#156.復帰とお礼
「お母様?」
「はい。お母様です」
真理亜さんがハビッツさんと愛の逃避行に走ったのは一昨日のことで、昨日お母様は学院を去りました。「気の済むまで孫を可愛がる」と言ってダッツマン家に向かったのです。お姉様とお母様は仲が良いですが、子供のこととなると話が別かもしれません。ケンカとかしないで下さいね。
「あんたそっくりのあの人が?」
「そっくりって顔を見たのですか?」
ここに顔を出したわけではないのに?
「え? まあ遠目に偶々見ただけだけど……」
「えー普段寮でのんびりしているだけのジョアンナが偶々見たなんてあり得ないよぉ」
ですね。シャーナ様とソアラ様は侍女として仕事をしているそうですが、イリーナ様とジョアンナ様は殆んど侍女の仕事をしていないそうですから、偶々見たと言うのは現実味がありません。
あ、ソアラ様はウィリアム様のところに移ってから侍女の仕事はしていませんね。最近は私のアドバイスに従って刺繍や手芸に励んでいるようです。
「心配してくれたのですね。ありがとうございますジョアンナさん」
「二週間も寮から出て来なければどうしてるのか誰だって気になるでしょうが。ましてや拉致されて火事に遭ったとか言うし……」
いえ、引き込もっていたのは二週間ではなく三週間です。そして一回だけクラウド様と一緒に外に出ています。鬘を被って。
「素直じゃないなぁ。心配してたと言えば良いのに」
「そうですね。この中で一番クリスさんの心配をしていたのはジョアンナさんでしたよ?」
「そんなことないわよ」
拗ねてそっぽを向いてしまったジョアンナ様です。可愛いです。
「先週クリスさんの代わりをしていたのは本当にお母様だったのですか? 私も遠目で拝見しただけですが、そっくりな方でしたよ? というか……おいくつなのですか?」
ソアラ様のその疑問は最もです。お母様はどう見ても実年齢相応には見えませんからね。
「四十歳です。今年孫が出来ました」
「四十!? あれが?」
「孫? あ! そうですよね。お兄様に子供が出来たって言ってましたもんね」
「クリスさんの代わりが勤まるだけで凄いですが、四十歳ですか」
「四十でお婆ちゃんか。二十二で初産のあたしじゃ無理だなぁ」
代わりが勤まるどころかクラウド様付きの金髪の侍女が美人になったという噂が広がったそうです。お母様の美しさは私など足元にも及ばないのですから当然ですね。
それにしても、最近私は学院で何かと話題になってしまっています。「魔劇祭」で実質主役を勤めたりしてしまったのですから当たり前なのですが、大丈夫でしょうか? 「実は側妃だ」なんて噂は今のところ有りませんが……。
「で? 何で先週は母親が代わりをしていたわけ?」
これも当然の疑問ですよね。
「心配をおかけしてしまったのでお話しますけど、皆さん秘密にして下さいね?」
「ん? 秘密にしなきゃいけない理由なのぉ?」
イリーナ様は知らないのですね。
「はい。お願いします」
「分かった。いいよぉ」
皆迷いなく首を縦に振りました。この方々に対して信用どうのこうのは今更ですが、私は未だに大きな秘密を抱えていますからね。これ以上秘密を抱えたくありません。
「私はある方に命を狙われていました。その為に身を隠していたのです」
「命を?」
「はい。その方は魔法が使える方で、リーレイヌ様では私を守れない可能性が高かったのでお母様に出て来て貰いました」
リーレイヌ様も一応魔法が使えるのですけどね。31だという魔技能値相応ですけど。
「……クリスさんが今日此所に来られたということは、もうその可能性が無くなったということですよね?」
「はい大丈夫です。その方に狙われることはもう絶対にないかと」
何せ今夜には東の大陸に旅立ってしまいますから。
「へーもう大丈夫なんだ。良かったねぇクリス」
「あんたなんにも気付いてないわけ?」
「へ?」
「クリスを殺そうとした相手に気付いてないわけ?」
「え? ジョアンナさん分かるんですか?」
「……あまり口に出して良い方ではないかと」
ジョアンナ様とソアラ様は察してくれたようですね。まあ昨日の今日ですから充分に察しが付くと思いますけど。
「口に出しちゃダメ? 何で?」
船の操舵主を入れ替える都合でエリアス様にも事件前に何かしらあることは伝えてあったわけですが、イリーナ様には何も知らされていなかったようですね。
「昨日の学院を駆け巡った噂ぐらいあんたも知ってるでしょう?」
「昨日? あ! ……本当にあの人がクリスさんの命を?」
「はい。その方です。昨日の噂も全部仕掛けた人がいるということです」
「……ロマンチックな話じゃなくて、そんな生臭い裏があったってことかぁ。本当だったら小説みたいなロマンスだったのになぁ」
実際は今話した以上に生臭いですけど……。
「ビルガー家の汚点になってしまいますからイリーナさんは絶対他人に話してはいけませんよ」
