♯191.対策
学院の外では平民貴族問わず大騒ぎをしていますが、学院自体は至って平常通りです。中には既に爵位を持っている生徒もいますから、そういう方はクラウド様と同じように頻繁に抜け出していますが、普通に授業が行われています。学院生からしたら、今の騒ぎの結果がどうなろうと学院を卒業しなければならないことに変わりはありませんから当然ですね。ただ、今私の居る寮の執務室で行われているのは学院とは全く関連のない陽炎の定期報告です。
神聖帝国ゴラから正式な同盟の申し入れがあって直ぐルギスタン帝国が同盟の条件を変更したお陰で、セルドア貴族達には大きな迷いが生じました。そして、王家がゴラとの同盟に消極的だと伝わると、内政派を中心にセルドアは再びルギスタンとの同盟へと動き始めたのですが……。
「外征派はだいぶ切り崩されているようだな」
「そうみたいだねぇ。若すぎる公爵に年寄り連中を御せる筈はないし仕方がないけどね」
グレイ様もそうでしたが、クロー様も王太子に対して敬語を使う気がありませんね。
「前公爵の影響も少なからず残っているしな。エリアス自身はゲルギオス様に対して「信用ならない奴」と言っていたから大丈夫だろうが」
前公爵のエリオット様は表向き穏便に退場したわけですから、建前上エリアス様はその方針を継承せざるを得ないわけです。それは仕方がないことなのですが、最近どうもエリオット様ご本人がゲルギオス様に近づいているようなのです。妙なことにならなければ良いのですが……。
「父親があんだけ暴走したとなると、息子も――――なんてことはないかな?」
「二、三年前のエリアスなら有り得ただろうが、今のエリアスを見て父親のような暴走をするとは思えない。それに、あの暴走はゴラの息が掛かった者達が、前公爵を煽ったから起きたことだろう?」
それも理由の一つだと思いますが、あの暴走はベルトリーナ様が、奥様がエリオット様から離れてしまったから起きたことだと思いますよ? ベルトリーナ様は普段夫を立てて三歩後ろを歩くような淑やかな女性ですが、その実、手綱はしっかり握っているタイプの方でした。実際のところエリオット様を導いていたのはベルトリーナ様で、別居してしまったことで制御出来なくなってしまった。こんな感じだったのではないでしょうか? 全て推測ですけど。
「まあそうかな。問題になるとしたらやっぱり外征派の年寄り連中だね」
「お祖父様の退官に合わせて上位貴族では世代交代が進んだが、外征派の下位貴族の中にはダガスカスを経験した者もいる。彼らがルギスタンとの同盟に賛成出来ないのは当然だ。私の三倍以上生きている彼らが考え方を変えられるとも思えんし、“そこは”諦める以外ない。まずいのは“実弾”に靡く者がこれ以上増えることだ。全臣議会の流れが変わりかねない」
「ゴラの皇家の悪どいやり口を広めればある程度止まるのでは?」
常に護衛に徹している近衛騎士の副長であるスレイ様が珍しく口を挟みました。礼儀として口を挟まないだけで誰も禁止はしていないのですけどね。
「それは悪手だと思うよ。証拠のない話を下手に流すと「ルギスタンが謂われもない流言を流した」とか言われて、迷っている貴族達がゴラに流れかねない。どっちを信じるかは人それぞれだけど、ダガスカスは歴史の教科書に載っちゃってるしねぇ」
直近で十年前の話ですし、ダガスカス事件以降は大分小さな規模だったそうですが、ルギスタンとセルドアは確かに戦争をしていたのです。その一切を水に流すなんて不可能ですし、セルドア国民がルギスタンに対して疑念を持ってしまうのは仕方がないことでしょう。
「しかし買収工作の資金はゴラの革新派から出ています。早々底を突くなんてことはあり得ません。このまま放って置くのも危険です。何かしら対策は必要でしょう」
「そうは言っても、向こうだってある程度想定してる。仮に現場を抑えたとしても、“それ”が、ゴラによるモノなのか、ルギスタンによるモノなのか、判らないように対策ぐらい取ってると思うよ」
