#129.二つの外交交渉
セルドアの外交官となったユンバーフ視点です
「フランク帝に二心などごさいませぬ。デイラードがどうなるかは分からなくとも、ゴラとハイテルダルが連携している今この同盟が結んだ途端に破られるなどあり得んでしょう」
「デイラードがどうなるか分からない。それが問題だと言っているんだ。セルドアにとってゴラとハイテルダルの二国が連携していることは大きな問題にはならない。ゴラとハイテルダルとデイラード。この三国が連携を取っていて初めて問題なのだ」
「こちらは第一皇子のクランク様とその長男レイラック様が此処まで赴いて交渉しているのですぞ。二心あればそんなことが出来ないことぐらいお分かりの筈」
「第一皇子のクランク様は齢五十を過ぎるというに皇太子に任じられていない。フランク帝に重用されているとは言えん。そんな方が出て来たところで二心のない証明にはならん」
確かにクランク様は替えの効く人材だが、レイラック様は優秀な方だ。それをエルノアに派遣しているのだから、ルギスタンは、いや、フランク帝は同盟締結へ向け高い意欲を見せている。ただ、当のクランク様がのらりくらりとその場しのぎを繰り返すだけで、明確な意思表示をして来ない。あれではこちらが幾ら誠実な対応をしても意味がない。このままでは交渉は成立しないだろう。
とは言え、こちらの対応も問題がないとは言えない。イブリックに対応する時程上からモノは言っていないが、
「ならばどうしろと? フランク帝ご本人に外交交渉に出て来いと仰られるのか?」
「こちらは王弟ジラルド殿下が交渉に出ている。セルドアとルギスタンの国力差を考えれば、そちらが誠意を見せる番だ」
セルドアの外交官は交渉中こうやって直ぐに国力差を出して優位に立とうとするのだ。これでクランク様が強気でも弱気でも態度を変えてくれれば話は別だが、のらりくらりはずっと変わらない。交渉を成立させる気があるのかと疑いたくなるのも理解は出来る。
だったら懐柔策に出れば良いわけだが……セルドアの外交官はどうやら強気に押すことが外交交渉だと思っているらしい。親と変わらない年齢のクランク様を王弟ジラルド殿下がやり込められる筈もなく、今のままでは交渉は進まない。
と言うか、実際の交渉の責任者は外務大臣のビルガー公であってジラルド様は単なる“顔”であって、交渉は基本的に外務省主導で進められている。これがかなり厄介だ。
それこそ、レイフィーラ様の時のように王族が前面に出て行けばまた状況は変わる。しかし、デイラードと周辺の動きは停止状態にある。あちらの陣営もこちらを注視しているのだ。だとしたらセルドアスの答えは一つ。相手の出方を伺うだけでこちらからは動かない。向こうが皇帝でも出して来ない限り王家は動かない。
正直なところ、補佐の一人でしかないことがもどかしい。私ならもう少し……。
「誠意。だからこれ以上どうやって――――」
「はっきり申し上げて、クランク様がそちらの代表である以上交渉の進展は難しいでしょう」
「ユンバーフ! 貴様何を――――」
「失礼致しました。今のは飽くまで私個人の意見であって、セルドアの総意ではありませんので勘違いなされませぬよう」
どうにも後手に回っている気がするし、何もしなければ何も起こらない。これぐらいの投石はして当然だろう。それに、クランク様は決断力がないだけにも見える。レイラック様が中心に居てくれればまだこの同盟交渉にも進歩が見られるかもしれない。
イブリックはどうやら大丈夫のようだし、この交渉が決裂しなければ戦乱は充分避けられる。戦争などしないに越したことはないのだから。
今年の年始。セルドアの社交界が三つ巴の正妃争奪戦で大騒ぎを始めた頃。イブリックに神聖帝国ゴラの使者が訪れたらしい。セルドアとの盟約があるイブリックにゴラから使者が訪れること自体が極稀で、時期が時期だけに対応に困るのは当然だ。ゴラから使者が来たら、丁重に持て成しご機嫌を取れるだけ取ってお土産を持たせて気分良く帰って貰うのが常だが、今回はそう簡単に行かない。何故なら、相手にもイブリックを訪れた理由がある。少なくない要求があることは充分に察しが着くからだ。
