#193.ルギスタンの王女
ルギスタンの王女、レイラ視点です
同盟に対する本気を示そうと、急遽決まったエルノア入り。それにどれほどの効果があるかは判らないけれど、大急ぎで準備を整え、ルギスタニア城を出てからもう一週間になる。明日には峠を越えてセルドアの中央平原に出るらしいのだけど……。
「ご不安ですか?」
今日の宿としてお借りしたお屋敷の窓から沈み行く夕日を眺めていると、後ろから掛けられた声。長年仕えてくれている侍女のシャノンに声を掛けられても、私は返事が出来なかった。不安を抱えているのは間違いない。でも、初めて外国に赴いたことで妙な高揚感を覚えていたこともあって、「答えに迷った」と言った方が正確だと思う。
「大丈夫ですよ。エルノアに着けばレイラック様がいらっしゃいます」
私が何も返事をしないのを見て答えが是であると判断したのか、シャノンは慰めような言葉を口にした。私がお父様に甘えている事はシャノンも知っている。お父様と会えば落ち着くのは間違いではないけれど、今の私はそんな心境ではない。
「今回のこと、お父様が賛成していないのは解っているけれど、決めたのもお父様だわ。我が儘を言う積もりはないけれど、お父様に甘える気にはなれないの」
お父様はとても優しく、私に甘い。いつかどこかの王家や貴族家に嫁がなければならない事は常々周りから言われてきたけれど、お父様だけは一度もそれを口にしなかった。ただ、「望む相手と結ばれて欲しい」そんな風に思っていたはずなのに、それも口にする事は無かった。ずっと迷っていたのだと思う。勿論、今回の事も。
「……クラウド様はとても優秀で見目麗しい方だと言います。お会いになればきっとレイラ様も心を奪われますわ」
クラウド様に会ったことがないシャノンにそんなことを言われても全然説得力がないわ。それに、
「解っているでしょうシャノン。私が不安に思っているのはそんなことではないわ」
明日には合流するらしいその人を気に掛けるなという方がおかしい。彼女にとっても私にとっても、明日は一生のうちでも一番緊張する瞬間かもしれないのだから。
これがセルドアとの同盟が成立した後ならば割り切って考えることも出来るかもしれない。でも今はまだ、彼女も私も候補の一人。割り切る以前に、国同士の話し合いでしか決着の着かない争いに巻き込まれた被害者同士だわ。もっと言えば、後から出てきた私が彼女の邪魔をしたことになる。それはどうしようもないことだけれど、この複雑な感情に整理をつけることなんて出来ない。
「他国の王族を王族が迎えに上がることは珍しいことではありません。ましてや直系の王女であるレイラ様に迎えを寄越すのは当然ですわ。
寧ろ、セルドアス家が皇家を蔑ろにしていない証拠であって、レイラ様が不安に思うことなど――――」
「止めてシャノン。解っているのに変な理屈を並べないで」
つい声を荒げてしまった。いつもならこんなにはしたないことをしたら怒られるけれど、私の複雑な感情を理解しているのだろうシャノンは黙ったままだった。
「怒鳴ったりしてごめんなさい。一人にしてくれる?」
「畏まりました」
反論することなく踵を返したシャノンが、ルギスタンではあまり見られない鉄製の扉から部屋の外へと出て行った。その見慣れた背中を少し寂しく思いながら眺めたあと、私の頭に浮かんで来たのはやはり“彼女”の事だった。
「それにしても……どうして?」
私のエルノア入りは突然決まったことだから、普通は国境に出迎えるモノが日程の半分近く来てからになったのは不思議なことではないけれど、よりにもよって彼女が私を出迎えることはない。国王陛下の側妃だったり、直系から遠いお妃様だったり、セルドア王家には当たり障りの無い王族女性が何人もいるのに……。
「レイラ様」
つい先程シャノンが出て行った扉の向こうから、出て行ったばかりの人の声がした。……そこまで怒っていないことぐらいシャノンには分かっているだろうけど、幾らなんでも早すぎない?