“証拠”が用意されていてルギスタンが濡れ衣を着せられてしまうなんてことに成ったら最悪です。下手な噂話は逆効果でしょう。
「難しいな。なんとかしてゲルギオス様の動きを止める。制限する方法は無いか……」
小さく呟いたクラウド様が黙ってしまうと、暫しの静寂が訪れました。皆が真剣に考え込んでいるその沈黙を破ったのは――――
「ゲルギオス様の行動を制限するのは難しいと思いますが、ルギスタンにより積極的に同盟へと動いて貰うことは出来るのではないでしょうか?」
私です。
「ルギスタンに? これ以上の譲歩は有り得ないし、何かしら策でもあるのか?」
ブローフ平原の全域をセルドア領とすることが同盟の条件として盛り込まれたのですから、これ以上の譲歩なんてあるはずがありません。
「――――様にエルノアに来て頂ければ、ルギスタンに対する信頼はかなり大きくなると思います」
私のこの思い付きが及ぼした影響は、想像以上に大きいモノでした。
「何故ティアが行く必要がある!」
クラウド様に反対されるのは当然ですが、これは譲れません。何より私が提案したことでこんな事態に至ったのですから。
「他国の王族の女性が来訪した時セルドアス家の女性が迎えに出るのは当たり前のことではないですか」
「ティアが行く理由になってない。王族女性の迎えに出るのは本来王弟の正妻の役割だ。名代で側妃やその他の正妻が出ることが多いが、ティアは今次期王后の地位にあるんだ。それこそ、叔父上達の妃で良い。適任者はティアではない」
いえクラウド様。今回は私が適任者です。
「当事者である私が奥に引っ込んでいて前線に赴かないなんてセルドアスの名を折ることになります。私が出迎えるのが筋です」
「それは男の話だ。女に対してそんなことを言う輩なんて無視すれば良い」
「その論理が通用するのは女が口を出していないからです。今回は私が出しゃばったからこうなったのですよ?」
後宮に於ける正妃の権限が幾ら大きかろうとも、一歩外へ出てしまえばそこに広がっているのは男性社会で、正妃といえども発言力がありません。唯一の例外と言えるのが王や太子に付いている侍女ですが、彼女達でも公の場での発言権は皆無と言えます。なんて言いつつ私は重臣会議で発言しましたね。あれはかなり特殊ですけど。正に私の話がされていたわけですし、側妃が侍女をやっていること自体が前代未聞ですからね。
「出しゃばったって……。ティアが言い出さなくとも誰かしらが提案した可能性は十分ある。責任を感じる必要はない」
「今回の件で一番動いているのは私の義理の従兄のクロー様ですし、予備戦力として動くのはルアン伯爵騎士です。エリントンの密偵にも手伝ってもらっているわけですし、私の身内が沢山前線に赴くことになるのに黙って見ているだけなんてできません。
それに、作戦上出迎えには誰かしらが出なくてはいけないのですから、妃の中で一番魔法に長けた私が出向くのが必定です。あの魔法を使えるのは私だけですし」
そういう意味でも私が適任なのです。
「陽炎は選び抜かれた精鋭達だ。ティアの援護が無くても十分成功する」
「絶対はありません。成功率は少しでも上げるべきです」
「――魔法だけだぞ」
え?
「――魔法を使うだけで、絶対に前には出るな」
心配なのは解りますが、私だって自分の命を投げ出すようなことをしたいわけではありませんよ?
「はい」
「……まあ良い」
不満気な赤い瞳を覗き込みながらはっきり返事をすると、仏頂面の太子様にホンの少しだけ笑みが見えました。
「ああ、そうだ。シルヴィアンナにティアの護衛を頼むか」
はい?
「女性の護衛なら後宮武官やリーレイヌ様が居るではありませんか。それに、そんな無茶苦茶な話を受けてくれるとは思えません」
杏奈さん本人は兎も角公爵様が断る筈です。
「あちらの都合で“退席させられない者”でないと護衛にならない。学院を卒業したシルヴィアンナなら時間は幾らでもある」
それは解りますが……無茶苦茶ですクラウド様。




