#153.嵌められた女
マリア視点です
月見茶会は湖上で湖に浮かぶ月を眺めながら食事をする社交だから、それ専用の二階部分がオープンダイニングになった船で行う。だからわざわざ今日の為にこの港まで運んで来た。まったくこの小娘一人殺す為に面倒なことをしたモノだわ。
ただ、その船まで尻軽女と一緒に歩いて行くと、
「ガルシュじゃないの?」
船頭としてそこに居たのはガルシュじゃなく、若い体格の良い男だった。
「ええ、申し訳ございませんがガルシュはエリアス様に急用を頼まれまして、代わりを仰せつかりました。私ウィリアム様付きの侍従、アブセルと申します。操船には慣れておりますので問題なく社交をお楽しみ頂けることと存じます」
……まあ良いわ。ハビッツ以外誰だって一緒よ。
「それは良いけど、今日は二人きりで楽しみたいの。わたしに近づかないでくれる?」
「承知致しました」
なんかわたしを観察してるわねこの男。ならガルシュと違って体で口止めが効くかもしれない。ハビッツじゃなくてついてないと思ったけど、これは朗報かもしれないわ。
「貴方ウィリアム様の侍従だって言ったわね。仕えて何年経つの?」
「もう十年になりますかね。そんなことより参りましょうマリア様。折角のお料理が冷めてしまいます」
短ければより希望があったけど十年じゃちょっと厳しいかもしれないわね。
「ええ。行きましょうあ、クリスティアーナさん」
前世の名前を呼びそうに成った。危うくバレるところだったわ。
「はい」
素直に従った。全然疑っている様子がない。やっぱりバカな女。
湖の真ん中まで船を走らせ、エルノアの中央区や王宮の夜景が見える絶好のポイントまで来たところで止めさせた。船の一階の席に座っていたわたしは小娘に先に行くよう促したあと、船頭に対して、
「良い? 今日は二人きりの晩餐なんだから絶対上には来ないこと。登って来たら承知しない。ウィリアム様の侍従でいられると思わないことね」
きつく命令した。これだけ言って置けば大丈夫よね。
「畏まりました」
素直を従う素振りを見せた船頭に満足したわたしは、踵を返して二階のダイニングへと移動する。
船の二階のオープンダイニングには大きなテーブルが真ん中にあるけれど、椅子は船尾の方に二つあるだけでテーブルの横には用意していない。そして、テーブルには大皿の料理が十数種類並んでいる。
「どう? びっくりした?」
「……料理が全て一度に並べられているなんて初めてですわ。マリア様がお考えになられたのでしょうか?」
二人きりになるにはこうするしか無かっただけよ。
「食べて良いわよ」
「これはどうやって……」
ああ、そう言えば前世のこの女は「焼肉屋に実際に来たのは初めて」とか、二十歳でそんな大嘘を吐く女だったわ。本当は知っているくせに玲に教えて貰う為に演技するような生け好かない女。わたしにまで媚を売るわけね。
「そこの小さなお皿に自分で好きなモノを好きなだけ盛り付けて食べるのよ。立ったまま食べるのとか慣れないと思うけど、この形式にするとこの方が楽なの。色々な物が食べられるし」
ビュッフェ形式ぐらい知っているくせに面倒くさい。
「だからこんなに沢山種類があるのね。一皿も多いし、こんなに用意するのは大変でしたでしょう?」
「ええ」
ああもう。良いや。本当は徐々にわたしの正体をあかして絶望に歪む顔を拝む積もりでいたけど、面倒くさくなったわ。殺そう。
「今日は二人きりの晩餐なのだから、隣に居ても良いわよね」
「ええどうぞ」
料理を繁々と眺めたり香りを確かめている女の横に立つ。……わたしより頭半分以上背が高いくせに、腕の太さも肩幅もわたしと変わらない。これなら湖に投げ捨てるぐらい簡単に出来る。
一度周りを見渡して二人以外居ないことを確認したわたしは、クズに向かって声を掛ける。
「ねえ」
「はい。どうなさいましたか?」
返事をしながらテーブルの横でわたしと正対した尻軽は、まだ何の疑いも持っていない。
