#16.輝きなさい
「クロエ様。ミーティア様のパートナーがいらっしゃらないわ。誰かいない? ミーティア様だってダンスの練習がしたいでしょう?」
少しつり上がった猫目を細めて、ウェーブの掛かったオレンジ色の髪を靡かせて、彼女は優雅に振る舞います。ゆったりした腕の動きで、ホールを見渡すその表情で、真剣にクラスメイトの心配しているように。悲哀に満ちたその声も彼女の本意を隠すには打ってつけと言えるでしょう。まったく相反する蔑むような瞳で桃色の髪のあの人を見ながら、優雅に振る舞う彼女の本心を隠すには。
「誰もいないなら仕方がないわね。今日は見学していて下さるかしら?」
他の令嬢達は動けません。一部は彼女の意図通りに、大半は彼女の雰囲気や家柄に呑まれて。
自分が優越感に浸りたいだけとしか思えないその行為が、この半年以上に渡って繰り返されているのは、クラスの誰でも知っています。しかし、
「クロエ様。私は少し体調が悪いので見学させて下さい」
「そうですか、お大事にね」
不幸なことにダンス教室の講師クロエ様は女官次長補ではありますが平民出身です。教師陣も気付き始めたその行為を今止める人はいません。相手は、前例の殆どない伯爵令嬢の侍女見習い。そうでなくても扱い難いヘイブス家。その直系のリシュタリカ様です。明確に問題行動を起こしていない彼女に対して何か出来る人の方が少ないでしょう。
嫌な空気が漂うダンス教室は、ミーティア様を放置したまま終わってしまいました。せめて私がもう少し背があれば練習相手になったのですが……リシュタリカ様は強かですからね。毎回はやらないし、あからさまに相手を非難したりもしないんですよね。
ただ、ここはやっぱり敵をどうのこうのより、こちらから仕掛ける方が賢明です。
ふふ。素材的には申し分ないですからね。鍛え甲斐があります。まあ大人の力も少し借りましょう。私では力不足ですし、下手をするとヘイブス家を敵に回してしまいます。それは得策ではないでしょう。
お母様がいらっしゃれば申し分ないのですが、先ずはエミーリア様に協力を仰ぎましょう。そしてレイテシア様ですね。
幸いリシュタリカ様は王弟殿下の側妃アンジェリカ様付きですから、そこはこちらにアドバンテージがありますし、勝率は低くない筈です。そもそも、アンジェリカ様は救済措置で側妃となった平民出身の方ですから、まともな人間関係が築けているかが疑問ですが。
「クリスちゃんどうしたの?」
夕食後、机を並べて今日の課題に取り組んでいるミーティア様と私。手が止まっていることに気付いたのでしょう。ミーティア様が私の顔を覗き込んで来ました。
「考えを事していたのですお姉様」
はい。呼び名が変わる程仲良くなったのです。「さん」と呼ぶのも抵抗が有ったので思い切ってお姉様呼びをさせて頂きました。最初は恥ずかしがっていたミーティア様ですが、呼び続けて陥落させました。
あ、考えてみたら本当のお義姉様になる可能性もありますね。お兄様と同級生ですし、二人とも魔法学院への入学を予定しています。きっと絵になります。眼福です。
「考え事? 座学で解らないことでもあったなら、教えられると思うよ?」
「いいえ! 違いますお姉様!」
私は語調を強めてにじりより、お姉様の白く小さな――私の方が小さいですが――両手をガッチリ掴みます。驚き数瞬硬直したお姉様は、その琥珀色のクリッとしたお目目を何度も何度もパチクリさせます。やっぱり可愛いです。小動物系です。儚げです。癒しです。
「お姉様! 侍女見習いを勤めあげたいですか?」
お姉様は私のその唐突な質問に、
「はい。最後まで頑張りたいです」
覇気のある声で明確な返事を下さいました。見かけによらず芯の強いしっかりした人なんですよねお姉様は。
ただ、牡丹組では気弱な部分しか表に出てないのがいけないのです。もっと言えば、空気を読んで相手に、クラスの空気に合わせてしまうのが現状の問題と言えるでしょう。そう考えれば、自分に自信を持てばお姉様は化けます。間違いなく。
だってこんなに可愛いんですから。
リシュタリカ様の対応に頭を悩ませていた女官長エミーリア様は私とお姉様の訪問に驚きその提案を快諾して下さいました。提案した内容は非常に単純で「お姉様の女研きを手伝って欲しい」というモノです。
正確には「自信を持てるように色々頑張ってみたいから協力して欲しい」ですが、兎に角、相手を貶めるのではなく、自分を磨きたいという少女の願い。そんな純粋で健気な想いに応えてくれる方がこの後宮には沢山おられました。
先ずは普段の生活から見直そうと始まったお姉様の「女研き」時に優しく、時に厳しく、お姉様は美しく研かれて行きました。
最初はナビス様に、
「先ずは挨拶ね。侍女の連絡会でも授業の時でも丁寧にはっきり挨拶すること。相手が返してくれなくてもし続けることが大事よ。そのうち相手が折れて来るわ」
