#178.密約
「それで、正妃争いが再開したと見せたくて、わたくしを巻き込んだわけ?」
「シルヴィアンナを引っ張り出しただけでは余計に刺激するだけでビルガー公は更に孤立する。正妃が決まっていないと印象付けるなら貴女に出て来て貰う他ない」
「巻き込んでしまってご免なさいリシュタリカ様」
「クリスに文句を言う積もりはないけれど、ビルガー公にも困り者ね」
シルヴィアンナ様に“招かれた”クラウド様が、エリントン公爵家の王都屋敷を訪れた翌日、クラウド様はシルヴィアンナ様とリシュタリカ様をお茶に招きました。
いえ、お茶会に招いたのではありません。お茶に招いたのです。詰まり、場所こそ王宮の迎賓区ですが、今日のこの会合は社交ではなくプライベートだということです。
「幸いこの二ヶ月程クラウド様はクリスティアーナ様を伴って社交には出てはいないのですから、クラウド様がわたくし達に接触しているとなれば、正妃争いが再開したと貴族に思わせるのは簡単ですわ。しかも、お茶会ではなくお茶に招かれたとなれば、どんな裏があるのか探るのも難しいですわね」
「貴女はそれでいいわけ?」
「わたくしはクリスティアーナ様に受けた恩を返したいだけですわリシュタリカ様」
恩も何も大したことはしていませんよ杏奈さん。
「関係ないですが、シルヴィアンナ様に「様」と呼ばれるのは違和感があるのですけど」
「貴女は王太子の側妃ですわクリスティアーナ様。それに貴女は「様」と呼ぶのにわたくしには呼ぶなと言うの?」
悪戯っぽく話した杏奈さんです。
「リシュタリカ様もクリスと呼んでくれますから、ここではクリスと呼んで下さい」
「呼び方なんてどうでも良いのではなくて? それより、これでビルガー公を抑えられるわけ?」
リシュタリカ様はクラウド様に質問しました。
「シルヴィアンナを巻き込んで目を逸らす方法は何度も使ったからな、ビルガー公を抑えるのは無理だ。だが時間稼ぎにはなる」
「貴女とレイノルド様の仲をあれだけ大々的に発表してしまったのに時間稼ぎになるわけ? 最初から疑いの目を向けられるわよ」
向日葵殿の大階段を一緒に降りて来たわけですからね。ただ、とある理由でシルヴィアンナ様とレイノルド様は婚約には至っていないのです。だからこの作戦に説得力が無いとは言えません。
「貴族達は必ずこの真偽を気にしますわ。その時間だけでこと足りる。そうでしたわねクラウド様」
シルヴィアンナ様がクラウド様に話を振ると、
「ああ、それで充分準備は整う」
クラウド様は即答しました。
「準備?」
「とっても興味はあるのですけど、わたくしにも何の準備をしているのか教えて下さいませんの。ヒントぐらい下さいませんか?」
シルヴィアンナ様には、厳密にはエリントン家には「大陸の未来の為」とお願いしましたからね。私達が何を企んでいるかは知らせていないのです。エリントン家に不利益はありませんが、王家として借りを作ったのは間違いありませんね。
「ヒントと言われてもな。私達の役目は目眩まし。裏で動いている人間から目を逸らすだけで、そのうち答えが出る。先に教えて構わないが大して意味はないだろう」
「詰まり、貴族達の目を、いえ、ビルガー公の目を同盟から逸らすのがわたくし達の役割ということかしら?」
流石に鋭いですね杏奈さん。
「まあそういうことだ。このまま暴走させておくわけにもいかんし、かといってビルガー公爵を今外務大臣の席から下ろすわけにもいかない。ルギスタンがクランク様を皇太子としなかったのと同じで、“同盟の為に”国を動かすわけにはいかないからな」
「今の王家は強いわ。孤立しつつあるビルガー公爵家と敵対することが大きな痛手になるとは思えないけど?」
「それは平時の話だ。今は内に火種があれば付け入られる。ビルガー公爵家程大きな家と正面から対峙することは出来ない」
ビルガー公爵家とヘイブス伯爵家では比べ物に成りませんからね。罪状があるわけではありませんし、そうでなくても二つしかない公爵家の片方の影響力を削ぐなんて元々不可能に近いモノがあります。
「それで、ビルガー公爵の影響力を交渉から排除したとして、同盟はどう進めるのかしら?」
杏奈さんは何かを察したようです。
「……叔父上が中心に成って進めるしかないだろうな。外務省の官吏から反発はあるだろうが、ビルガー公の暴走には彼らも困惑している。正面から反発するのは一部で済むだろう。切り崩された奴らには退場願うわけだしな」
クラウド様。言い過ぎではありませんか?
