#104.強く成った想い
お姉様の結婚式の翌日にお兄様夫妻を除く家族、いえ、実家の家族と一緒に昼食を終えたあと王宮に戻った私ですが、王太子の間に挨拶に行く前にエミーリア様に捕まりそのまま菊殿に拉致されました。ドレス作りの手伝いをさせられ、もう丸二日になります。
まあこの時期菊殿に泊まり込むのは侍女見習い時代から良くあることで、個人的には刺繍に没頭出来るのは楽しいのですが、クラウド様は人伝にしか私がここに居ることを知りません。心配しているかもしれません。……心配されていて当然と思いつつある自分が怖いですね。
「クラウド様付きだったのですか? 凄い!」
爛々と輝やく目を私に向けているのはサリサ様です。彼女と私は今、並んで椅子に腰掛け一緒に刺繍をしているのです。サリサ様は王国騎士の父親を持つ平民で、魔技能値が68あって来年魔法学院入学が確実と言える侍女見習いの三年生です。中背で凛々しい顔立ちをした美人さんですね。
因みにこの68という魔技能値は一般的にかなり優秀な数字です。
魔法学院は一学年二百人程。その中貴族の子女が五十人程で当然残り百五十人は平民です。規定から言って平民は皆五十を越える魔技能値を持っているわけですが、六十を越える方はその十分の一以下、十人にも満たないのだそうです。
平民だと、魔技能値五十超が千人に一人、六十超が二万人一人といった計算になるので、六十超の方は入試で非常に優位なのだそうです。
「王太子付きが凄いわけではないと思います。運や巡り合わせもありますから」
「運だけで選ばれて仕事にならなければ移動させられてしまいます。男性相手の仕事で補助をするというのは簡単なことではないですよね?」
「補助だけが仕事ではありませんから。掃除や給仕といった通常の侍女業務もたくさんあります。クラウド様は魔法学院の寮に居るわけですし」
まあ私は最近秘書業務以外していませんが。
「それを全部こなさければならないわけですね。うーん。大変そうです。でも、遣り甲斐はありそうです」
……ポジティブな方ですね。まあ他人のことは言えませんが。
「確かに充実した侍女生活が送れると思いますけれど、王に成るような方は皆優秀な方ばかりですから求められるモノも相応に多いですね」
「実際に話を訊くと侍女として残りたい気もして来ました。ああでも、やっぱり魔法学院も捨てられない」
贅沢な悩みですね。お姉様もそうでしたけど。
「68も魔技能値があって魔法学院に進まないのは勿体ないことだと思います。学院から後宮に戻るのは難しいことではありませんし、本気で経歴を積む気がないなら魔法学院に進むべきかと」
70以上の魔技能値を持ちながら魔法学院に進まないというもっと勿体ないことをしたのが他ならぬリシュタリカ様ですけどね。なんだかんだ訓練をして治療系の魔法はある程度使えるようですし、来年には正女官昇進確実と言われている程ですから、周囲もそれを「勿体ない事をした」とは言わないですけどね。
「ああそうですよね。リシュタリカ様みたいに3年で副階級になる方なんてそうは居ないですものね。凄い方ですよね。上位貴族令嬢なのにご自分で希望して侍女見習いに成られるなんて」
リシュタリカ様の事を良くご存知なのですね。あの若さで副女官で、更にあの容姿なのですから侍女見習いが騒ぐのは当然です。リシュタリカ様に憧れる女の子も少なくないでしょう。
「そうですね。とてもお綺麗で頭も良くて素敵な方です」
ん? 廊下に人の気配がします。……何か嫌な予感がします。
「あ! そう言えばリシュタリカ様の同期生でもう一人三年で副階級に昇進した方がいたとか。ご存知ですか?」
間違いなく私の事です。
「王太子様付きの侍女で名前は確か……あ! クリス様! 貴女が────」
「クリス! 何をやっているのだお前は!」
やっぱり。というか、怒らないで下さい! 何故か顔を出す前にクラウド様だと判ってしまいました。何なのでしょうこの感覚は。
「何をも何も、ドレス作りです。忙しい時期なのはご存知な筈でしょう?」
「明後日から視察に出る私も充分忙しい。日程管理はクリスの仕事なのだからそれぐらい頭に入っている筈だ。適当な所で切り上げて帰ってくればいいだろうが!」
マズイです。作業をしている時ならそこまで恋しく思いませんでしたが、顔を見た途端嬉しさが溢れて来たのです。たった三日顔を見ていないだけの再会で、こんなにも心が高揚するとは思っていませんでした。九日離れていた去年よりも遙かに嬉しいのです。これはもう……。
「副侍女の私が女官長の頼みを断れるとお思いですか?」
「女官長には私から許可を貰う。御託は良いから行くぞ。少しは自分の重要性を理解しろ!」
今直ぐ抱き付きたい。そんな衝動を抑えているようなクラウド様です。もう少し我慢して下さいね。
「畏まりました。御免なさいサリサさん。行かなければならないのでこれお願いしますね」
謝りながら作業中の布を置いて自分の椅子に於いて隣の椅子の人を見ると、
「はい。クリスティアーナ様。今度ジックリお話させて下さい」
再び目を爛々と輝かせたサリサ様の姿がありました。
翌日。王太子の間の寝室から全く出られなくなった私です。……まだ加減をしていたのですね。しかも、
「明日からブギ視察に出るのだから今夜も容赦しない。ここで待っていろ」
相当お怒りだったようです。いえ、結局無理強いはしないクラウド様ですから、お怒りが収まるまで私が受け入れれば良いだけなのです。王太子の間がある秋桜殿の目の前まで馬車を付けて貰えばそれ程恥ずかしい思いはせずに済みますしね。ただ問題は……体力です。朝も平気で出て行きましたし、どれだけ────なんですか!