だから、上陸に際して騎士を並べて警戒を充分に相手の出方を伺ったまでは問題ない。ゴラだってイブリックが警戒することぐらい想定している。だがしかし――――
使者の目的が港の使用権の確保だと判った途端島から追い出すなどあり得ない。
王位継承式の時問題を起こしセルドアの王国騎士に睨まれたまま逃げるように帰って行ったハドニウス様だ。早々に問題行動など起こさないと思っていたが、今度は悪戯で済まない問題を起こしてくれたわけだ。
追い出された使者の後を追うように、レキニウス様の指示でゴラへと送られたイブリックの使者は、当然のように門前払いにされたらしい。
そして、四月上旬。公都イブリスの港は二隻の軍艦を含む八隻のゴラの船団によって封鎖された。
明らかに数ヶ月の航海が可能な装備にゴラの本気が伺えた大きな動きだったわけだが、セルドアの動きは鈍かった。いや、正確にはセルドア外務省はろくな反応を示さなかった。ルギスタンばかりに気を取られていたとも言えるが、どうも外務大臣のビルガー公は全体を見通すのが苦手なやや視野の狭い方のようだ。そして結果的に言えば、セルドア王家は初期の段階で準備を進めていたのだろうな。
封鎖解除の条件は港の自由使用権五十年。勿論そのまま受け入れるわけにもいかないが、使者を追い出した事実が大きな足枷になる。
イブリックが圧倒的不利な状況で始まった交渉。しかし始まって二週間経った頃、ゴラの使者が度肝を抜かれる展開が待っていた。それは――――
ハドニウス大公の退位とアントニウス様の大公位継承。
盟主セルドアの承認を得ていたこの大公の交代劇に、完全に後手に回ったゴラは態度を軟化、交渉条件を緩和せざるを得なかった。
更には、大公の交代から数日。何の気なしに封鎖中のイブリスの港を訪れた一隻の豪奢な船。大きくはないのに立派に見えるその船は、敢えて軍艦の横をすり抜け港に入った。封鎖されている港に堂々と入って行ったのだ。剣と船が組み合わされた家紋の入った帆を掲げて。
港に入り船を下りると新大公本人に最敬礼で迎えられたその人は、長年連れ添っている伴侶と一緒に“歩いて”大公城に向かった。
そして、ゴラの使者の一人はその何処に行っても目立つ男女を見て驚愕したのだ。当然だ。その二人は「西の盟主」の先代国王クラウディオ様とその正妃、「女帝」ソフィア様だったのだから。
今年二月に出産したばかりの新大公の正妃ローザリア様の慰労という名目で訪れた二人だが、これがアントニウス様の大公位継承と無関係の筈はない。詰まりこの大公交代劇はセルドアが仕掛けたこと。そう考えただろうゴラの使者は、一転して全く別の条件を突き付けたらしい。それがなんと────
大公城に飾られていた刺繍絵。
彼女が描いた刺繍絵をゴラに持ち帰る交渉を始めたのだ。完成品は見ていないが、あれは確かに外交交渉に使えるぐらいの見事なモノだった。本人は「棄てるのは勿体ないのでどこでもいいから飾って下さい」なんて言っていたが……。
港の封鎖までしたゴラが交渉の結果得たのは、たった一つの刺繍絵。というのが事実だ。
もし、大公の交代劇云々の記録が抜け落ちた歴史書が後世に残ったとしたら、歴史家はこの交渉をどう評価する?
国宝に成るようなモノを平気で寄贈した少女の無知を笑うだろうか? そんな少女を人質と共に侍女として寄越したセルドアを笑うだろうか? 人質交渉に成功した外交官を誉めるだろうか?
それとも、小国とは言え刺繍絵一つで国を動かした少女を讃えるだろうか?
偶然とは言え、成し遂げたことの大きさと、少女の世間的な評価が吊り合わないのが歯痒い。一侍女で終わるような女性ではないと思うが……。
進まないルギスタンとセルドアとの同盟交渉と、予想外の展開で終わったゴラのイブリス港封鎖。この二つの交渉が歴史に残る大会議に発展したのは、セルドアとルギスタンの停戦協定が期限切れとなる少し前のことだった。
2015年11月中は毎日零時と十二時に更新します。




