#134.醜い女
ウィリアム視点です
朝。教室近くの廊下を歩いていると後ろから声を掛けられた。
「ウィリアム様! おはようございます」
青い瞳に金の髪。同じ色を持つもう一人の女と会うのとは随分違う。まあアイツはアイツで妙な気分にさせられるからあまり近付きたくないが、コイツとは廊下ですれ違って挨拶されるのも嫌になって来た。
それにしても、兄上も面倒なことを押し付けてくれた。確かに自分で勝手に思い込んで動いたのは事実だが……仲人ぐらいしてくれるよな。
「おはようございますマリア嬢。お元気そうで」
信用出来ない相手には癖になっているアイツの言う「胡散臭い笑顔」を小娘に向ける。いい加減面倒になって来たし、クラスも別になった。この尻軽とも関係を絶つか。
「はい。ウィリアム様もお変わりありませんか?」
「ええ特には。マリア嬢もお変わりありませんか?」
コイツは変わらないより変わった方が良いがな。調べたらこの女、使用人とも関係を持っているらしい。貴族と平民の感覚の違いはあるが、四人、五人と同時に関係を持とうとする女を初婚で貰ってくれる貴族などまずいない。確かに容姿は優れているかもしれないが、コイツは頭が悪すぎる。
「はい。あ、いえ、やっぱりウィリアム様とお会いする機会が減って寂しいです」
……毎日廊下で“すれ違っている”くせに何を言ってやがる。しかも、下手をしたら一日二度だ。エリアス様に忠告されてから一時期多少マシになったが、また直ぐこの有り様。これでコイツが本気にならまだ良いが、未だにオルトラン様とも使用人のハビッツとも関係を持とうとしている。いや、ハビッツに関しては恐らくまだ関係を持っている。そんな奴に言い寄られても心が傾く筈がない。
「そうですか。しかしそういう発言は感心しません。貴女が会えなくて寂しいと言うべき相手は、私ではなく兄上です」
私の突き放すような言葉を聞いたマリアは、上目遣いで媚びて来るいつもの表情を消し去り、目線はさ迷い造り笑顔も崩している。簡単な揺さぶりで随分と動揺しているな。
「お義兄様から聞いたのですか? 確かにわたしはお義父様からクラウド様の婚約者になれと命令されてるけど、それはお義父様の命令でわたしはウィリアム様のことが……」
俯きながら言い澱む、告げたくとも告げられない禁じられた恋に苦しむ不憫な少女。こんな“フリ”が出来るなら、もう少し本を読むなり知識を入れれば普段の会話でもまともなことが言えるだろうが。
「それはビルガー公ご本人に話すべきです。自分は本気なのだと。兄上ではなく私の妃に成りたいのだと告げるべきです。そしてビルガー公爵令嬢ならば、王族の正妻となる権利は充分ある」
「でもわたしは平民で、命令に従わなければ公爵とは縁を切られると……だからウィリアム様。ウィリアム様がその……ウィリアム様。わたしを守って」
コイツの男に媚びる姿勢はある意味称賛に価する。
「これだけ大々的に宣伝し、次期正妃候補として祭り上げている貴女と縁を切るなど、幾ら公爵家でも簡単には出来ません。そもそも養子と縁を切ること自体が家の外聞を落とす行為に他なりません。
公爵令嬢の結婚相手として相応しくない男を望んでいるのなら兎も角、私は側妃の子とは言えこの国の第三王子です。公爵を説得出来ない身分ではありません」
「こんだけ頼んでるのに、なんでなのよ────でもウィリアム様。わたしには公爵という身分はとても重いのです。公爵家の養子となって一年半しか経っていないわたしには」
聞こえてないと思っているかもしれないが、お前の呟きは全て聞こえていたぞ。幾ら頼まれても私は靡かない。
「身分が重いと言う割りに、シルヴィアンナ嬢が何度お茶に誘っても断っていると伺いましたが?」
「それは……身分が重いと思うから尻込みしてしまうのです」
「王太子である兄上にあれだけ気軽に声を掛けておいて、シルヴィアンナ嬢には尻込みですか?」
院生会室に出入りし始めた頃のコイツは尻込みどころか下手をすると上からモノを言っていた。兄上が興味を示さないから直ぐに切り替えたようだが、尻込みしていたなどあり得ない。
「それはお義父様から命令されていたからで……」
……問答をしているのも面倒になって来たな。
「なら私やカイザール様は? 身分を重いと仰るのならエリアス様も尻込みする相手では? ヴァネッサ様とは言い争う姿さえ見た者が沢山います。そんな貴女が尻込みしているなど言われても全く説得力がありません」
流石に黙ったな。
「ビルガー公に対して何も言えないのは貴女自身が好き勝手振る舞っていたからでしょう。聞きましたよ。オルトラン様のところに乗り込んだ後、エリアス様に忠告されたのでしょう?」
……これだけ言われて何故笑顔になる? コイツの考えていることは根本的に理解出来ないな。
「大丈夫ですウィリアム様。わたしが本当に好きなのはウィリアム様です。オルトラン様とは仲良くしているけど友達です」
今の流れで何故そういう返しになる?