「切り崩し?」
リシュタリカ様は理解してないみたいですけど、
「どれぐらいいらっしゃるの?」
杏奈さんはばっちり理解しているみたいですね。
「片手で足りる。奴らもそう多くはないからな」
「熱心に活動してらっしゃるのは聞いていたけれど、探るだけでなくてそんなこともしてらしたのね」
黒い笑みを浮かべているシルヴィアンナ様は女王様らしい風格を宿しています。
「はあ〜。エリントンの“影”はそんなことまで掴んでいるのか」
「あの方々は分かり易いと父が申していましたわ」
密偵が居ることを隠さないのですね杏奈さん。マリア様退場にも一役買ったようですし、エリントン家の密偵部隊は国内に関して「陽炎」以上の情報収集力があると言われていますから、“彼ら”のことを掴んでいても不思議ではありません。
「ならもう“諦めて”クオルス様に協力して貰うか」
「わたくしから話すのは構いませんが、父はわたくしと違って義理だけでは動きませんわ。利益を保証出来まして?」
「保証は無理だな。だが成功報酬なら約束しよう」
私とリシュタリカ様が部外者な会話になってしまいましたね。
「具体的には?」
「ブロッヘル山地を内政派に預ける」
「また伯爵位を内政派に? それは割りに合わないのではありませんか?」
ブロッヘル山地はブローフ平原の西の丘陵地帯で、今は王領です。同盟が結ばれれば平原は王家の直轄地となりますから、ブロッヘル山地は伯爵領として国内の貴族に統治を任せることになるのです。詰まり、伯爵家が一つ増えるのです。
「いや、そうなると旧ヘイブス領をマーダソンに預けることになる」
「ヘイブス領? ……ルアン家をブロッヘルに?」
「不服か?」
玲君と杏奈さんが結婚することが前提の質問ですね。
「レイノルドを買い被り過ぎではありませんか? 実務の優秀さは認めますが、人望に優れているとは言えませんわ」
ブロッヘル山地は丘陵地帯ですから不便な面もありますが、戦場の直ぐ近くということで開発の進んでいない鉱山が幾つも在りますし、同盟の締結で平原の開拓が進むことを考えればこれから非常に重要となる場所なのです。クラウド様はそこを玲君に任せる積もりのようですね。
「そこは貴女の出番だ」
外征派の誰かが聞いていたら昨日と今日のお茶の時間が無意味になる発言ですね。
「さっきの話ではビルガー公を無力化すると言っていたような気がするのだけど? マーダソンを伯爵にするということは、外征派に、ビルガーに功を立てさせるのかしら?」
リシュタリカ様が割り込みました。やっと二人に追い付けたようです。
「そうなるな。同盟を結んだのがビルガーという事実は今後必要なことだ。同時にセルドアスの権威が衰えていないと示すことが出来るしな」
「エリントンには実利で充分と?」
「クオルス様はそういう方だろう?」
確かにそういう印象の方ですね。
「なんにしても、少しの間目を逸らす必要がある。二人共宜しく頼む」
「大陸の平和まで考えなければいけないセルドアの正妃なんて成りたくないし、仕方がないわね」
「でも誰かがならなければいけませんよ。私も正妃を望んでいるわけではありませんし」
「クリスティアーナ様はクラウド様が好きなだけだものね」
「引き受けようとしているだけで充分よ。クリス以外にクラウド様と並んで立てる女なんかいないわ」
正妃候補が集められたお茶の時間は、軽く頭を下げたクラウド様をほぼ無視して、そのまま――――
「クリスは結局クラウド様と一緒に居られれば良いわけでしょう?」
「そうですけど、正妃様に嫌われたりしたらそれはそれで大変ですから」
「藍菜が嫌われるとは思わないけどなぁ」
「マリア様みたいな方もいますから」
女子会へと変貌を遂げていました。
「マリア様ね。二回しか会ったことがないけれど、あれほど男好きの女も珍しいわ。あれはどうしようもなく欲の深い女ね」
「二回しか会っていないのに良く分かりますねリシュタリカ様」
「目が違うのよ。あれは欲求の抑えられないって目で男を物色していたわ。影で何人の男と同衾していたのかしらねぇ」
……笑顔が黒いですよリシュタリカ様。殆ど関わったことがないマリア様に対して何故その笑みが浮かんで来るのでしょうか?
「貴族だろうが平民だろうが、女が話題にするのは同じようだな」
暫く黙っていたクラウド様がポロッと漏らしました。
「当たり前ですわ。色恋の話より楽しいことがありまして?」
「クラウド様も後宮で暮らしていた時はそういう話ばかり耳にしていた筈ですわ」
「クラウド様も寝室ではそんな話しかしないではないですか」
それ以外の話をすると怒りますよね?
「それは無しだティア」
2015年十二月中は毎日午前六時と午後六時の更新を“予定”しています。




