#17.幼稚な淑女
最後にそっと金髪の少女を覗き見たその瞳に浮かんだのは、不安と矜持。その割合は8対2かはたまた7対3か。どちらにせよ不安が勝っているのは、果たして無理からぬことなのだろうか? まだあどけない顔には淑女の麗しい微笑みを浮かべながらも、その琥珀色の瞳に浮かぶ胸の内まで誤魔化すことは出来ていない淑女を目指す健気な少女には。
いいや、訓練の期間が4か月である事を考えればそれは、彼女の素質故の充分な成果と言えるのかもしれない。それにこれはホンの一歩。彼女がその生をどう受け止めるか、そのホンの小さな始まりの一歩に過ぎない。終わりの時はまだまだ先のこと。
この結果、何が起きたとしても。
ここ4か月手入れを怠っていないユルくフワッとした桃色の髪を揺らす彼女は、周りの動きを気にも止めずに目の前に立った。他ならね自分を虐げた人間の。
そして手を差し出す。堂々と、優雅に、それでいて淑やかに。目の前の人物が驚き目を見開いた時、彼女はその蠱惑的な赤い唇から涼やかな高い声を響かせる。ダンスホールと言う名の教室の、隅から隅にまで。
「リシュタリカ様────」
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お姉様が4ヶ月程掛けて「女研き」している裏で、私はリシュタリカ様を探っていたわけですが・・・正直に言いましょう。
リシュタリカ様は思ったより子供でした。
まあ、他の牡丹組の方よりは大人なんですが、同じ学年のお兄様を見慣れている私には、どうにも幼稚に見える部分がちょこちょこありましたね。
一番はその考え方です。
リシュタリカ様は周り見る能力もあれば、近くに居る人を操る術も心得ているのですが、その行動理念となっているのが……。
例えばグループ(取り巻き)の一人がリシュタリカ様に対して少し口答えをすると「私は伯爵令嬢なのだと言っているでしょう? 何回言えば解るの?」と本気で怒ったりします。
また、平民出身のクラスメイトが、彼女の前を横切るなど市井では許されないことをすると「何故平民を採用しているのか疑問だわ。自らの分を弁えない子供を入れて何になるのかしら」と首を傾げたりします。
普段の彼女は寧ろ大人なのです。年相応のかしましさのない、悪く言えば計算高い人なので、こういう発言をされて驚きました。まあ選民意識が高いだけと言えばその通りかもしれませんが、この時私はリシュタリカ様の“底の浅さ”を感じていました。なんと言いますか「本人の考えで発言していない」そんな印象を受けたのです。
その話を一通りエミーリア様にしてみたら「良く分かりましたね」と微笑んでおられました。知っていたなら教えて下さい!
あ、因みにエミーリア様は私の座学の講師をして下さることがあるので時折顔を合わせます。女官長って暇な時期は仕事がないみたいですね。
話を戻しましょう。エミーリア様曰く、リシュタリカ様は「自分の世界以外見ないように育てられた令嬢」だそうです。これだけ聞くと只の箱入り娘ですが、リシュタリカ様の場合ヘイブス伯爵家の特性とハイダルタル皇家の血筋が合わさって特筆して箱入り度合いが高まったようですね。幸い我が儘な性格ではなかったようなので、淑女としては外見上立派になったようですが……。
え? 今の話ではミーティアお姉様を虐げている理由が解らない?
