#127.第二案
今年の夏至休暇は菊殿に拉致されることはなく、クラウド様をヤキモキさせることはありませんでした。ただ、学院在学中は夏至休暇期間以外に視察に出るのはほぼ不可能なのに、視察の日程も組まれていません。いえ、年が明けた頃には日程が組まれていたのです。しかし、マリア様の出現や停戦協定、オルトラン様の院生会落選そしてイブリックの政変など、様々な余波を受けた貴族達が今、自分たちの地位を安定させようとクラウド様に正妃を決めるよう迫っているのです。
え? イブリックの政変とは何か?
それは後でお話したいと思います。今重要なのは、貴族達に正妃を決めるよう迫られたクラウド様が、この夏至休暇の間中社交に引っ張りだこになっているという点です。
招待された時連れて行くと返事をしていれば、大抵の社交会にはパートナーを伴って行くことが出来ます。通常は、「誰々と一緒に行くから宜しく」という返事を書くのですが、日程調整担当の私が書いた返事は「パートナーを伴ってお伺いしたい」という内容で、人物名は伏せて置きました。
その理由は二つです。一つは単純な理由で、パートナーが誰か明記してしまうといざという時に変更が利かないから。もう一つはこの人物の名を明記してしまうとその方向で決定してしまう気がするからです。その人物の名は当然、
シルヴィアンナ・エリントン様です。
ある程度説得力のあるこの人を伴わない限り収まりが着かない程一部の貴族、特に積極外征派の貴族達は今危機感を持っているのです。
まあある意味自業自得なので、自分達のミスを次期王后を決めないジークフリート様とクラウド様に責任転嫁しているようにも見えますが、ずっと決めなかったジークフリート様とクラウディオ様にも問題がないわけでもないですからね。危機感が募ってそこを攻めて来るのは必然的とも言えます。
ただ残念ながら、積極外征派が猛烈に正妃へと押しているマリア様は、学院では退場したような状態にあるのですけどね。それがどこまで広まっているかは良く分かりませんが、ビルガー家が把握しているのは間違いありません。
だって、苦し紛れにこの人を引っ張り出すぐらいですから。
「養子が退場した途端わたくしを引っ張り出してお茶会に出すなんて、どれだけ追い込まれているのよ外征派は」
若い人四人だけにさせられた途端毒づいたのは、
「まさかリシュタリカ様がいらっしゃるとは夢にも思いませんでしたわ」
流石のシルヴィアンナ様もびっくりしていましたね。私もびっくりしました。でもリシュタリカ様。昨日王宮で会った私に話さなかったのはわざとですよね。
「ビルガーだって私が実家とは疎遠どころか、絶縁に近い状態にあることぐらい知っているでしょう?」
リシュタリカ様とヘイブス家は「年に一回手紙のやり取りがあるぐらい」だそうです。家の方から縁談を持って来ることすら無くなって、絶縁と言っても差し支えない状況でしょう。
「だからこそ父上は貴女を担ぎ出したのだと思うが?」
リシュタリカ様の問い掛けに答えたのは、その隣に座るエリアス様です。
「血筋だけで力のない女ってことね」
「最短で正女官になった貴女のどこが力のない女なのかは大いに疑問だが、今代のビルガー公が後宮官僚を甘く見ているのは間違いなさそうだな」
そうです。リシュタリカ様は既に正女官なのです。女官になってから僅か五年での昇進は極めて稀なことだそうです。「正」階級は試験以上に「副」階級以上の推薦人五人という条件の方が難しいわけですが、それを突破して昇格したわけですからリシュタリカ様に力がないなんてことはありません。
因みに、リーレイヌ様も今年副侍女に昇格しました。え? 私ですか? 私は準正妃ですから……まあアビーズ様にもリーレイヌ様にも「仕事はしているのだから試験は受けるべき」と言われましたが、流石に気が引けたので辞退させて頂きました。ちゃんと仕事をしているとは言えませんからね。
「……下位貴族の女が執務の補佐をするなど馬鹿にしていたが、実際に見ると、下手をすれば殿下やレイノルドより優秀なのは良く解った」
私ですか? 今エリアス様は絶対私を見て言いましたよね。
「まあクリスはかなり飛び抜けているがな。普通は規則案を整えたり根回しに動いたりなど出来ない。侍女は侍女だから相手を説得出来るわけがないが、それをやれてしまうのがクリスだ」
……両方やれと言われた覚えがあるのは気のせいですかクラウド様。
「クリスが魔法学院に居たら、間違いなく貴方の学年の首席はクリスだったわよ」
目の前に座るシルヴィアンナ様に挑発するような口調で話し掛けるリシュタリカ様です。遊んでいますね?
