#182.とある間者の焦り
とある間者再登場です
太子がクリスティアーナを正妃扱いしたことで、ビルガー公の目が外征派の貴族から逸れた。これ幸いに、兼ねてから切り崩しを目論んでいた奴らの一部をこちらに引き込むことに成功し、上手く立ち回ってビルガー公を焦れさせた。お陰で同盟交渉が停滞してくれた。
ここまでは完璧だったんだ。
だが、シルヴィアンナの再登場で再びビルガー公の目が逸れた隙に、こちらが引き込んだ外征派の貴族四人全員が、それぞれ退場に追い込まれた。その理由は、病気になったり不正が発覚したり代替わりしたり失踪したりそれぞれだが、四人が四人共同時期に中央から消えるなんて偶然は有り得ない。これは間違いなく、
「「お前らのことは知っているぞ」っいう奴らのメッセージだろう? これ以上は危険過ぎる。今すぐ引き上げるべきだ」
「何度も言わせるな。お前の判断は必要ない。我らは事実を報告するだけ。判断をするのは職務上許されていない」
「許されていないってお前状況を考えろよ! 死にてぇのか!」
「それが本国の命令ならば我らはそれに殉じる義務がある」
ダメだコイツ。全く話になんねぇ。本気で逃げることを考えねえとな。コイツから。
「……だったらどうするってんだよ」
「新しいビルガー公爵を探れ」
「んな悠長なこと言ってられる状況じゃねえだろ! 四人が退場したのとほぼ同時にビルガー公爵は代替わりしたんだぞ。んなこと出来んのは王家だけ。詰まり全部仕組まれてたってことだろうが。公爵の代替わりが穏便だったてのも怪しさ満点だ」
最有力だった正妃候補の再登場で、ビルガー公爵を含めた貴族達の目をシルヴィアンナと太子に引き付けておいて、その間に此方に引き込んだ四人と前ビルガー公の退場の準備を整える。単純に、ビルガー公の気を逸らす為だと思えたその行動が、セルドアの貴族と俺達の目をシルヴィアンナに集中させる為だったとしたら、こっちは完全に嵌められたってことだ。四人を退場させる為に誰が動いていたのかは良くわかんねえが、悠長に新しいビルガー公爵を探っている暇なんてねぇ。俺達がやるとしたら、一か八かの賭けに出るか、逃げ出すかのどっちかだ。
「王家が我らに感付いていようと、事実は全て報告せねばならん。状況が変わったのならそれを正確に調べて報告する。それが我らの仕事だ。
そして今の本国の指示は同盟を潰せる要素を探すこと。ならばビルガー公爵を調べるのは当然。若いビルガー公爵が交渉の中心になるとは限らんが、王家がビルガー公爵家を無視出来ないのは今までの推移を見ていても明らかだ」
「……お前。自分で何言ってんのか解ってっか? バレたって報告を本国にするってことだぞ」
「当然だ」
今日中に逃げる算段を整えねえとな。俺の痕跡を根刮ぎ消して本国以外の場所逃げる。いや、この場合――――
「……新しいビルガー公爵が王家の思惑通り動いていたとしたら同盟は止まらねえ。ビルガー公爵どうのこうのよりセルドアの王族やルギスタンの皇太子を探った方が効果的なんじゃねえか?」
うちの伯爵でも良いが新興伯爵じゃやっぱり弱いし、どこに行こうが殺される可能性があるんだから、逃げるなら力のある奴のところに逃げた方が良い。
「王族の警護は厳重だ。簡単には近付けん。学院に居る太子にすら碌に接触出来ていない」
それは“奴”が俺と同じで本国を見限る気だからだろう? というか、疾うに見限っている可能性もあるだろうよ。何しろ、平民としてセルドアに潜り込んで王国騎士になって三十年近く経つんだろ? それで本国に忠誠を尽くしてるなんて方が異常だぜ?
「じゃあビルガー公を探れば良いんだな」
「そうだ。勝手な判断はするな。動きがあったら随時報告しろ」
「分かった」
翌日。
あの融通の利かない馬鹿程ではないが、これでもそこそこ腕は立つ。だからヘイブス家に騎士として採用されて諜報員なんて真似が出来ているわけだが……。
ルアン家はヘイブス家に雇われていた奴らを一旦全員雇った。その後二ヶ月実質放置されていた俺達だが、昨日になってルアン家による身辺調査が始まった。
これもエリオット・ビルガーを退場させた王家の思惑を汲む一連の流れの一部だとしたら、俺はヤバい。本国との関係までは簡単にバレはしないだろうが、俺の経歴を詳しく調べられたら間者である疑いは直ぐに出て来る。
金は殆んど持ってなかったし無理があったが、昨日屋敷に帰らずにそのまま逃げ出すべきだった。まさか、噂の嫡子本人が元のヘイブスの王都屋敷にまで乗り込んで来て大々的に調査を始めるとは全く思って無かった。しかも、子爵家の頃からの部下に俺達の監視までさせてるし……。
「平騎士のドミニクだな」
「はい」
昨日から缶詰めにされている屋敷内の騎士宿舎の一室。一人で使うには広いその自分の部屋の扉が開き、名前が、偽名が呼ばれ、俺は素直に返事をした。
「レイノルド様がお呼びだ。付いて来い」
来たか。
「承知しました」
俺は武器も何も持っていない。しかし、呼びに来た騎士二人は完全武装だ。どう考えても逃げようがない。無抵抗にその指示に従った俺は、そんな二人に挟まれる形で歩き始めた。向かう先は本館のようだ。
「何故突然こんなことが始まったんですかね?」
歩きながら質問すると、
「詳しくは知らんが、普通ならこんだけ大掛かりにやる必要はない。何かしら狙いがあるのは間違いないだろうよ」
案外口が軽いな。
「昨日から考えるともう直ぐ一日ですよね。俺まで順番が回って来るまでかなりの人数の話を訊いたんでしょう? その中には何にも無かったってことですかね?」
「いや、何人か解雇が決定したようだぞ。お前もレイノルド様の不興を買うと解雇される可能性は充分ある。騎士を続けたいなら下手なことはしない方が身のためだ」
早々にベイク執事長を味方に付けて身辺調査をしていることは宿舎に伝わって来たが……仮採用を本採用にする為に嫡子本人が出張ったなんてことねえよな?