はい。一番問題なのがそこです。リシュタリカ様は、本当に自分の目に見える範囲限定ですが、空気を読む能力には長けています。それから周囲の人間を動かす術も持っています。まあこれは本人ではなく伯爵家の力ですが……。
そんなリシュタリカ様なのですが、彼女、イタズラ好きなのです。
え? だから、イタズラ好きなのです。
具体的には、熱湯でお茶を淹れて早く飲むように促したり、平民出身のクラスメイトにダンスのパートナーを申し込んで困らせたり、挙げ句わざと転んで顔面蒼白にさせたり。普通のイタズラではありませんが、可愛いモノです。
ただ、その人やクラスへの影響は考えられても、その背景にあるモノのことまでは考えられないようで、平民出身の先輩侍女にまでイタズラを仕掛けたりしたそうです。それは周りの反応を見て止めたようですけど……。
リシュタリカ様にしてみたら、お姉様にしていることもその領域を出ないことなのかもしれません。あれは広い意味でのイタズラで、周りが強く言わないので自分のやっていることの本当の影響に気付いていない。そんな状況なのかもしれませんね。
とは言え、何か言って止まるとも限りませんし、虐げられていると言えるのは実質お姉様だけです。大きな問題を起こしていないリシュタリカ様に下手な事をして、伯爵家に出て来られたらもっと面倒です。後宮としても扱い難いのでしょう。
リシュタリカ様は、成績も優秀で淑女としての振る舞いも洗練されたモノがあります。加えて選民意識の強い上位貴族でも特殊なヘイブス家出身で、更には隣国の皇家の血筋。こう羅列するだけでも下位貴族が中心の後宮官僚では扱い難い人なのが解ります。
だからと言って放って置く訳にはいかないエミーリア様は、根っから悪人でないリシュタリカ様をどうにか更生したいようです。自分でその嗜虐的な性格を直せるなら何の問題も無いのですが、それは無理でしょうし、後宮もなかなか直接は動けないようで……。まあ、私が解決すべき問題ではないので――そこまですると出しゃばりなので――私はお姉様に集中することにしました。
リシュタリカ様関係無しにお姉様は色々と勿体ないのです。髪もキチンとお手入れしていなかったですし、弱気な性格が普段の振る舞いに出ているので、それが本来の美しさを半減させていますからね。
しかもこの半年でだいぶ背も伸びて身体つきも女性らしくなって来たので、勿体なさも倍増です。成長期にしっかりケアをして置かないと後が大変ですしね。そうです。お肌の大敵紫外線。何としてもあの白い肌を防備しなければ。
え? 結局出しゃばり?
お姉様は友達です! それにお姉様は自信がないから表に出さないだけで、上昇志向の強い方だと思いますよ? 出世とは方向性が違うとは思いますが、自分を高めたいと思うタイプですかね。
それに、前世の私に……止めましょう。ネガティブな過去の記憶を掘り起こしても意味は有りません。
そんなわけで「女研き」開始から四か月程経ったある日、私が提案したある作戦が実行に移されました。
題して「笑顔で落とせリシュタリカ様作戦」決行です。
「リシュタリカ様。わたくしとパートナーを組んで頂けませんか?」
クラスメイト達を無視して少し強引にリシュタリカ様の眼前に立ったお姉様が、淑女の微笑みを浮かべながら優雅な動作で手を差し出します。タイミングも完璧で、声はホールに響きましたし、皆が注目しましたよ?
緊張しているでしょうが根性ですお姉様!
リシュタリカ様はいつも、子爵令嬢のリーレイヌ・ゼオン様とパートナーをお組みになるのですが、ダンス講師のクロエ様は今日「出来ればいつもと違う人と組んで下さい」と仰いましたから、リシュタリカ様の動きが遅れたのです。
え? 当然作戦です。クロエ様だって苦々しく思っていたのでしょう。協力的でした。
「……わたくしはリーレイヌ様と踊るから他を当たってくれるかしら?」
「クロエ様は出来ればいつもと違う方と組むように仰いましたわ。わたくしではご不満ですか?」
「不満な――」
戸惑いながらも拒否したリシュタリカ様ですが、お姉様の畳み掛けるような言葉に動揺を見せ、言葉を詰まらせます。いいですよ。順調ですお姉様。
「不満なわけではないわ。でも、貴女とわたくしでは吊り合わないでしょう? 実際こ「僭越ながらリシュタリカ様。ダッツマンは子爵家の中でも家格が最も高い部類に属します。勿論ヘイブス伯爵家には遠く及びはしませんが、この牡丹組でリシュタリカ様の次に家格の高い家から来たのはわたくしです」」
リシュタリカ様はきっと身長の事を言いたかったのでしょうけれど、お姉様に遮るように返されて言い澱んでしまいました。そもそも、お姉様はこの半年でクラスの平均身長に追い付きましたので、それを言ってしまうとリーレイヌ様とも組めなくなりますよ?
お姉様は先程と同じように優雅に手を差し出し、淑やかな微笑みを作って言います。
「リシュタリカ様。わたくしとパートナーを組んで頂けませんか?」
次回 2015/09/24 12時更新予定です。




