六
預金は一応潤った。私がもう少し若ければ、後先考えず食事に買い物に映画やカラオケなんかに出かけたものかもしれないが、今はそう言う気分にもならなかった。
ただ、このお金を、生活する以外の何に使おうかと考えて、本屋に出向いたのだ。別に、正孝のために読み聞かせてやるつもりはない。彼の趣味も知らないし、そもそも彼は興味すら持たないだろう。単純に私は、お金のありがたみと、本を読めるありがたみを、感じてみようかなあ、なんて、適当に思ってみただけに過ぎない。要するに、本当にこれこそが、気分だった。
紙媒体だからどうというわけではない、という話は前にしたが、そういう考えが無かったとしても、私は本を余り読まない人間だった。そこから見識が広がることもあろうが、大抵は、ページを捲る動作や、ずっと支え続ける姿勢と言った、どうしても非現実である部分を意識してしまって、好きじゃなかった。これまでの人生で、小説はともかく、漫画であれば読みふけっていた時期もあるにはあったが、結局、現実逃避という名の、より現実を顧みてしまう行為だと気付いてからは、作者の考える世界に自身を心酔させることはやめた。だって、本を閉じたら、また当たり障りのない日常が再開されるんだから、いっそ、虚像にワクワクしないほうがいい。自分との差異に悲しくなって、余計に疲れる。
だから本屋に来るのも随分と久しぶりだった。それも、何かを買おうとして来るなんて、いつ以来か。
小説のコーナーを、あ行から流し見ていく。聞いたことのある作家はあったが、背表紙を読んでみても、内容には全くピンと来ない。聞いたことのある出版社だって、あの漫画のところか、というのがせいぜいだった。読まないし、読もうともしてこなかったのだから、仕方がない。
結局、漫画のコーナーに移動して、頭の中で、三つ目の棚の下から二番目の列、左から十番目の本を買おう、と決めて、数だけ数えて一冊抜いた。タイトルも、著者も、内容も把握しないまま、勢いでレジまで行って、お金を払う。こういう、下らないことでも、ちょっとドキドキするのは、楽しい。
家に帰って開いてみると、どうやら数年前に世間で流行ったドラマの原作らしかった。タイトルくらいは聞いたことがあった。ただ、内容がどうというよりも、文体が好きじゃなくて、すぐに止めた。そのまま放って、万年床に寝転がる。低い天井に、シャンデリアは似合わないだろう。目を閉じる。
正孝と話をすることに関して、私は、彼のこと自体は苦手なほうだが、これはビジネスなのだし、まだ「無理だ」とは思っていない、と何度か考えた。しかし今、彼を目の前に置かず、完全なる自分の領域でそれを再考してみると、それは、私が毛嫌いしている「強いる」という行為なのではないか、と行き当たる。自分自身に対してそうあるべきだと強いているのも変な話だが、結局、私も、お金が好きなのだろうか。貰っても、意味も無くパフェを食べたり本を買うくらいにしか使わないのに。
いやいや。と私は首を振った。たまたま初回には「気持ち」が含まれていて、十分に生活できる程度の収入があった、という話でしかなく、私自身が、生きるために働いてその額を稼いだわけではない。実際は、二万円だ。それも、求められる時間労働したわけではないから、もっと細かく言うと五千円。今日私は五千円しか稼いでいない。生活するためにはもっと働いて稼がなくてはならない。そして、その働き口が、こんなに楽なところは早々無い。だから、要するに、手放したくないのだ。生活するために。
そうやって考えよう。という話でしかないが、私はそこで思考を止めた。人間性を放棄し、腐ったように眠った。なんだか、疲れてしまった。
もともとこちらのほうこそ、話をするのは久々なのだ。一応の生活ができるようになったから前の職場を辞めて、正孝の言う「劣等感」にまみれているせいで友達らしい友達も居らず、本当にそれこそただ生きているだけというふりで毎日を捨てて、来るはずのない「いつか」や「誰か」をただ待っているだけ。時々寂しくなって相手を探しても、交わされるのは吐息だけ。交わるのは、身体だけ。思考して、言葉を介し、人間性と人間性を交えることは、しばらく無かった。もちろん、正孝の人間の良し悪しに関しては、また別の話となるが。
カウンセラーや作家、芸人が、正孝を相手に挫けたのも、わかる。彼はどんな言葉に対しても、思ったことを返すだけで、下手に知識や台詞回しに自信があるほうが、却って返答に窮してしまうのではなかろうか。簡単に意見が変わるし、興味が流れていってしまう相手ほど、やりにくいものはないだろう。特に彼らのように、巻き込む側の人間であればなおさらだ。
一般人の私が、一体どのように彼を攻略し、生活のためにこの言葉遊びを続けるのか。
そして、いくら稼いだら、この仕事を辞めようか。
何を言われたら「無理だ」と思うだろうか。
そんなことを、考えてみる。でも、シャボン玉のように、どれに対しても、浮かんだと思った解答は、パチンと弾けて、最初からなかったかのように、それでも淡い気持ちだけを残して、固まらない。ただ、この思考が、欲求が、大事なんだろうなんて、言い訳を、また空気に載せて、膨らます。
現実で咥えるのは煙草で、やっぱりこれも、吐き出すと霧散していく。何とかかんとか、ひとまず生きようとしているから、火事には気を付けて、でも眠気にも負けそうで、落とした灰は何の残りカスか、そんなことを、散漫に考えて、揉み消すと、やがて私は、眠りに落ちた。
次はいつ行こうか。それが最後に浮かんだワードだった。