そんな会話をしながら二人の騎士に連れられて赴いたのは、嫡子用の執務室だった。上位貴族の屋敷らしい重厚な扉を開け、正面に見えた豪奢な執務机。その向こう側のこれまた豪奢な椅子に腰掛けていたのは、穏和な雰囲気の整った顔立ちの若い男。遠目にしか見たことが無かったが、この男はルアン伯爵家の嫡子、レイノルド・ルアンだ。ただ、執務机の横に静かに立っている老齢の男の方が俺には気になった。
色の抜けた白い髪に同じく白い髭。それは年齢相応だが、背筋を伸ばし燕尾服を着て立つその姿は、控えめで慎ましい在るべき執事の姿だ。ベイト家の使用人だったとは思えないその男は――――
「この方がドミニクさんで間違いありませんか?」
「はい。間違いございませぬ」
ベイク執事長。王家のヘイブス家糾弾に於いて、役が付いていた使用人の中で唯一逮捕を免れた彼は、残った使用人は勿論、俺達騎士の纏め役でもあった。そんなベイク執事長が協力していると聞いて半信半疑だったが、これは間違いない。しかも、彼は恐らく俺に警戒心を持っていた。ヘイブス伯は彼の忠言に耳を貸すような人間では無かったから助かったが、そうでなければ俺は疾うに解雇、いや、捕まっていても不思議ではない。だからこの状況は非常にマズイ。
「ドミニクさん。今回の件で全権を任されているレイノルド・ルアンです。私の質問には出来るだけ嘘偽り無く答えて下さい。そうすれば私があなたを解雇することはありません」
「はっ」
実直そうな男だ。これなら与し易いかもしれない。いや、ベイク執事長はそう簡単に誤魔化せない。俺に不審なところがあれば直ぐに突いて来るだろう。それに俺の後ろには騎士二人が付いたままだ。普通こういう場面で騎士は口出ししないが、コイツらが何かしら言って来る可能性も否定出来ない。
なんにしても、最低限ベイク執事長を退室させてからだな。レイノルドを懐柔出来れば俺にもまだ運が残っているということだ。
「ドミニクさん。私は持って廻った言い回しは苦手なので単刀直入にお訊きします」
「はあ……?」
いきなり本題ということか? 貴族らしくないな。というか、「神童」なんて呼ばれた面影は全く見えない。まあそれは子供の頃の話で、コイツに対する評価は今、天才より秀才が一般的だ。
「あなたが今受けている指令は何ですか?」
は!?
「あなたがドセの森の樵小屋で昨日受けた指令は何ですか?」
……ドセの森ってあの小屋のある森じゃねえか。全部バレバレかよ。
「お訊きしていることの意味はお解りの筈です。まさか、あの四人をわざわざ同時に処分した理由を気付いていないなんてことはないでしょう? あなたが今受けている指令を詳細に教えて下さい」
俺が返事をしないと見ると、レイノルドは重ねて質問した
「……それを話して俺はどうなる?」
どうせ逃げられねぇなら、最低限の交渉ぐらいしねえとな。
「先程言った通り、正直に話してくれれば私があなたを解雇することはありません。ただ、行く行くは辞表を出して貰ってランバ島にでも旅立つことになると思います。慰労金ぐらいは用意出来るでしょうね」
暫く騎士を続けろって要は、
「二重間者に成れってことか?」
「貴方に選択権がないことぐらいお解りですよね?」
セルドアでも間諜罪は死刑だ。立証出来なくとも殺される可能性は低くない。それを知らないとは思えないが、コイツは全く淀むことなく俺を脅しやがった。想像以上のキレ者かもしんねえな。
「答える前に一つだけ訊きたい。あんたの後ろに居るのは王家か?」
「他に誰がこんなことが出来ると思いますか? というか、早々に逃げ出してくれればこんな面倒なことはしないで済んだのです」
やっぱりメッセージだったのか。しかも、余裕綽々で逃がす気だったらしい。これはもう俺達が何人居てどこに潜伏しているかまで見当が付いているだろうな。
「新しい公爵を探れ。俺が今受けている指示はそれだけだ」
「詳細は?」
「ない。俺に丸投げだ」
「では、魔法学院に入り込んだあなたの仲間を教えて下さい。それから、あなた方が――――からどんな指令を受けて動いているのかも」
本国のことまで全部バレてやがる。
2015年十二月中は毎日午前六時と午後六時の更新を“予定”しています。