「オルトラン様と貴女がどういう関係かなど関係ありません。貴女の振る舞いに問題があると言っているだけです」
「だからオルトラン様とは仲良くしているだけで、わたしの気持ちはウィリアム様にあります。オルトラン様とはもう少し距離を置けば良いでしょう?」
オルトランの話を聞いて私が嫉妬したと言いたいのか? だから突き放すような言葉ばかり使っていると? ……どれだけ自分に都合の良いように考える。私は一度も愛しいだとか恋しいだとか告げていないのに。
「何をどう勘違いしたらそうなるのか解りませんが、貴女がオルトラン様にどんな振る舞いをしても私が貴女に心を寄せることはありません。貴女自身の振る舞いを改めるなら話は別ですが、それでも貴女が私の信頼を勝ち取るのは相当な努力が必要です。今のままの貴女を私が受け入れることはあり得ません」
「は!?」
醜い。造り笑いをしなくなっただけで本当に醜い顔だ。普段コイツがどれだけ表情を造っているかが分かる。いや、内面の醜さが表に出ただけか。
コイツには矜持も純粋さも無い。あるべき姿に対する理想も、心の奥底から来る穢れのない想いもない。あるのは打算と穢れた欲求。コイツと比べたら、自らの欲求に忠実な夜の蝶の方が余程美しい。
「ウィリアム様それは――――」
「今後私に話し掛けるならば、オルトラン様と――ハビッツとの――関係を絶ってからにして下さい。まあ、それで私が貴女を信用するかと言えば話は別ですが、それが最低限です」
「……ハビッツ?」
胡散臭い笑顔を浮かべた私は、醜い女に一歩近付き耳元で囁く。
「わざわざ声を窄めて言ってやったのだから有り難く思え。それから、二度と私に話し掛けるな」
決定的な言葉を口にした私は、完全に硬直した女から一歩離れる。
「公爵家と縁を切られたくないのなら、勝手な振る舞いは自粛することを勧めます。学院内で噂が留まっている今の状況を幸運に思うべきだと思いますよ」
実際は学院外に出た噂を積極外征派が封じ込めた。一応まだこの女が正妃候補である証拠だ。
「では失礼しますマリア嬢」
驚き固まった女を置いて、私は歩き出した。
あそこには少なくない見物人が居た。今日中には「ウィリアムがマリアと決別した」という話が広まるだろう。奴は大胆に見えて用心深いが、私という枷が無くなれば確実に動く。それぐらい奴は陶酔している。あの女が拒絶するとも思えないし、早ければ今夜中に大きく動く。
頼むから、関わらないでくれ。
その夜、到頭マリアが男子寮の第三棟を訪れた。そしてその翌朝に一人と二日後にもう一人、二人の使用人が密かに第三棟から居なくなった。
2015年11月中は毎日零時と十二時に更新します。




