#162.王子様の目標
「うまくいくと良いですね。レイノルド様とシルヴィアンナ様」
「ああ」
……興味が無さそうな返事ですね。
「私を正妃にしたがっているのはクラウド様なのですよ? レイノルド様をもっと応援して下さい」
「今私は何をしている?」
回りくどいですね。偶には良いではないですか。
「お風呂に入っています」
正午に舞踏会が解散してそれから寮の部屋で寝ようとするまで結構な時間が掛かったのに、まさかいつも通りお風呂に入ると言い出すとは思いませんでした。クラウド様は全く私に飽きる気配がないどころか、要求は段々とエスカレートしています。いえ、嫌ではありません。全部受け入れられます。ただ、慣れるどころか時が経つに連れて鋭敏に反応するように成って行く自分の身体が怖いです。
クラウド様と離されるようなことにならなければ良いのですが……なんて言いつつ、“私は”顔が見られればきっと大丈夫なのですが、クラウド様はきっと……。
「違う。ティアを抱いているのだ」
無茶苦茶な主張ですね。まあ後ろから抱っこされている体勢なのは間違いありませんが。
「そんな時にレイノルドの名前なんか出すな」
「これではっきりしたではないですか。レイノルド様はシルヴィアンナ様が大好きだって」
「そういう問題ではない。ティアは今私のことだけを考えていれば良い」
……我が儘ですね。
「毎晩クラウド様のことばかり考えているのですから、少しぐらい良いではないですか」
今晩だって、いざ始まってしまえば直ぐ他のことなんて考えられなくなります。私の心も体もクラウド様でいっぱいに成るのです。それがどんなに幸せな時間か、クラウド様には伝わっていないのでしょうか?
「本当に私以外のことを考えていないか?」
疑り深いですね。
「考えていません。少なくとも寝台の上では。だって私はクラウド様が大好きなのですよ?」
上半身を捻ってクラウド様の目を見て告げると、クラウド様はとっても嬉しそうに笑いました。
「ずっと。ずっと傍に居て下さい旦那様」
最近色々あってベッドの上以外で見詰め合うことが減っていましたが、改めてその綺麗な赤い瞳を覗き込んでいると心の奥底から溢れて来た気持ちが素直に口から出てしまいました。
「勿論だティア。君をどこにも行かせはしない」
暫く見詰め合ったあと自然と始まった長い長いキスは、久々に貪られる激しい接吻ではなく、お互いに想いを確かめ合う甘い甘い口づけでした。
更にその後、思う存分貪られたのは話す程のことではないと思います。一、二年は翌朝から普通に授業があるのでクラウド様は普通に出て行きましたけどね。
「昨夜深夜まで舞踏会だったのに今朝動けなくなるとか……クラウド様は本当にクリスティアーナ様が好きなんですね。妾の集いもない日ですから今日はここで一日ゆっくりしていて下さい」
旦那様は体力が有り過ぎです! アンリーヌ様まで呆れているではないですか!
まあアンリーヌ様の呆れ発言は今に始まったことではなくて、今やって貰ったように、寝台の上で座らせて貰う度に同じようなことを言われますけどね。
「今日はトルシア様がお越しになる日ですからちゃんと挨拶しないと」
辞めてしまうアビーズ様の代わりにクラウド様付き侍女の班長に成ることが決まったのは、レイフィーラ様付き侍女としてイブリックにも一緒に行ったトルシア様です。個人的に気心が知れた人に来て貰えて良かったですが、これまでトルシア様は男性王族に付いたことがありません。そこだけが少し不安です。
「今日はお越しになるだけで何をするわけでもありません。何度も言っていますが、クリスティアーナ様は側妃なんですから基本的に仕事はしなくて良いのです」
……そう言われてしまうとそれはそれで寂しいモノがありますね。
「でも挨拶はちゃんとした方が良――――」
「そう言って動き回ってこの間みたいにクラウド様が帰って来た時また動けなくなったら、怒られるのは私達なんですよ? それぐらい考えて下さい」
確かにそんなこともありましたけど、あれはアンリーヌ様達に怒るクラウド様が理不尽なだけで……。まあ怒ると言ってもいつもの無愛想顔が仏頂面に変わるだけですけど。
因みに、クラウド様は最近私が一緒に居る時は侍女達に対しても無愛想にはしません。私が居ない時は、アンリーヌ様曰く「無愛想ではないけど感情の波がなくなる」そうです。それから、院生会室なんかだと無愛想ですから学院では無愛想なままなのでしょう。
「だってあの時はアビーズ様が腰痛で――――」
「じっとしてて下さい。本当に助けが必要だったら呼びますから」
「はい」
アンリーヌ様の有無を言わさない口調に思わず返事をしてしまった私です。アンリーヌ様も責任感の強い人ですからね。
「クリスティアーナ様を知らない後宮官僚は何も言いませんが、知っている人達は皆貴女が正妃に成って貰いたいと思っています。そんな貴女が最前線で働いてしまったら、こっちは心配で仕方ありません。もっと堂々としていて下さい」
……これはアンリーヌ様の私見ですよね。「正妃に相応しくないとは思わない」とは何人かに仰って貰いましたが、「正妃に成って貰いたい」なんて初めて聞きましたよ?