「何?」
出来るだけ感情を抑えて話そうとしたら、自分でもびっくりするような冷たい声が出た。これではいけないわ。これから私は女の戦場に向かうのだから、感情が表に出たら付け入られてしまう。ルギスタンでデビューする前にセルドアで舞踏会に出ることになるなんて……こんなことが無ければ今頃緊張で硬くなっていただろうなぁ。
「失礼致します。レイラック様からお手紙が」
このタイミングでお父様からの手紙? ただそれ以上に気になるのは――――何故シャノンの表情が硬いの?
その手紙が今日15歳の誕生日を迎えた私の成人を祝うモノで無かったことに落ち込んでいる暇は無かった。
約一時間後。
「どうぞ」
「失礼致します」
シャノンの案内に従って一晩滞在することになった部屋に入って来た女性。その美しさに目を奪われた私は、立ったまま動くことが出来なかった。……青い髪? 金髪ではなかったの?
「はじめましてレイラ様。シルヴィアンナ・エリントンと申します」
鮮やかな青い髪を縦ロールにした黒いお仕着せ姿の長身の女性が、淑女の礼をとって挨拶した。この屋敷にお忍びで入って来る為に着たのだろうお仕着せは、彼女に全く似合っていない。
あれ?
「エリントン?」
「クリスティアーナ・デュナ・セルドアスと申します」
え!
例の彼女の名を名乗った人は、どう見ても侍女にしか見えない金髪の女性だった。……雰囲気が侍女にしか見えない。シルヴィアンナ様の侍女かと思った。
「貴女がクリスティアーナ様?」
「間違いないッスよ」
私の問いに答えたのは、彼女達の後から部屋に入って来た燕尾服姿の男性。クリスティアーナ様達と一緒にこの屋敷に来たらしい執事のような格好をした彼は、間違いなくルギスタンの近衛騎士だわ。お父様に付いて歩いているところを何度も見たことがある。その彼が言うのなら彼女はクリスティアーナ様なのだろうけれど……。
「レイラ・ドブエル・ルギスタニアです。お目にかかれて光栄ですクリスティアーナ様」
「申し訳ありませんがレイラ様。お話出来る時間が限られておりますので、王族としての正式なご挨拶を申し上げている時間がありません。ここは割愛させて頂いて宜しいでしょうか?」
そもそも、公にはここで会っていないことになっているのだからそれは構わないけれど、いったいどんなお話があってお忍びで王女が滞在する屋敷に来るなんて面倒な真似を?
「はい。結構です」
「ありがとうございます」
「緊張なさっておいでですか? 取り敢えず座りましょう」
緊張してる? ……声が硬すぎるわね。
「……シャノンお茶の用意を。どうぞ」
ダメだわ。意識して余計に硬くなっている。全く話にならないわ。
「失礼致しますわ」
「失礼します」
勧めるままに二人が腰掛けたのを見て、私も座る。たった数歩歩くのに、凄く時間が掛かった気がする。
それにしても……何度見ても侍女としか思えないこの方が、本当にクリスティアーナ様? 確かによくよく見れば、パッチリした碧い瞳にぷっくりとして赤い唇、白い肌。手足は長いし痩せているのに女性らしい身体つき。嫉妬するぐらい綺麗な方だけど、隣のシルヴィアンナ様と比べてしまうと……。容姿にしても纏っている雰囲気にしてもシルヴィアンナ様の方が余程王族みたい。クリスティアーナ様が霞んでいるわ。
「幾ら観察しても人柄までは分かりませんわレイラ様」
無意識にクリスティアーナ様を観察してしまったのね。気を付けないと。
「ごめんなさい」
「いいえ。私も観察してしまいましたからお相子です。レイラック様そっくりの瞳の色をしてらっしゃるのですね。とても綺麗な紫色です」
瞳の色を言うなら、クリスティアーナ様の青い瞳の方が遥かに綺麗だと思うけど……。
「時間がないわ。本題に入りましょう」
「そうですね。先ずはレイラ様。我々はレイラ様にお詫びをせねばなりません」
「お詫びです?」
「はい。レイラ様を利用することになるからです」
利用?
