデイラードは戦乱に巻き込まれ兼ねないわ。直接発言が出来るわけではないのだから、それを理由に聖女がエルノアまで来るというのは説得力がないわね」
デイラード教国は今、戦乱に巻き込まれようとしています。セルドアとルギスタンの同盟が成立すると、ゴラとハイテルダルは再びデイラードへと野心を見せるでしょう。逆に同盟が成立しなかったとしたら、ゴラはハイテルダルとデイラードと組んでルギスタンを攻めることになります。と言うより、大陸全土を巻き込んだ巨大な戦争になる可能性も低くありません。色々な意味で、デイラードはルギスタン以上に危うい立場にあるのです。勿論、ダラン・ハイテルダル家が皇王位乗っ取りに成功すれば状況は大きく変わりますが、その情報が外部に漏れているとは考えられません。全臣議会を理由に来訪するというのは説得力に欠ける話なのです。
「セルドアの王族を聖女として迎えることよりは現実味があるでしょう。発言こそ出来なくても客として議会を見学したいと言われれば断ることは出来ません」
「見学したいだけというのも……」
それも説得力が無いと思いますよお兄様。
「この話は止めましょう。わたくし達が推理しあっていても意味はないわ。王族であるクリスを無理矢理連れて行くなんて出来ないのだし、一週間待つしかないわね」
そうですね。そう長いこと滞在したりはしないでしょうから、面会を望んでいるなら二、三日中に申し入れがある筈ですし、推測することに意味はないですね。ただ、一つだけ文句を言って置きたいと思います。
「はい。それにしてもお母様。よりによってクリスティアーナという名前を付けることはないと思います」
「貴女が笑った顔を初めて見た時にピッタリだと思って……」
「ピッタリでもなんでも、ボトフとラトフでは一音しか変わらないではありませんか」
――クリスティアーナ・ラトフ――
洗礼名の「ルア」の方が知られているのであまり認知されていないのが幸いですが、初代聖女にその母親が付けた名前です。
「ああ、ルア・デイラードは贈り名で、本名はクリスティアーナと聞いた時は私も驚いたな。しかも初代聖女は白金の髪に深い蒼い瞳。直ぐにクリスを思い浮かべたよ」
遥か二千年も昔の話ですし、実在したかどうかも曖昧な方ですが、ご先祖様と私は同じ色彩を持っているわけです。その私にクリスティアーナという名前を付ける。お母様。狙ってやっていませんか?
「名前が一緒でもクリスはクリスよ。美人で優しくて困っている人が放っておけない私の娘」
お母様……。
「クリスティーナもクリスティアンナも普通の名前ですし、そのまま名付けることに抵抗は無かったのですか?」
「それに反対したのはあの人よ。わたくしの名前が入っていた方が良いと言ってね。
そんなことより貴女が魔法を使えるように成って本当に良かったわ。でも、前線に出て行こうとするのは賛成出来ない。少しは自重なさい」
随分と強引に話題を変えましたね。まあそこまで責める積もりはありませんけど。
「今の状況でレイラ様がセルドアの正妃に成れなかったら大変な事に成ります。でも、セルドアスとしては暗殺を中止にさせるより実行させた方が都合が良かった。レイラ様に囮に成って貰うのに、それを頼む王族が後ろに引っ込んでいるのは筋が通らないかと」
「クリスが出る必要が無いという話だよ」
クラウド様にも同じことを言われましたね。
「提案したのが私ですから。それに、他国の王族女性を迎えに出るのは王族女性の役目だと考えると、私以上に“戦場”に近付くのに適した方はいないと思います」
新米なのでまだまだ訓練不足ですが、正直なところ妃の中で魔法に最も長けているのは私ですからね。
「“雨”は確かに有効だったようだね。クロー様が誉めていたよ。「あの規模の戦闘で被害が全く無かったのは初めて」だって」
「……まあ良いわ。今回は周りに護衛が沢山居たというしね」
クラウド様が強引に杏奈さんまで護衛に付けましたし、後宮武官とリーレイヌ様も含めて私の周りには実力者が沢山いたのです。
「なんにしても、クリスはこれで良いの?」
この質問は正妃に関してですね。
「政略結婚ですから。レイラ様とも仲良く出来そうですし」
元々リシュタリカ様やシルヴィアンナ様が正妃に成る可能性は低くありませんでしたし、その辺のことは元々承知の上で結婚したのですから、正直、今更です。レイラ様のことも、ルギスタンが、正確にはレイラック様が直接正妃候補に探りを入れ始めた時点で正妃の座が同盟の条件として盛り込まれることは予想の範疇だったわけですし……。
「そう」
それ以降お母様は何も言わず、ただ私に微笑み掛けてくれました。