「そうだねぇ」
軽い返事ですねイリーナ様。
「なんにしても、クリスさんが元気そうで良かったです。拉致事件からずっと心配していたんですよ?」
「まさか命を狙われていたなんて思わなかったよねぇ。でもクリスの今まで通りの優しい笑顔を見れて良かったよぉ」
「そうですね。クリスさんには笑っていて欲しいです。クリスさんの笑顔は人を元気にする笑顔ですから」
「思った以上に深刻な問題があったようで驚いたけど、無事で良かったわクリス」
……戻って来たことをこんなにも喜んでくれる方々に、私は隠し事をしているのですね。
「本当にご心配をお掛けしました。もう大丈夫です。ありがとうございました」
私が笑うと、皆が笑顔を返してくれました。……本当に心苦しい限りです。
時は少し遡ります。
拉致事件の五日後、お母様に学院へ来て頂く前に私は一度クラウド様と一緒に学院を出ました。目的は、私との面会を希望した「ファースト団」のリーダー、ファーストさんに会う為です。
王国騎士団本部は王都の中央区の騎士学校と通りを挟んだ反対側に在るのですが、「ファースト団」が捕えられているのは近衛騎士団の本部です。そして近衛騎士団の本部がどこに在るかと言えば、王宮の行政区の一角です。
通常尋問や面会は尋問室や応接室を使ってやるモノですが、クラウド様はそれを許可してくれませんでした。何故なら日本でイメージするガラス越しの面会室などセルドアにはないからです。よって、
「貴族令嬢にこんな所まで来て貰って悪かった」
「私は確かに貴族の娘ですが、士爵と変わらないような田舎男爵家の出身です。牢屋というのは殆ど来たことはありませんが、小さい頃は野原を駆け回って遊んでいましたからお気遣い頂くこともありません」
牢屋まで私が来て、鉄格子を挟んでの面会をしているのです。というかファーストさん。こんな精悍な顔付きをなさっていたのでしね。声も少し違いますし、最初は別人かと思いましたよ。
「あのもう一人の娘の方が余程そんな雰囲気があったがな」
「そうかもしれませんが、あの方は此所には来たがらないでしょう」
「だろうな」
「面会時間は十分。雑談をしている時間はありませんよ」
口を挟んだのは当然のように隣に居るお兄様です。本当はクラウド様の暗殺イベントを回避する為にお兄様に来て頂いたのですけど、すっかり私の護衛みたいになっていますね。
「……お前はあの時デイラートの事を知っている俺達がセルドアに必要かもしれない。そう言ったな」
口を利いて欲しいのでしょうか? 閉じ込められていたのが閂で施錠なんてされていない普通の部屋ならばまだ言い訳が出来ましたが、ファーストさん達は監禁罪の現行犯で捕まってしまいましたからね。私の口添えでどうにかなるとは思えません。
「言いましたが……私がこの状況をどうこう出来るとは思えませんよ」
「牢から解放しろなんて思ってない。ただ礼がしたかっただけだ」
「礼ですか?」
ファーストさんに私が何かしましたか? あ! もしかして逆の意味のお礼ですか? 逆恨みとか勘弁して欲しいですね。今絶賛されている最中でしょうし。逆恨み。……逆でもないですね。真理亜さんを別に私は恨んだりしていませんし。殺されたくはありませんけど。
「ああ。お前が警告してくれなければ、俺達は近衛と戦っていた。そして何人かは死んだだろう。だから礼をしたい」
そんなこと言いましたか? ……ああ、抵抗しないで欲しいと言いましたね。ファーストさん達が死ぬのも見たくないですが、お兄様やクラウド様に人殺しはして欲しくないですからね。
「私は私の都合でそう言っただけですから」
「だとしても救われたのは事実だ」
ユンバーフ様にも同じようなことを言われた気がします。
「……お礼とはなんですか? 内容によってはお受けしたいと思います」
今の状況でファーストさんに何が出来るがよく分かりませんが。
「三ヶ月程前、俺のところにある依頼が舞い込んだ。あまりにも杜撰な計画で融通も効かない依頼主だったんで断ったが、報酬は今回の十倍だった。あの額なら誰かしらが受けた筈だ。その運びの依頼について、詳細を明かしたい。お前の利にはならないだろうがお前の手柄にして欲しい」
三ヶ月程前の運びの依頼って……。
「もしかして、学院の劇場が関連していますか?」
ファーストさんは目を見開きました。
「……そうだ。やはり実行されていたのだな。公になっていないからまだやっていないのかとも思ったが、公にならず秘密裏に処理したということか」
「主犯は分かっていませんが、そういうことです」
「だろうな。だが、俺にはその主犯が分かった。だから降りたんだ」
え?
「有益な情報そうで良かった。あの仕事の大元の依頼主は――――」
2015年十二月中は毎日午前六時と午後六時の更新を“予定”しています。