「私に正妃に成って欲しいなんてクラウド様にしか言われたことはありませんし、それは言い過ぎなのではありませんか?
それに、シルヴィアンナ様もリシュタリカ様も充分正妃が勤まる方だと思います」
「はあ。全く自覚がないのですね。
シルヴィアンナ様もリシュタリカ様も確かに優秀な方ですが貴女程ではありません。クラウド様と肩を並べられるなんて貴女以外居ません」
肩を並べられる……どの辺りが並んでいるのでしょうか? と、言うか、
「シルヴィアンナ様もリシュタリカ様も充分肩を並べられる方だと思いますけど。実際私はクラウド様と話していても言いくるめたり出来ませんけど、二人なら出来ると思いますよ」
「本当に自覚がないのですね。クラウド様にとって目標は常にクリスティアーナ様です。貴女に並ぶ為にずっと努力しているのですよ。そういう意味ではレイノルド様とシルヴィアンナ様の関係と同じですね」
……全く話が見えなくなって来ました。アンリーヌ様の中で私がトンでもない怪物になっていませんか?
「私はそんなに凄くありません。クラウド様の方がずっと優秀です」
「ふぅ。まあ良いです。そういう部分もクリスティアーナ様らしいですしね。なんにしても今日はベッドで刺繍でもしながらゆっくりしていて下さい」
「はい」
私の返事に満足したのか、アンリーヌ様は踵を返して寝室を出て――――
ガタッ、ドン、バターン
「きゃ!」
行こうと扉を開けた途端、ドア自体がこちらに向けて倒れて来ました。大きなそのドアを避けようと、慌てて一、二歩後退したアンリーヌ様ですが、結果片足がドアの下敷きになってしまいました。
「アンリーヌさん!」
「痛ぁい」
慌ててベッドから転がり降りた私は、床を這うようにアンリーヌ様に近づきます。
寝室の扉は大きく分厚いですからかなりの重さです。アンリーヌ様は必死に扉を持ち上げようとしているようですが、自らの足に乗っかった扉を動かすことが出来ずにいます。私からは全く見えませんがアンリーヌ様の顔は痛々しく歪んでいる筈です。
「どうしたの? ――――アンリーヌ!」
私が倒れたドアに手が届く所まで来たのとほぼ同時に、大きな音を聞いて駆け付けたのでしょう。リーレイヌ様が現れました。
「持ち上げるわよ」
「はい」
倒れたドアを飛び越えるように部屋の中に入ったリーレイヌ様がアンリーヌ様の近くでドアを持ち上げ、アンリーヌ様が自らの足を自分の方に引き寄せます。
「痛い!」
「動かさない!」
リーレイヌ様は倒れたドアを端に寄せたあと、直ぐにアンリーヌ様のお仕着せのスカートを捲り、押し潰された足を診ています。リーレイヌ様は力持ちですね。そして役立たずな私……。
「私じゃ無理だわ。近衛を呼んで来る」
血は出ていませんが、アンリーヌ様の足は既に赤く腫れ上がっていて、見るからに痛そうです。
「え!? 男の人ですか?」
「治療は早い方が良いわ」
リーレイヌ様は足早に寝室を出て行きました。
「アンリーヌさん他に痛い所は? 腰や腕なんかは打っていませんか?」
足を伸ばして床に座った状態のアンリーヌ様に声を掛けると、
「大丈夫だと……指が痛いです」
そう言いながら右手を見ているアンリーヌ様。小指に力が入っていないようです。隣に座った私は、思わずその手を取ってしまいました。
「どのように痛いですか? 骨が折れている感じでしょうか?」
「だと思います。指に力を入れようとしても全く動きません」
指の骨折ぐらいは<小治療>の次に簡単な治療系魔法、<治療>で簡単に治せるのですが……症状を聞いても私に何が出来るわけではないのがもどかしいですね。
ただ、無駄に知識だけは持っていたりします。<治療>は、<小治療>と同じで治すモノをイメージしながら患部に治るだけの魔力を集中させ、魔法を発動するだけです。まあ発動の感覚は人それぞれで、このセンスが無いと魔才値関係なしに魔法が使えない人が極稀に――――
「クリスティアーナ様?」
え?
ええ?
ええええ?
「治ったのですか!?」
アンリーヌ様は、つい先程まで一切動いていなかった小指を自在に動かしています。
「治りました」
嘘ぉ!
2015年十二月中は毎日午前六時と午後六時の更新を“予定”しています。