続いてポーラ様。
「笑顔は大事ですよ。それだけで相手は自分に対して親近感を持ってくれることも多いのですから」
レイテシア様は、
「小さいなら小さいなりに愛らしく振る舞うの。相手に媚びるのはダメ。でも上から見ようとしてもダメよ。自分と相手は対等なんだって思うことから始めなきゃ。そうね。気持ちで負けたら負けよ」
エミーリア様は、
「背筋が曲がっている時は自分の気持ちも曲がっている時です。そんな人と対等な付き合いをしたいと思う人はいません。姿勢の正しさは心の正しさと同義だと思いなさい」
こんな人も、
「自分に出来る仕事を毎日しっかりこなしているだけで、誰かが必ず見てくれているものだと思います。それが庭師の遣り甲斐ですかね。実際正妃様やレイテシア様、女官長様なんかはちゃんと見てくれますよ」
またはこんな人も、
「私達後宮武官は仕事がないことが一番の成果だからね。無駄だって思われてるかもしれないけれど日々の鍛練は欠かさないわ。1日欠かしたら取り戻すのに3日は掛かるのよ?」
こんな人達も、
「恋よ。恋をしなさい。恋する女は美しいモノよ。ほら見てみなさいソフィア様を。陛下を思う心があれ程ソフィア様を美しく魅せているのです」
「ソフィア様見習っていれば全て上手く行くわ。だってほらあんなにも神々しいのよ。ソフィア様以外に美しいモノがあって?」
「ソフィア様に全て捧げなさい」
果てはこんな人が、
「後宮に限らず女は自分を研き続けなければならないわ。死ぬまでね。でも覚えて置きなさい。研き続ければいつか輝くわ。そして自分の糧になる。生きる糧にね。輝きなさい。それが女よ」
序でに私が、
「そもそもリシュタリカ様はお姉様が可愛いから目を付けたんだと思います」
と励まし?たり、
「お姉様! 綺麗です。可愛いです。凛々しいです。淑女です。完璧です!」
とおだて?たり、
「これをやれるようになれなきゃ後宮を追い出されてしまうかもしれません。お姉様が後宮を追い出されたら私は泣きます」
とケツを蹴、ゴホン、焚き付け?たり、
元々お姉様は子爵家の令嬢として育てられた身ですから、立ち居振舞いは淑女なのです。問題になるのは基本的に精神面だけでした。それさえ改善出来れば素材が違います。リシュタリカ様なんて目じゃねえ!
あ、私が淑女から逸脱してしまってはいけませんね。
素直な性格のお姉様は、皆様の温かくも厳しい指導で見る見るうちに美しく研かれていきました。ただ、気持ちの面で負けないだけでは現状を打開するのは難しいのです。なにせリシュタリカ様はヘイブス伯爵家です。上手くやらなければこちらが潰されてしまいます。
そんなわけで、淑女教育が休みの日には先輩諸氏の、特に協力的だったエミーリア様のご指導を直接仰いでいました。
え? 何の指導?
当然女研きです。具体的には、用途によっての言葉の強弱とか、目線の動かし方、表情の作り方、細かな手の使い方、優雅に見える足の運び方。要するに侍女見習いでは教えて貰えない細かな部分ですね。
意外にそういう部分から崩せたりもしますし、何よりここで頑張ったことは将来必ずお姉様の役に立つに違いありません。
で、私はと言うと時に一緒に指導を受けたり、
え?
そりゃあ見ているだけでは暇ですからね。やることがない時は一緒にやりますよ。お姉様より先に出来たりしないように注意しながら。
私の目標は飽くまでお母様ですから淑女とは少し方向性が違いますが、内面も外面も美しい女性という意味では一緒ですし、基本的には見よう見まねでやっていたので色々参考になりました。
それから、リシュタリカ様の周囲に近づいて情報収集していました。時には本人から。
方法は極めて単純です。本人に対して「仲良くして下さい」と言うだけです。元々牡丹組の人達とはそこそこ仲良くやっていたので「どうせなら皆と仲良くしたい」と言えばある程度壁は除去出来ます。
あとは3つ年下の強みを使って「手伝います」とか「一緒にお茶がしたい」とか言ってリシュタリカ様のグループ(全部で5人)に割り込んで行けば良いだけです。私はちゃんとしたクラスメイトとは言えませんから女の子のグループの制約を受けませんしね。
因みにリシュタリカ様本人には、
「同じテーブルを囲っているとしても、貴女は男爵令嬢で私は伯爵令嬢。それを忘れて対等に話したりしてはいけないわよ」
と説教されました。爵位を持った本人ではないのでなんとも説得力の欠ける話です。それに後宮の侍女見習いは家格や学年が違っても同格です。郷に入らば郷に従えですよ? ただ、
「はい。でも仲良くしたいです」
と返したらそのままお茶の時間が続行しました。そこまで選民意識は高くないようですね。
そして、10月の終わり。お姉様の「女研き」が始まって4ヶ月。
「明日です。明日のダンス教室が勝負ですお姉様」
次回 2015/09/22 12時更新予定です。