「あんたさ。安藤真理亜って覚えてる」
目を見開いて驚く糞女。
「真理亜さん?」
「そう。何を隠そう私が安藤真理亜なのよ一条藍菜!」
全力で魔力を練って<火球>を創る。「魔力手錠」をしているわけではないし、どこかに向けて放たなければならないわけじゃない。今は目の前のコイツにぶつければ良いだけなのだから、失敗のしようがないわ。しかも、
「お待ち下さい。わたくしはそんな名前ではありません」
「ふふ。命乞い? 良いじゃない見苦しくて。それにしても二回も騙されてわたしに殺されるなんてね」
「貴女にわたくしを殺す力はありませんわ」
本当にバカな女。あんたの魔技能値が1しかないことは調べがついてる。魔力暴走前のわたしは3で、全く魔法は使えなかった。だからこの尻軽がまともに魔法を使えるわけがない。なのにはったり噛まして逃げようって? その割に一歩も逃げられてないし大声もあげられてない。ご苦労様。
「あんたが魔法を使えないってことぐらい判っているのよ。そうね。全裸でダルハの裏通りを一時間で往復出来たら許してあげるわ。出来たらね」
ダルハの裏通りは娼館街。そんなことをしたら路地に引き込まれて生涯を終える。それも見てみたい気もするわ。でも、
「救いようのない人ね。貴女」
何上から目線でモノを言っているのよ!
「もう良い。死ね」
全力で創ったわたしの肩幅以上ある<火球>を目の前の女に向かって放り投げた。すると――――
「だから言ったでしょう。貴女にわたくしを殺す力は無いと」
「嘘? 何が起こったの? <火球>は?」
どういうこと? あり得ない。魔法は失敗なんかしてないわ。創る途中で失敗したら消えてしまうけど、今は創ったあと消えた。放ったあと魔法が消えるなんてまるで、
「反魔法? なんであんたが? そんな筈ない! 魔技能値1がわたしの魔法を消すなんて出来る筈がないじゃない!」
「確かに無理でしょうね。実際クリスは生活魔法しか使えないもの」
クリスは?
「本当に視野の狭い娘なのね。狙っている相手が別人と入れ替わってても気付かないのだから相当だわ。それで、この娘は退場させられるのかしら?」
別人!?
「はい。「死ね」と言って<火球>を放ちましたから間違いなく」
女の質問に答える声が後ろからして、振り向くとそこに居たのは事件の時に近衛の指揮を執っていた騎士だった。……いつの間に船に? ううん、そんなことより、
「別人ってあんた誰? あの女の姉?」
女に向き直り質問すると、
「わたくしがクリスの姉? アンドレアス。貴方にお姉さんがいたのかしらね?」
からかうような返事が返って来た。そして女の視線は、テーブルの反対側に向いている。
「名乗ってあげたらどうですか?」
当然のようにテーブルの反対側に居たアンドレアス。……いつの間に。
「クリスティアーナの母。セリアーナですわ。まあ、貴女には名前などどうでも良いでしょうけど」
母?
「わたしを嵌めたわけね」
「嵌めたとは人聞き悪いことを仰いますわね。貴女が何もしなければ、ただの“イタズラ”でことは済んでおりますわ。「死ね」と仰いながら殺傷力の高い火魔法を放ったりしなければ」
あああ! 超ムカつく。
「あの女はどこよ! あの女を出しなさい!」
ぶっ殺してやる!
「あの女とは? 出したとしてどうするのです?」
「クリスティアーナとかいう第一王子の侍女よ! 八つ裂きにしてやるわ! 何処に居るの! 言いなさい! じゃなきゃあんたを殺す!」
叫びながら母と名乗った女に飛び掛かって行こうとすると、後ろから腕を掴まれ、そのまま組み伏せられた。
そして――――
「消えなさいマリア・ビルガー。今後クリスの前に現れたらわたくしはそれだけで貴女を排除します。その身が惜しければ二度と姿を見せないことです」
芯まで凍り付くような冷たい言葉が、わたしの脳を支配した。
「マリア・ビルガー。殺人未遂の現行犯で逮捕する」
2015年十二月中は毎日午前六時と午後六時の更新を“予定”しています。