「かもしれませんわねぇ」
それを女王然としたゆったりとした口調で受け流したシルヴィアンナ様。遊んでいますね杏奈さん。案外気が合うのかもしれませんねこの二人。
そのやり取りを「何だこの妙な空気は」というように呆然と見ている男性陣二人を無視してリシュタリカ様が続けます。
「エリントンは本気で正妃を狙っているの? ソフィア様の影響も強く残っているし、本気で狙えば疾うに決まっているのではなくて?」
「お父様からは特に何か言われてはおりませんわ。クラウド様がお望みなら話は別ですが、わたくしは正妃に強い興味は抱いておりませんの。正妃として後宮を取り仕切るより、観劇の方が余程興味がありますわ」
他に人が居ないとは言え、大胆な物言いをしましたね杏奈さん。因みに私は、給仕としてクラウド様に残るよう言われました。他家のお茶会で給仕を勝手に決めてしまうなんてクラウド様。まあやれと言われたらやりますけどぉ。
「俺の前でそんなはっきり望まないと言ってしまって良いのかシルヴィアンナ」
意外だ。と言外に含ませながら問い掛けるエリアス様です。
「わたくしが正妃を望んでいないことぐらい貴方は元々ご存知のことと思っておりましたが?
そして、本人が望む望まないに関わらず結婚が決まってしまうのが貴族の令嬢ですわ。殿方にはその程度のことぐらい理解していて貰いたいですわね」
「ビルガーの嫡子がその程度の認識しかないのね。わたくしを利用して何がしたいのか知らないけれど、わたくしはわたくしの望まないことに対して全霊を持って抵抗しますわよ」
「いや……少し驚いただけで他意はないのだが……」
エリアス様はタジタジです。シルヴィアンナ様の先程の発言で重要なのは「お父様からは特に何か言われていない」という部分ですよエリアス様。
――エリントン家は本気で正妃を望んではいない――
シルヴィアンナ様が正妃候補として頭一つ抜け出した今の状況なら、エリントン家が本気で望めば正妃が決まっている可能性は充分にあります。確かに外から見ていたらその通りですから、エリントン家は本気で正妃を望んでいないという推測は充分に成り立ちます。ただ、クラウド様もシルヴィアンナ様もお互いがお互いを望んではいないという実態を知っている筈のエリアス様なら、シルヴィアンナ様の「特に何も言われていない」の方が重要な発言なのです。
「まあそう攻めてやるな。利用しようとしているのは飽くまでビルガー公で、エリアスがリシュタリカ嬢を担ぎ出したわけではないのだから」
一応エリアス様を弁護したクラウド様ですが、
「クラウド様もわたくしを利用していることには変わりはないですわよ」
シルヴィアンナ様に睨まれました。利用の程度は全く違いますけどね。
「全く女を何だと思っているのかしら? 二度とこんなところに引っ張り出されるのは御免だわ」
嘆くような言い方をしたリシュタリカ様です。今日はリシュタリカ様とクラウド様をぶつけて様子を見たかったのでしょうから、望みは薄いですが可能性はありますよリシュタリカ様。ビルガー家は今、表面上まだマリア様を正妃候補として推しているのですから。
なんて考えていましたが、リシュタリカ様が積極外征派の正妃候補として公然と担ぎ出され、社交に引っ張り回されるようになったのはそう先の話ではありませんでした。
2015年11月中は毎日零時と十二時に更新します。