なんて思いつつ、結局は昨日と同じように刺繍をして一日過ごしました。……ベッドの上で。
「湯船の準備はして置きました。替えの夜着はそこに置いてあります。お仕着せは元々ありますから大丈夫ですね」
夕食の盆を片付けて今夜の準備をしていたリーレイヌ様ですが、何故か私の顔を覗き込んでいます。
「ありがとうございますリーレイヌ様。どうかしましたか?」
「何かあったの? 不安そうだわ」
リーレイヌ様は私の心理状態に直ぐ気付きますね。
「三日離れていただけで思った以上に再会が嬉しくて。側妃になったらそれぐらい離れていることはザラにあるのに」
「……クラウド様は本気で貴女を正妃にする気だと思うわ。今日昼餐があったのだけれど、レイテシア様も貴女が正妃になる事を反対しているようには見えなかった。ジークフリート様は何とも言えないけれど、前に言っていたように機会は与えて貰えるのでしょう? なら努力する以外ないのではなくて?」
リーレイヌ様。私が思うに問題はそこではないのです。
「いえ、私が、「正妃成れるか」では無くて、「成っても問題ないか」という部分なのです」
実際成るか成らないかは私が悩んでも仕方がないことですし、私が希望すればクラウド様には一切の躊躇が無くなり、ジークフリート様他上位貴族を説得出来る可能性も高くなるでしょう。ただ問題は、
「アビーズ様も言っていたけれど、私も貴女が正妃に成る事に問題は感じない。実際クラウド様の補佐をしていても貴女は優秀だし、正妃の仕事を熟して行けないなんて全く思わないわ。
何よりクラウド様がそれを望んでいるのに、貴女が弱気に成ってどうするの?」
確かに仕事は努力で幾らでもカバー出来ますし、優秀な後宮官僚を頼ればどうにもならないとは考え難いですが、
「一番問題に成るのは、結局私の魔技能値なのです。これが20でも有れば話は別かもしれませんが、何せ私の魔技能値は……」
1ですから。
「上位貴族にしてみたら私を正妃にする必要性がないのです。寧ろ「側妃の方が良い」又は「側妃にすべき」と言われるでしょうし、立場が逆だったら私もそう考えると思うのです」
「……どっちにしても。クラウド様が貴女を三日と放置するなんて私には考えられないわ。正妃が居たとしても二日に一回は貴女の所に渡るのではなくて? 昨日貴女を連れて来る前のクラウド様がどんな雰囲気だったか想像してみなさい」
そう言われてみるとそうかもしれませんね。今朝の雰囲気からして今日も絶対来るでしょうし。まあ此処はクラウド様の寝室ですから必ず来るのですけどね。
「ありがとうございますリーレイヌ様」
「礼は要らないわ。というか、本気で礼をしたいなら正妃になって欲しいわ。後宮の事を何も知らない方が私達の頂点に成るとは考えたくないもの」
「それならばリシュタリカ様の方が良いのでは?」
ソフィア様もレイテシア様も幼少期に正妃と成ることが決まっていた方です。お二人には輿入れの前から相応の知識があったわけですが、今正妃の有力候補として名が挙がっている方で後宮のことを良く知っている方はリシュタリカ様だけです。セルドアの男性社会とは全く違う後宮の常識を他の候補者が受け入れられるかは甚だ疑問ですね。
「……あの方はあの方で受け入れ難いでしょう? 私達ではなく上位貴族が」
ヘイブス家ですからねぇ。
「まあどっちにしても、悩んでないでクラウド様の怒りをちゃんと静めておいて。不機嫌な主と視察になんて出たくないわ」
「はい」
と言っても静まるか静まらないかは本人次第ですけど。
私は全く想像していませんでした。その晩クラウド様が私の所に来ないなんて。
2015年11月中は毎日零時と十二時に更新します。