「私に何をしろと?」
「レイラ様には囮になって欲しいのです」
「囮ですか?」
「はい。ゴラの間者がレイラ様の命を狙っています」
ゴラ……ゲルギオス様。同盟を潰す為に私を殺すのは確かに最も効果的。だけど、先のことを考えていない安直な選択だわ。逆にここで私が囮になり暗殺犯を捕らえてゴラに突き出せば、ゴラの交渉は停滞する。
「具体的には何をすれば?」
「予定通り馬車に乗り、ブルノア街道を進んで頂ければ良いだけです。ただ、私達を馬車に乗せて下さい」
「……それだけですか?」
「はい。明日の朝ここを出たら――――」
「分かりました。協力します」
協力というより、こちらが助けて貰う側なのだけれど……。
「レイラ様が決めてしまって良いのかしら?」
今更それを言うの?
「意地悪しないで下さい杏奈さん」
アンナ?
「お父様が承諾していなければ、近衛である彼がここに居る筈がありませんから」
「それもそうね」
雰囲気の話だけど、クリスティアーナ様よりシルヴィアンナ様の方が堂々としていて余程正妃に向いている気がする。
「クリスティアーナ様。一つ訊いても良いでしょうか?」
「はい。お幾つでもどうぞ」
「暗殺犯を捕らえるだけなら貴女が出て来る必要はないと思います。何故わざわざ?」
さっき聞かされたような魔法が本当に使えるのなら、クリスティアーナ様が私と一緒に移動する意義は深い。けれど、それは被害を減らすだけで絶対に必要なモノではない。なのにわざわざ前線に赴いたのは他に理由があるのかと思ったら、
「レイラ様は自分を守る為に誰かが傷付くことに抵抗はないのですか?」
「それは勿論……」
あるけれど、それがわざわざ側妃が前線に赴いた理由なの?
「暗殺部隊がどこでどんな準備をしているか、それすら既に分かっているのに、彼らを捕らえず敢えて襲わせるなんてことをするのは全てこちらの都合です。しかも、犠牲になる可能性が一番高いのはルギスタンの騎士の方々なのです。ならば、ただ後ろから、戦場の外から眺めているだけなんて出来ません。そんなことをしたらセルドアスの名を折ることになります」
セルドアスの名……やっぱり私には大きい気がする。
「でも、普通それは男性の役目ではありませんか?」
「そうですね。クラウド様にもそう言われました。でも今回私は当事者ですから、我が儘を言って出て来ました。それに、あまり大きな声では言えませんが、今回の件でセルドア側で動いているのは皆身内なのです。だから私も動かずにはいられませんでした」
だからって側妃本人が……。
「怖くはないのですか?」
「怖いのは皆一緒です。でも身内を失うのはもっと怖いです。
あ! 大丈夫ですよ。皆屈強な方々ですから明日失敗するなんてことはありません」
失うことを恐れながらも、同じぐらい信頼もしている。彼女の瞳に宿る光はそう雄弁に語っている。私に心配させない為ではなく、本心からそう思っているのだと。
「こういう娘なのよ」
「こういうってどういうですか?」
「自分より他人優先」
「今回のことはただの我が儘だと思いますけど」
……不思議な我が儘。
「毎回そう言ってないかしら? 何でもかんでも自分の所為にするものではないわ」
「何でもかんでもなんて事はありません。今回は私が行くべきだと思ったから来ただけです。それにシルヴィアンナ様だって付いて来たのは私の為でしょう?」
「クラウド様に「護衛」を要請されただけだけど?」
「断ることは出来た筈です」
この2人は親友みたいだけれど、元々の身分を考えたらこんな軽口を叩く間柄に成れる筈がない。不思議な二人。
「ああ、そうだ! 私にお祝いを言われても嬉しくないかもしれませんが、お誕生日おめでとうございますレイラ様」
え?
「唐突過ぎるわよ。少しは流れを考えなさい」
「それで忘れてしまったら元も子もないです」
家族ならその考え方も解るけれど……。
「ありがとうございます。良くご存知でしたね」
「レイラ様がお優しい方で良かったです。まだ決まってはいませんが、これから宜しくお願い致しますね」
丁寧に頭を下げたあと満面に笑みを私に向けたクリスティアーナ様が、隣のシルヴィアンナ様より綺麗に見えたのが錯覚ではないと気付いたのは、翌日、ドレスを着たクリスティアーナ様を見た時のこと。
2015年12月31日まで一日三話更新します。0時8時16時です。それで本編が完結します。




